馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

検索しない (`ω´)キリッ 3/3


検索は、思考を阻害するが、
考えないから、間違えることはない。
        例えば、ブログなら、
        調べて、整理して、報告する、
そんなエントリを載せればいい。
先生に読んでもらえば、
        たいへんよくできました、
        なんてスタンプを押してくれるだろう。

世の中から承認されている言説を、
ネットから拾い上げて、
        またネットに戻せば、
        世の中に承認されるのは当然である。

高野文子が『黄色い本』で、
ジャック・チボーを引いていた。
        ほ(褒)められたらいか(怒)れ、
        よろこ(喜)んだらは(恥)じろ。

褒められるような文章なんて、
まったく書く意味がない。
        世の中から承認されないから、
        世の中の承認を取りつけようとする。
自分は、世の中から逸れていて、
認められないことくらい、
        最初から承知している。
        だから、考える。

        だから、自分の言葉がある。



    161216.jpg



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  1. 2016年12月19日 19:02 |
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検索しない (`ω´)キリッ 2/x


        知識を得ることは、
        考えることではなく、
逆に、知識の量が増えるにつれて、
僕たちは、思考が狭められる。
        情報の量が少ないほうが、
        抽象性は保たれる。
情報が顕在したときに、
潜在していた自由な思考が奪われる。

        検索してきたばかりの、
        半端な知識が詰め込まれた頭は、
まったく思考に適さない。
他人の考えを理解することに、
        多くのリソースが使われるから、
        思考ができるわけがない。
他人の言葉を仕入れることを、
思考と呼んでいるだけである。

        検索は、思考を阻害する。
        思考と呼ぶには、すでに遅く、

        あるいは、まだ早すぎる。



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  1. 2016年12月18日 12:03 |
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検索しない (`ω´)キリッ 1/x


        空白を埋めたいのなら、
        自分の中を探すこと。
たいていの空白は、
抽象性により生み出されて、
        書きつけれられる言葉を、
        秘めやかに待っている。

せっかく生まれた空白を、
他人の言葉で埋めないこと。
        他人の感動をコピペして、
        自分の感動にしないこと。
要領よく感動する作法を、
感受性と呼ばないこと。

        つまり、検索しないこと。
        自分の思いは、

        ネットには落ちていないから。



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  1. 2016年12月17日 12:58 |
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さらに、自分らしさと、カントの定言命法 (。-`ω´-)ンー


カントの定言命法(ていげんめいほう)とは、
理由はいいから、とにかく、これをやれ、
そう言い切ること。
無条件に、こうしろ、と命令すること。

    何を断言したか、というと、
    「君は君の格律が普遍的法則となることを、
    当の格律によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ」
    ―― 道徳形而上学原論、篠田英雄 訳、1976、岩波文庫

        手に負えないから、乱暴に意訳して、
        「人にしてもらいたいと思うことは何でも、
        あなたがたも人にしなさい」
        ―― マタイによる福音書、7章12節、新共同訳

            あるいは、
            「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」
            ―― レビ記、19章18節、新共同訳
            そんな聖句の変奏、ってことにする。


命令する、ということは、
命令されないとできない、
放っておくとそうならない、
ということである。

    だから、そうならないように変形してみる。
    「他人にしてもらいたいと思うことは、
    自分は他人にはできません」
    「自分を愛するようには、他人を愛せません」

        「他人にしてもらうのはいいけれど、
        他人にするのはいやです」
        「自分を愛するのはいいけれど、
        他人を愛するのはいやです」


けちくさくて、小さくて、自分らしくなってきた。
でも、なんだか、逆なようにも思う。
僕たちは、他人に何かをするよりも、
してもらうことが好きなのか。

    自分を愛することは、当たりまえで、
    簡単なことなのか。



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  1. 2016年07月17日 19:13 |
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引き続き、自分らしさ、について (。-`ω´-)ンー


他人との意思疎通や感情伝達は、
難しいとも言えるし、簡単とも言える。
すべてを正確に伝えようとすれば困難を極め、
ほどほどでよければ簡単になる。
誰だって、あいさつくらいはできるだろう。

    だから、コミュニケーションが、
    簡単とか、難しいとか、
    その能力があるとか、ないとかは、
    どこまでのコミュニケーションを目指しているか、
    その水準を抜きにしては語れない。

        簡単なコミュニケーションしか知らない人には、
        コミュニケーションの難しさは分からない。
        他人と、どこまで分かり合えるか、
        低い水準で満足する人なら、
        無邪気にコミュニケーション能力を自負できる。

            そして、他人と分かり合えるためには、
            まず、表現と自分を一致させなければならない。
            お互いに均質な目盛りを提示しなければ、
            お互いを照合することができない。
            もはや、分かり合えることは不可能と思われる。


コミュニケーションは、
定型化され、省力化されているから、
言葉が足りていなくても円滑さは保たれる。
当りまえの問いかけに、当りまえに返せば、
当りまえのコミュニケーションが成立する。

    では、他人と高い水準で分かり合うためには、
    当りまえではない言葉が求められる。
    パターンを ―― フーコーの社会規範や常識観念、
    ラカンの大文字の他者によって定型化されたパターンを ―― 、
    破壊する表現が必要になる。

        コミュニケーションの要求水準が高くなると、
        ありていなパターンが邪魔になる。
        お約束のパターンに信頼を置いて、
        表現をパターンに沿わせるのではなく、
        相手と直接に信頼関係を結ぼうと試みる。

            表現と自分を一致させようと試みる。
            たぶん、自分らしさも、その先にある。



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  1. 2016年07月16日 18:48 |
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ちなみに、自分らしさ、について (。-`ω´-)ンー


自分らしさ、とか、
等身大、とか、
ありのままの自分、とか、
そんな台詞が、何を意味しているのか、
分かる人には分かるのだろうか。

    自分が何を言っているのかが、
    分かっているから言えるのだろうし、
    ふつうに会話になっているから、
    僕も分かったふりをして、
    実は、分かっていないから気持ちが悪い。

        自分が自分であるということは、
        きっと、困難なことで、
        僕は、自分になろうとして、
        自分になれた気がしない。
        つまり、僕は、自分のなり方を知らない。


自分と、自分の表現が一致しないとき、
自分で自分が嘘くさくて、
自分が他人のようによそよそしい。
それでも、自分が感じている嘘くささは、
誰にも伝わることはない。

    言語というツールは、
    僕の感情をすべて伝達して、
    僕の内面を正確に推測させるような、
    高性能さも多機能さも備えていない。
    だから、嘘をつくことを得意とする。

        言語空間における自分らしさの表明は、
        表現と僕の一致だろうか。



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  1. 2016年07月16日 12:07 |
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ところで、言葉が通じない自分とは (。-`ω´-)ンー


石油の枯渇も、温暖化も忘れている自分のこと。
終着駅で、 一斉にホームに吐き出されて、
みんなと同じ方向を目指す自分のこと。
パッケージに、全米が泣いた、
なんて書いている映画を借りてくる自分のこと。

7年前に、民主党に投票した自分のこと。
村上春樹の新刊を読んで、
良いと思うところを探す自分のこと。
新型プリウスのわざとらしいテールライトも、
そのうち見慣れてくる自分のこと。


なぜこんなに同じような人が、
これだけたくさんいるのだろうと、
呆れてしまう自分のこと。
そして、自分も同じような人であることに、
気づいてしまう自分のこと。

みんなと同じことをする幸せも、
みんなと違うことをする幸せもある。
しかし、みんなと同じことをしているときに、
みんなと同じではいやだ、と思うことは、
たぶん、幸せなことではない。


「自分は違う」と、
みんながそれぞれに思っている中にいて、
「自分も同じ」と、
気づいてしまう自分のこと。
それさえも、

「自分は違う」と、
気づいてしまう自分であり、
「自分も同じ」に、
再び回収される自分のこと。
そして、それさえも、また。



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  1. 2016年07月14日 12:04 |
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これは、憑依か、呪詛か (。-`ω´-)ンー


感受性や価値観が同じなら、
少ない言葉でも多くが伝わる。
「やばい」と「うざい」だけでいい。
―― さらに「かわいい」と「きもい」を加えれば、
―― 申し分のない表現力が得られる。

        たくさんの言葉は、きっと、
        言葉が通じない人に対して、
        必要とされるのだろう。
        ―― どんな言葉を投げても、
        ―― 届くとは思えない人に対して。


では、言葉が通じない人はどこにいて、
なぜ通じさせなければならないのか。
これには即答できる。
―― 自分の中にいて、
―― 追い出せないからに決まっている。

        自分の外にいるのなら、
        言葉が通じないままでも構わない。
        通じる範囲で話せばいい。
        ―― それで支障はないし、
        ―― それ以上は望まない。


自分と、自分の表現が一致しないから、
たくさんの言葉と、
たくさんの表現が必要になる。
―― 借りてきた言葉では輪郭を縁取れないから、
―― 自分の言葉で考える。

        自分の中に、自分しかいない人なら、
        不一致は起こらないから、
        自分を表わす言葉はいらない。
        ―― 自己表現とは、
        ―― 自分の中の他人に対する言葉である。



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  1. 2016年07月11日 20:44 |
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個性とか、独自性とか 8/8


最後に、個性とは何か、
その定義を求めてみる。
    それは、個性について、
    没個性的に考えてみるということか。

没個性的に考えることなど、
はたして人にできるのか。
    そんなことを思う僕の個性が、
    無理だからやめろと言っている。


何が集まって、個性と呼ぶか。
それは、普通には、人が集まっている。
    ~が巧い人、~な性格の人、~ができない人、
    ~な人から帰納する。

河原の石にも個性を認めるが、
それは、擬人化っぽい用法にしておこう。
    個性に着目するのも、
    認めるのも、認めないのも人だろう。


何が分かれて、個性と呼ぶか。
それは、性質の違いによって分けられる。
    では、個性とは、端的に、
    他人と違うことである。

平均的な性質との差異から演繹して、
~が速い、~が多い、~が悪い、
それらを個性と呼んでいる。
    ここまでを定義とする。

    個性とは、他人と違うこと。
    当りまえすぎて、拍子抜けするけれど。


実際には、定義は終わらない。
    定義された、個性は、
    再定義に駆り立てられて、
    良い個性と、悪い個性に分けられる。

良い個性と、悪い個性。
    それらは、すでに個性で縁取られた、
    どちらも個性の枠組みの内側なのに、
    悪い個性は、個性とは認めない。

誰が、良い悪いを決めるのか。
それは、みんな、としか言いようがない。
    せっかく他人と違っている個性なのに、
    なぜ、みんなのふるいにかけるのか。

個性は尊重されるべきだが、
社会に優先するわけではない。
    協調性に反しない限りで、
    個人の個性が認められる。

逆からいえば、
協調性のない個性は、
反社会的な悪い個性である。
    そんなのは個性とは呼ばれない。


個性を伸ばす、個性を尊重する、
そんなフレーズで語られる個性とは、
他人に承認されるような優れた性質。
    つまり、「能力」のことである。

能力を伸ばす、能力を尊重する。
最初からそう言ってもらうほうが、
僕には分かりやすかった。
    真に受けてはいけない。

    他人と違うことが、
    他人から無批判に尊重されるなんてことは。



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  1. 2016年05月26日 13:47 |
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個性とか、独自性とか 7/8


純朴に考えて、
―― 純朴にしか考えられないくせに、
何を気取っているのだか。――
文章を読むときは、
他人の文章を読むことがそのほとんどだから、
読むことと、他人の文章は、
ほとんど同義になってくる。

        他人が書いたものを読むのがデフォだから、
        自分が書いたものを読むときも、
        同様に読むのがデフォになる。
        僕は、それ以外の読み方を知らないし、
        ブログなどというプラットフォームに乗せるのなら、
        メタに出て、読めるように修正しないと、
        自分でも何を書いているのか分からない。

        読み返せば、夜中に書いたラブレターのように、
        自分が書いたことさえ認める気になれないが。


こんなことを書くつもりが、
あったのか、なかったのか、
プラットフォームも、ラブレターも、
書いているうちに、書きながら、
成り行きで浮かんできた単語であり、
それでも、読み手が違和なく読めるのなら、
書き手と読み手には、共有している他者がいる。

        文章を書くことも、読むことも、
        その他者に思いを寄せることと、
        別のことではあり得ない。
        ―― そんなこと、思ってもなかったくせに。――
        文章は、その他者によって書かれ、
        その他者によって読まれる。
        ―― そんなこと、思ってもなかったくせに。――

書き始めれば、書かれた文章に導かれて、
魔法のように紡ぎ出されるのが文章だと思う。
夜中に書いたラブレターが、
自分が書いたことさえ認める気になれないのは、
朝になれば魔法が解けるから。
―― そんなこと、思ってもなかったくせに、
何をきれいにまとめようとしているのだか。――

        文章は、僕が思ってもみない嘘に、
        自らを投企しながら、
        それを結びにしようとしている。
        ―― そのとおり。
        嘘について語るときは、
        僕たちは正直にならなければならない。――
        この文章は、誰が書いたのだろう。

        ―― この文章は、誰が書いたのだろう、
        と書いた者は誰だろう。――



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  1. 2016年05月24日 21:44 |
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