馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 4/x


吾安得夫忘言之人而與之言哉!

言葉を忘れた人を捕まえて、
荘子には、言いたいことがある。
では、裏を返せば、
言葉を憶えている人たちなら、
いくらでもいるから、
捕まえる必要なんてない。
あまつさえ、そんな人たちには、
言いたいことなんて何もない。

それとも、
うまく言えないことのほかに、
言いたいことがあるとでも?
解ってもらえないことのほかに、
解ってほしいことがあるとでも?
だから、答が決まってくる。
ここにいますよ。
こんな僕でもいいですか?


得意而忘言、

このフレーズの答も、あらかじめ、
または、同時に決まっている。
うまく言えないことのほかに、
言いたいことがあるとでも?
解ってもらえないことのほかに、
解ってほしいことがあるとでも?
言いたいことは、
いつだって、うまくは言えない。

うまく言える言葉ではだめだ。
容易に解る意味では違う。
そんな言葉は、忘れてしまえ!
ここにいますよ、
それだけでいい。
荘子を読んで、1週間の、
こんな僕でもいいですか?
それで、悪いわけがない。

立ち上がり、荘子に向かって、
大きく手を振れ!



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  1. 2017年05月16日 12:21 |
  2. 自分らしさ
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 3/x


荃者所以在魚、得魚而忘荃、
蹄者所以在兔、得兔而忘蹄、
言者所以在意、得意而忘言。
吾安得夫忘言之人而與之言哉!
―― 莊子/雜篇、外物第二十六


筌(せん)は魚を在(い)るる所以(ゆえん)なり、
魚を得て筌を忘る。
蹄(てい)は兎を在(い)るる所以(ゆえん)なり、
兎を得て蹄を忘る。
言は意に在(い)るる所以(ゆえん)なり、
意を得て言を忘る。
吾安(いず)くにか、
夫(か)の言を忘るるの人を得て、之を言わんや。


筌(せん)は、魚を捕えるためのツール。
魚をゲットしたなら、筌を忘れていい。
蹄(てい)は、兎を捕えるためのツール。
兎をゲットしたなら、蹄を忘れていい。
言葉は、意味を捕えるためのツール。
意味をゲットしたなら、言葉は忘れていい。
言葉を忘れた人をゲットして、
こんなことを言いたい。


        筌も、蹄も、例を挙げただけ。
        ひとまずは、そう捉える。
        引っかかるのは、得意而忘言、
        意味を捕えたなら、言葉は忘れていい。
        それは、一緒にするなよ、と言いたくなるが、

        吾安得夫忘言之人而與之言哉!
        言葉を忘れることができる人と、
        こんなことを語り合いたい、
        そこから、得意而忘言、を、
        読み解くことになる。

        すでに、答は出ている。
        荘子が、吾安得夫忘言之人而與之言哉!
        と呼びかけるなら、
        読み手の答は決まっている。
        ここにいますよ、ってことだろう。

        読み解く、というのは、
        自分が読み解く、ということで、
        他人ごとではあり得ない。
        僕の答は決まっている。
        荘子を読んで、5日めの、

        こんな僕でもいいですか?



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  1. 2017年05月14日 12:17 |
  2. 自分らしさ
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 2/x


意味が解って説明を忘れる。
忘れていいとか、
悪いとかではなく、
それで当然だ。
それが理解ということだ。

意味が解った、ということは、
意味を教えてくれた説明を、
忘れることだ。
さらには、もう説明は要らないから、
忘れろ、ということだ。

意味が解った、ということは、
自分の言葉になった、ということだ。
誰かの説明を借りてこなくても、
問いに応じて、
自分で説明できるだろう。

さらには、もうパクりはいいから、
自分の言葉で語れ、ということだ。
誰かの言葉を聞いて、
自分の言葉に着地させる、
それが理解ということだ。

意味が分かれば、
上手く言えるのではない。
意味が分かれば、
上手くは言えなくなる。
自分の言葉で語り始めるから。

何年も、何十年も、
荘子を読み込んできた人たちには、
怒られそうだけれど、
荘子を読んで、4日めの僕が言い切る。
ゆえに、「得意而忘言」の、

正解率は、1%に満たない。



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  1. 2017年05月13日 18:30 |
  2. 自分らしさ
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 1/x


「得意而忘言」、
意を得て言を忘る。
荘子(そうし)が、何かに書いている。
僕は、荘子をよく知らないし、
何に書かれているのかも知らない。
そんなのは調べなくてもいい。
にわか仕込みの知識を、
ひけらかしたいわけではない。

「得意而忘言」、
このフレーズは、つい最近、
4日くらい前に知った。
検索すれば、きっと、どのサイトにも、
同じ説明が載っているのだろう。
99%が同じだから、
その説明が正解とされ、
僕が説明することは、

必ず間違いになるのだろう。


ただし、「得意而忘言」が、
意味が解って説明を忘れる、
そんな意味だとしたなら、
99%のサイトは正しくない。
説明を忘れていないから。
ひいては、意味も解っていないから。
何度もコピペされた説明を忘れることが、
「得意而忘言」の意味ではなかったか。

エクリチュールには、
反復可能性があり、
読み手のコンテクストごとに、
意味が散らばる。
文章は、読まれるたびに、
読み手の捉え方によって、
意味がばらばらになる。
読み間違いは多いはずだ。

なぜ、正解率が99%なのだろう。



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  1. 2017年05月13日 12:02 |
  2. 自分らしさ
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加藤諦三 ―― 依存症 4/4


自分を責める、
なんて殊勝な心がけは、
余程のことでないと、
いつまでも続かない。
いつしか、考えごとは、
自己正当化にすり替わる。

他人を責め続けることにも、
どこかに際限がある。
いつかは、憎むことに疲れて、
慣れてしまう。
許すつもりはないけれど、
憎しみと和解してしまう。

他人を許せないでいると、
年を追うごとに、
嫌いな人ばかりが、
増え続けて行くけれど、
嫌いなものは、どうしようもなく、
嫌うことしかできない。

出来の悪い馬鹿どもに、
囲まれて行くのは、
自分が利口になったからであり、
それは、それで、仕方がない。
自分の馬鹿は治せても、
他人の馬鹿は治せない。

憎しみに囲まれて行くけれど、
自己愛は揺るぎなく保たれる。
他人を嫌悪することで、
自己嫌悪に陥る、なんて、
僕なら、そんなに立派で、
面倒くさいことにはならない。

自己懐疑なんてことをするから、
いきおい自分の人格破綻を、
認めざるを得なくなる。
ありのままの自分を、
肯定できないで、
なにが自己肯定だろう。

他人には、人それぞれ、
なんて言えるのに、
自分が嫌い、などと思うのは、
論理的に矛盾する。
所詮は、他人ごとなのか、
自分の向上心をアピっているだけか。

などと、多様に立ち位置を変えてみて、
そんな自分も、また自分であり、
どこかで自分に当てはまり、
どこかで自分とは違うような、
縦にも横にも振れない頭で、
気持ちの行方を追ってみる。

良くない気持ちが育っている、
とも思うし、勢いがあれば、
そのまま突っ切れそう、にも思う。
どんな立ち位置からも、
一致しそうで、かつ、
一致しなさそうな自分に戸惑う。

ここまで書いて、
一度、読み返しただけで、
もう、自分とは違ってくる。
僕には、どうしても、
すり抜けてしまう自分を、
捕まえることができないから、

加藤諦三のように、
単純になりたい。



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  1. 2017年05月12日 23:47 |
  2. 反加藤諦三
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加藤諦三 ―― 依存症 3/4


クレーマーも、
モンスターペアレントも、
フェミニストも、
右も左も、保守も革新も、
どの立ち位置でも同じ。

それらが、誰かの悪口を、
言い続けることで、
自分を成り立たせているのなら、
それらは、みんな同じ。
自分の中は、空っぽ。

気に入らないものごとに、
悪口を言うことで、
自ずと立ち位置が定まってくる。
否定し、攻撃することで、
敵の姿が見えてくる。

悪口を言うことで、
自分が正しくなれる。
それは、気障りな誰かや、
ままならない世の中に、
依存した正しさではあるが。

彼らは、悪口を言う自分の在り方を、
正しいと信じて疑わない。
自分は批判能力を備えているから、
鈍感な人たちが看過している構造を、
見破ったと信じている。

ただし、解決策は示せない。
誰かを悪く言うことで、
正しくなれた自分だから、
解決は目指せない。
目指せるわけがない。

誰かを悪く言う言葉は、
悪く言う人を救わない。
理由はともかく、
世の中は、そうなっている。
僕には、そうなっている。

そう思わないのなら、
一生やってろ。
死ぬまで、敵に依存して、
生涯、嫌いなものごとに支えられて、
自分を立たせてろ。

嫌いなものごとに依存しながら、
立ち位置を確保しろ。
他人を責めて、正しい自分になれ。
他人を馬鹿にすることで、
利口な自分になればいい。

見渡せば、そんな人は多いし、
それが常識と言えなくもない。
理由はともかく、
世の中は、そうなっている。
僕には、そうなっている。

そう思わない人は、
勝手にしてくれ。



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  1. 2017年05月11日 21:13 |
  2. 反加藤諦三
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加藤諦三 ―― 依存症 2/4


加藤諦三が書いていることは、
読み手のカウンセリングではない。
当然のことだけれど。
加藤諦三は、読み手のことなど、
一切、何も知らない。
当たりまえすぎるけれど。

フロイトでも、ユングでも、
誰の理論でも、自分の理論でも、
何かを教条主義的に信じるカウンセラーは、
理論を患者に当てはめたがる。
しかし、そんなのはカウンセリングではなく、
原理主義の宗教に近い。

加藤諦三は、カウンセリングをしないし、
もとより、できないから、
読み手は、加藤諦三をカウンセラーとして、
自らを当てはめに行ってはならない。
ほとんど人生訓に過ぎないから、
たいして害はないけれど、

宗教だと思ったほうがいい。


周囲の人間の質の悪さと、
本人の弱さと愚かさがうつ病の原因である。
―― 『うつ病は重症でも2週間で治る、もし……
/「つらい生き方」をやめる心理学』
ひどい説明だ。
これだけで、抑うつな気分にさせられる。

しかし、それは、
あながち間違いではない。
読み手は、弱くて愚かであり、
書き手は、人間の質が悪い。
それらが揃うことで、
抑うつな気分が引き起こされる。

しかし、ここまで馬鹿にされても、
読み手は気づかないのか。
読み手は弱くて愚かだから、
2週間でうつが治る、
なんて本を読まされているのに。
それほどまでに、加藤諦三の読者は、

弱くて愚かなのか。



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  1. 2017年05月11日 12:10 |
  2. 反加藤諦三
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加藤諦三 ―― 依存症 1/x


        加藤諦三は、
        自分を利用している狡い人、
        とりわけ、自分を利用している親について、
        悪口を並べ、それらとの決別を説く。
狡い人、というのは、
加藤諦三が嫌いな人たち、
それくらいの意味で、
それらは、パターンに押し込められ、
        ~な人、~主義者、などの、
        恣意的なレッテルを貼られる。
        そして、具体的な例を挙げて、
        罵り、蔑み、馬鹿にされる。
他罰的な人なら、
読んでいて、気分がいいのだろうか。
他人をひたすら悪く言い、
自分は少しも悪くない。
        気分はいいとしても、
        読み手は、毎日の生活で、
        何かが解決することはなく、
        加藤諦三も、解決策を示さない。
そんなもの、示せるわけがない。
自分を責めずに、
他人を責めるような人は、
生きづらくて当たりまえだから。
        そんな生き方は、
        つらくなって当然だから。
        なぜ、そんな当たりまえなことを、
        知らないのだろう。

        少しでも、自責的な人なら、
        読んでいて、気分が悪くなるのに。



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  1. 2017年05月09日 22:34 |
  2. 反加藤諦三
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加藤諦三 ―― 依存症 0.f/x


ひと休み、ひと休み。



    170508a.jpg

        同じようなクルマの中に、
        埋もれているから比べ合う。
        それぞれが相似形だから、
        小さな差異を際立たせる。
はみ出してしまえば、
比べる、なんてことが、
成り立たなくなるのに。
        収まり切れないクルマは、
        比べようがなくて、
        比べなくてもよくて、
        何にも依存しなくていい。



    170508b.jpg

連休中に、エリーゼ乗りの、
naruさんに会った。
浮ついた僕とは違って、
        落ち着いた感じの、
        かっこいい男。
        そして、その彼女が、
        なんとも、かわいい。
少し話した後、
右折するエリーゼに、
大きく手を振る。
        naruさんと彼女が、
        オープンのエリーゼから、
        手を挙げて応える。
        思わず笑ってしまうくらいに、

        なんとも、かっこいい。



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  1. 2017年05月08日 23:04 |
  2. 反加藤諦三
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加藤諦三 ―― 依存症 0.e/x


ひと休み、ひと休み。



    170501.jpg
    https://littlebarrie.bandcamp.com/album/king-of-the-waves

    Little Barrieのアルバム「King Of The Waves」、
    全曲、試聴できる。



無批判でいられるのは、
誰からも批判されないから。
つまり、誰もが、
無批判でいるから。

それを常識と呼ぶのなら、
馬鹿と呼ばれる常識を知らない者は、
考えるのをやめれば、
きっと、利口になれるのだろう。

常識しか知らない者は、
当然のこととして利口だ。
いくら努力しても、
たぶん、馬鹿にはなれない。

そして、たいていの大人は利口で、
たいていの大人と共に、
たいていの大人を、
利口と呼び合っている。

当然のこととして、
どこまでも、無批判に。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年05月02日 21:47 |
  2. 反加藤諦三
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