馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

不代替なもの (`ω´)キリッ 2/x


善、は相対的なもの。
多くの人が常識的にそう思っているから、
それは、わざわざ書きたくなることでもない。
        宗教か、何かの思い違いで、
        絶対的に捉えたい人を除いて。

善、が相対的なものだとすれば、
善人も、悪人もいなくなるが、
なぜか、僕たちはそう思えない。
        理由はともかく、それは、
        なぜか、常識的ではない。

などと、外したことを、
書いてしまいたくなるくらいに、
非常識なもの言いになる。
        僕は、当たりまえのことに、
        足を取られて立ち止まる。

        僕は、極めて常識が分かっていて、
        極めて常識が分かっていない。



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  1. 2017年07月15日 22:02 |
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不代替なもの (`ω´)キリッ 1/x


他人と違うことをする、
それは、個性とか、独自性とか、
そんな話に向かうけれど、
        違うことをしているのなら、
        違っていて当然で、しかし、
        そんな分かりやすい話ではなく、
他人と同じことをしているときに、
違いが出てくるのが、
個性や独自性だと思っている。

        などと、外したことを、
        書いてしまうのは、
        僕が極めて常識的だから。
他人と違うことをする人の、
個性とか、独自性とかを、
当然に認めていて、
        ことさらに書く気が、
        起きないくらいに、
        自明なものと思っているから。

        などと、外したことを、
        書いてしまうくらいに。



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  1. 2017年07月15日 17:02 |
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しんせい


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    古風なパッケージ。
    小さくて、かっこいい。

    きつくて吸い込めないから、
    ふかしてしまう。

    軽く、ゆっくり、
    吸ってみる。

    線香花火みたいに、
    ていねいに。



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  1. 2017年07月11日 22:28 |
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哲学は、趣味


スピは、宗教、
哲学は、趣味。
どちらも、必要ではない。
なくても生きて行ける。
        役に立つとか、
        立たないとか、
        そんなのは知らないし、
        どっちでもいいし、
やれと言われても、
やらない人はやらないし、
するなと言われても、
する人はしてしまうし、
        やり方を習っても、
        やらなきゃできないし、
        やり方を知らなければ、
        いくらやってもできないし、
僕の代わりには、
誰もやってくれないし、
代わりに誰かがしていても、
僕には何の意味もないし、
        何のためにもならなくても、
        誰のためにもならなくても、
        やめられないうちは、
        続けるしかないような、

        哲学は、自分と世の中について、
        考える趣味である。



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  1. 2017年07月09日 17:21 |
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哲学は、善悪


「善」とは、共同体の利益となる行為、
対して、「悪」とは、
共同体の不利益となる行為をいう。
昔からある「善」の定義だ。

そんなのは、当たりまえすぎて、
誰が定義したのかは誰も知らない。
発見したのか、発明したのか、
そんなのも、どっちでもいい。

「義」といってもいい。
「正しさ」でも、「正義」でもいい。
それらの小さな違いが、
気になる人なんて珍しい。

「善」が相対的なのは、
それぞれの共同体によって、
利害が異なるからである。
なんて簡単な理屈だろう。

「善」は、部分集合や補集合、
和集合や積集合で括られて、
「善悪」なんて、僕の身の周りにも、
いつでも、どこでも、いくらでもある。

そして、哲学は、「善悪」を考える。
複雑な、共同体の利益を逡巡している。


解決策は、両極端な2通り。
個に向かうか、全に行くか。
自分に閉じこもるか、
それとも、宇宙の果てまで跳ぶか。

どちらも現実を見なくていいから、
悟った気分が得られるに違いない。
自己閉塞に落ち込んでいても、
宇宙を夢見ることはできる。

スピは、宇宙の利益を考えているのか。
最小の真部分集合の個人なのに、
遥かに外側の宇宙の「善」など、
考えることができるのか。

もしも、スピが、個人の「善」なら、
単純に、個人の利益に埋没している。



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  1. 2017年07月07日 23:03 |
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哲学は、抽象


        知識や情報を取り込んで、
        もの知りになることで、
        人は考えなくなる。
考えなくても知っているし、
知っていることなら、
考えるには及ばない。

        そして、考えることは、
        知っているかどうか、
        には係っていない。
正確を期すのなら、
知っていると思えるかどうか、
に係っている。

        知識を頭の中に入れて、
        もの知りになっていくことに、
        どれほどの価値があるのだろう、
などと、学識のない僕なら、
負け惜しみを言ってみる。
僕は、ウィキになりたいわけではない。

        何かを考えるときには、
        知識や情報が少ないほうが、
        抽象性が保たれる。
そして、逆説めいてくるが、
抽象性が高いほうが、
知識や情報の量は多い。

        具体的な知識は、
        抽象的な知識を、
        損なわせてしまう。
顕在的な知識は、
潜在的な知識を、
埋もれさせてしまう。

        抽象性は、輪郭を持たない。
        だから、考えて縁取りたくなる。
        抽象性は、空白をもたらす。
だから、考えて埋めてみたくなる。
しかし、知識や情報は、
たいていは、具体的なものだ。

        具体的に説明されると、
        僕は、何も考えられなくなる。
        願わくば、もっと、

        抽象的に言ってくれ。



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  1. 2017年07月04日 23:24 |
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哲学は、正直


僕が、今まで生きてきた、
あらゆる経験を捨象しても、
自分、というものが、
どこかに存在すると思えることは、
どういう間違いだろう。

今の僕が、このように在るのは、
そして、このようにしか在り得ないのは、
偶然の積み重ねであり、
別の偶然が積み重なっていても、
それはそれで、別の僕が在り得たと思う。

なぜ僕は、こんな僕であり、
ほかの誰かのような僕ではないのか、
そんな問いが意味を持たないのは、
さまざまな経験をした、
なれの果ての僕が問うからである。

そのように問う僕になったから、
僕はそのように問うのであり、
そのような問いを無化する僕になったから、
もう僕はそのように問うことはない。
もしも、僕が、スピが与えてくれる答を信じるのなら、

スピを信じる僕になり果てただけのこと。



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僕は、例えば、人が生まれてきた理由、
なんてのは、問いも答も理解できないけれど、
僕が、理解できないのなら、
僕は、理解できないことを大切にする。
不正直に、理解しているかのように扱わず、

正直に、理解できない僕でいい。



私はかつて正しかったし、今もなお正しい。
いつも、私は正しいのだ。
私はこのように生きたが、また別の風にも生きられるだろう。
私はこれをして、あれをしなかった。
こんなことはしなかったが、別なことはした。

そして、その後は?
私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、
ずうっと待ち続けていたようだった。
―― 『異邦人』/アルベール・カミュ 著、窪田啓作 訳、
―― 1954、新潮文庫



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  1. 2017年06月29日 22:34 |
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哲学は、不快


反対に、なにより気分が悪いのは、
問いがあって、答がないこと。
答がない問いの答を考えること。
自分で考える気がない人にとっては、
これほど不快なことはない。
答を教わることができないから。

どこかに答があって、
自分はそれを見つけてきて、
理解すればいい、
そんな作法を、考える、
と呼んでいる人にとっては、
答は、教えてもらうものである。

スピは、答のない問いにも、
正解を用意してくれている。
答があるということは、
とても楽ちんなことだ。
本に書かれているにしても、
ネットに載っているにしても。

書かれたことがでたらめでも、
本に騙された、ネットに乗せられた、
などと、被害者になればいい。
誰かの答を信じて、
誰かの真似をしていれば、
誰かのせいにして生きられる。

たとえ、それが、
どんなに信じ難い答であっても。



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  1. 2017年06月25日 00:58 |
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哲学は、現実


気分がいい考えごとは、気分がいい。
同語反復だから当然だ。
        自分にとって気分がいいことを信じると、
        信じる自分は気分がよくなる。
何も言っていないくらいに、
当たりまえなことだ。

        スピを信じれば、ご機嫌になれる。
        それだけでスピは、信じるに値する。
みんな、ご機嫌に暮らしたいから、
気分が悪いことなど、
        誰だって、信じたくはない。
        できれば、嘘にしてしまいたいくらいに。

スピは、ご機嫌な娯楽で、
愉快なエンタメだ。
        娯楽で、エンタメなのに、
        スピは、現実の世界に娯楽を持ち込む。
現実の判断基準にエンタメを用いる。
それが真実の世界の、
        尺度なのかもしれないが、
        そんな物差しで測っても、

        現実の世界は、嘘にはならない。



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  1. 2017年06月24日 18:12 |
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哲学は、自分


その判断基準の、
不合理性はさておく。
スピが輪廻を信じたいのなら、
信じればいい。
        問題は、その当否を、
        主体的に捉えようとしない、
        自分のなさにある。

オウムの実行犯は、
生まれ変わりを信じて、
他人の生命を、
軽く扱うことができた。
        しかし、自分の生命に、
        危険が及ぶと、
        逮捕を恐れて逃亡する。

つまり、輪廻は他人事で、
自分の生命は、
輪廻によっても、
少しも軽くならない。
        輪廻が自分の問題になって、
        やっと不合理に気づく。
        そんな無自覚な主体性のなさは、

        差別や、いじめや、
        あらゆる不合理を支える意識と、
        等質なものである。



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  1. 2017年06月23日 12:36 |
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