馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

パノプティコン


ベンサムが設計した刑務所は、
ネットに似ている。

監視妄想に陥りやすい人に、
ブログは無理だと思う。



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  1. 2017年01月24日 21:24 |
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もう少し、いい部屋だと思っていた


ずいぶん前に住んでいた町を、
通りがかった。
十何年か前、ほとんど二十年くらい前。
家賃は、4万円だったと思う。

懐かしくなって、行ってみた。
右側の暗い通路を行くと、
駐輪場があって、階段があって、
3階まで上がって、2つめの部屋。

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301は、保険屋さん、
303は、やまねさん、
304は、がたがたさん、
その頃の彼女は、りょうちゃん。

みなさん、どうかお元気で。

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  1. 2017年01月21日 23:03 |
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その感動は、受け取れない


オリンピックの報道は、
感動させようとする意図が過剰だから、
僕は、感動したくない。
安売りされる感動ならほしくない。

押しつけがましい感動は、
感受性の回路を停止させる。
何に感動するかを僕が決められないのなら、
感動はもっぱら与えられたものになる。

だから、感動をもらいました、
なんて言い回しになる。
感動をありがとう、
なんて言って受け取る。

次々に差し出される感動を、
効率よく消費して、
自分の感受性が磨かれた気分になる。
そんなのを感動と呼ぶのなら、

その感動は、受け取れない。



自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
―― 茨木のり子



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  1. 2016年08月06日 19:16 |
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その夢は、獏に


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  1. 2016年08月05日 23:13 |
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ポエム (。-`ω´-)ンー


5日からオリンピックが始まって、
特番が組まれて、
「炎のランナー」のピアノが聞こえてきて、
がんばれ、がんばれ。

がんばれ日本、
元気をもらいました、
勇気をもらいました、
たくさんの夢と感動をありがとう。



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  1. 2016年08月04日 21:26 |
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ポケモンGOとは何だったのか 5/5 (。-`ω´-)ンー


今年の夏は、安保法制反対のデモに、
参加する人はいないようだ。
安保法制は、焚きつける野党がいなくなれば、
解決するような問題だったらしい。
今年の夏の、国会議事堂の正門は、
ポケモンが対戦する場所に選ばれた。

安保法制からポケモンに流行りが移る、
そんな気違いじみた心理的事実があるけれど、
誰も気にしていないみたいだから、
僕も気にしないことにする。
反権力もゲームも、夏祭りのようなもの。
花火のように弾けて消えればいい。


みんなと呼ばれる匿名の集団は、
みんながおもしろがることをおもしろがって、
みんなが捨てれば捨ててしまう。
みんなが忘れれば思い出すこともない。
ブームが過ぎた時に、ポケモンGOとは何だったのか、
などと、問う者はいないだろう。

みんながみんなを参照して、
みんなが相互に模倣する。
自分の判断能力もいらなくなり、
だから、どこまでも責任がない。
責任を問われる能力さえ、
持ち合わせていないから。


みんなが狂っていたとしても、
対決することはできない。
みんなは、どこにもいないから。
みんなが支配する場面から立ち去ること、
僕には、それくらいのことしかできない。
空気を読む、というのは比喩ではなくて、

空気としか呼べないのがみんなである。



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  1. 2016年08月02日 19:07 |
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ポケモンGOとは何だったのか 4/5 (。-`ω´-)ンー


気が狂っていても構わないけれど、
妙なモードで外を歩かれるのは困る。
街のほとんどの場所は遊び場ではないが、
何人かの集まりで、心理的な抵抗も感じずに、
遊び場に変えてしまうのは困る。

僕は、ポケモンGOをしていないから、
街にモンスターが現れることはない。
でも、モンスターを探している人が街に現れる。
モンスターが見えない僕には、
奇妙な出来事に映るのは当然だろう。

去年の夏に、街の中で、
モンスターを捕獲する人がいたなら、
狂人の扱いをされなかっただろうか。
では、今年の夏に、街の中で、
モンスターを捕獲する人は、

狂わされているに違いない。



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  1. 2016年07月31日 20:36 |
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ポケモンGOとは何だったのか 3/x (。-`ω´-)ンー


ゲームは、どれもそんなもので、
ゲーム機とプレイヤーは、
いつだって分断されている。
ゲームが虚構、というのは、
たぶん、そういう意味である。
プレイヤーは、現実を見てはいけない。

ゲーム機は、何らの意思を持たず、
プレイヤーに寄り添うことはないから、
ゲームの成立には、常に、
プレイヤーの一方的な思い込みが求められる。
あらゆるゲームは、
プレイヤーの誤謬によって成り立っている。


プレイヤーは、常に、
間違いを犯している。
ゲーム機が間違えるときには、
ゲームは成立しないが、
プレイヤーが間違えないときにも、
また、ゲームは成立しない。

つまり、ゲーム機が正常で、
プレイヤーが異常なときにだけ、
ゲームが成り立つ。
それが、僕たちとゲーム機の関係だ。
ほかのどんな組み合わせでも、
ゲームは成立しない。


ゲームを始める、ということは、
自らを間違いのモードに移すことであり、
ゲームしている、ということは、
そのモードに没入していることを、
忘れてしまうことである。
端的に言って、プレイヤーとは、

気が狂った人のことである。



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  1. 2016年07月30日 21:10 |
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ポケモンGOとは何だったのか 2/x (。-`ω´-)ンー


ポケモンが現れるのはどこか。
もちろんスマホの中に現れる。
捕まえたポケモンはどこに行くのか。
もちろんスマホの中に行く。

ポケモンが増えていくのは、
もちろんスマホの中で、
プレイヤーが現実に所有する、
何かが増えるわけではない。


ゲームの成果をレベルと呼ぶのなら、
レベルが上がるのはスマホのレベルで、
プレイヤーのレベルが上がるわけではない。
レベルは、プレイヤーには帰属しない。

ステージと呼ぶのなら、
次のテスージに行くのはスマホで、
プレイヤーはどこにも行けない。
それらを何と呼んでもいいが、

プレイヤーとは関係のないものである。


複数のプレイヤーで、1つのスマホを、
共有することを思えば分かりやすい。
ポケモンも、レベルも、何でも、
すべてはスマホのものであり、

プレイヤーとは関係のないものである。



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  1. 2016年07月30日 12:31 |
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ポケモンGOとは何だったのか 1/x (。-`ω´-)ンー


僕たちは、ずっと前から、
こんな世の中だったことを知っていて、
改めて、見せつけられただけ。

手の中の、小さな端末を通して、
世界を投影していることを、
認めたくなかっただけ。

あからさまに、
みんなと同じことをしている人たちを、
見たくなかっただけ。

その人たちが、ことあるごとに、
個性や、自分らしさを語ることに、
反吐が出そうになっただけ。


ポケモンGOとは何だったのか、
このブームを後の視点から振り返る日が、
どうか、早く来てほしい。

すぐにでも。



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  1. 2016年07月29日 12:48 |
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