馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

紀貫之 4/7


雌ウシZを殺す権利は、
ワシントンでも、バグダッドでも、
東京でも、平壌でも、友好的に一致できる。
友好とは、支配する側の謂いである。
ちなみに、平和も、支配する側の謂いである。


        …… しかし、たとえば他の惑星からの訪問者のような
        誰か第三者をこのゲームに登場させて、
        神様がその者に「すべての他の星の生き物を支配すべし」
        といったとしたらどうであろう。
        創世記のもつ当然性というものが、急に問題となってくる。
        火星人の車を引っぱるためにつながれた人間や、
        あるいは銀河から来た生き物に串焼きにされた人間が、
        自分の皿の上でよく切っていた子牛の骨付きあばら肉のことを
        もしかして思い出し、牛に(遅かりしだが!)謝るかもしれない。
        …… 一頭の若い雌牛がテレザに近寄ってきて、
        立ち上り、長いこと彼女を大きな褐色の目で見つめていた。
        テレザはこの牛を知っていた。
        マルケータという名であった。
        自分の牛に全部名をつけたかったが、できなかった。
        あまりにも多すぎたからである。
        かつて昔、もちろん四十年は前のことだが、
        この村の牛はみんな名を持っていた。
        (そして、名前は心の記号であるので、
        牛はデカルトの考えに反して心を持っているといえる。)
        しかし、そのあと村は大きな集団農場へと変わったので、
        牛たちは一生を牛舎の二平方メートルですごした。
        そのときから名前を失い、
        あるのは“machinae animatae(機械動物)”になった。
        世の中はデカルトが正しいことを証明したのである。
        ―― 『存在の耐えられない軽さ』


鯨を殺す権利については、敵対する。
鯨は利口だから、という理由らしい。
裏を返して、突き詰めれば、馬鹿は死んでもいい。
そして、鯨の屠殺場には、壁が作れない。
裏を返して、突き詰めれば、隠されていればいい。


        If slaughterhouses had glass walls,
        everyone would be vegetarian.
        もし屠殺場の壁がガラス張りだったら、
        誰もがベジタリアンになるだろう。
        ―― Paul McCartney



僕たちは、捕食をしない。
切り分けて売られている食材が、消化器官の始まりで、
温水で洗浄する便座が、その終わりになる。
僕たちは、牛の最期の表情も、声も知らない。
もぎ取られる果実の、抵抗感すら知らない。

知っているくせに。
それは、誰もが均しく抱く、苦しみや悲しみで、
世界はそれに包まれているのに、
僕たちは、本来の意志とは結びつかない意志を取り出し合う。
僕たちも、共に苦しんでいるのに。



        『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ 著、千野栄一 訳、
          1998、集英社文庫

    150928.jpg



  1. 2015年09月28日 20:34 |
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:6

コメント

んんん、非常に厳しい文章ですね。ずっと連続して。
んんんというのは、発音出来ない。
そういった判断出来ないものに、
ファンタジーをくっつけて、広めようとする勢力に抵抗したいのだど、
もう、ちょっと自分自身のくたびれがあります。
ファンタジーは、ファンタジーとしてきちんと成り立たせて欲しいのだけど、
戦争のように人の生き死にがあたりまえになったり、
そちらのつまらないファンタジーを、
人間以外にあてはめようとしたり。

押し付けられると、抵抗したくなるのは当たり前の気がします。
  1. 2015/09/28(月) 22:12:38 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>んんん、非常に厳しい文章ですね。ずっと連続して。
わはは、難しくはないのですけどね~。

不肖、青梗菜にかかると、
デリダだってこんなに簡単になる。
僕の脳みそに落とし込んで、引き上げてみると、
簡単なことしか取り出せないのは当然ですがw。

>押し付けられると、抵抗したくなるのは当たり前の気がします。
ですよね~w。

ファンタジーで発動する人たちは、
内側がないのですよ~。
安保法制の反対デモみたいなものです。
分かったふりをせず、知ったかぶりをせず、必ず内側に入れる。
そして、内側から外側に問う。
それが、表現ってものです。

菜食主義に向かいそうな流れですけどw、
中絶や間引き、迫害、戦争、
延々と続く暴力は、人口爆発を抑えてきましたし、
狩猟、採集、農耕、牧畜、
暴力性を介在させて、人は存(ながら)えてきました。
では、自らに内在する暴力性、その意識化に誘うのか?

さて、どちらへ行こう、風が吹く。
  1. 2015/09/28(月) 23:05:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

動物も植物も鉱物も周期表に並んでいる材料を使って作られている。

猫を蹴ったら可哀想。
石を蹴っても何にも思わない。

対象の反応を奪えば…何にも思わない?w

トサツ場がガラス張りでも牛や豚の反応を見なけりゃいい。わざわざ見に行ってベジタリアンになるような人は、レタスを手でちぎった時にレタスの叫び声を聞くだろう(笑)

食べるものがなくなり、絶命する。
つまり、自分の身体に対して暴力を行うことになる♪
牛への暴力か?
自己への暴力か?
どちらを選ぶのか?

だが、しかし…
駄菓子のパッケージの裏っ側を見ると原材料名が並んでいる。すると
化学薬品だけで作られている駄菓子が結構あったりする。

これからの技術は化学薬品から肉や野菜と同等の栄養や食感や満足感を作りだすでしょう♪

矛盾や葛藤をクリアにするのは、そして新たに矛盾と葛藤を作り出すのは、やはり
人間なのですな(笑)

煙草の灰は路上に落ち、その時に叫んでいる。
「ぎゃあ~、痛いよー!!!」

  1. 2015/09/29(火) 17:58:55 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

まじレスを返しますw。

空間が生まれ、時間が流れ出してから、10億年後。
重力の歪みに水素が落ちて星が生まれ、
星が集まって銀河が生まれた。
重力で収縮するにつれて温度が上昇し、
中心部が1500万度、水の160倍の高温高圧になったときに核融合が始まる。

星たちが光り始める。
星は核融合により、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)など、
次第に重い元素を生み出し、
巨大な星は、7億度でナトリウム(Na)、マグネシウム(Mg)、
30億度でリン(P)、硫黄(S)、塩素(Cl)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、
50億度で鉄(Fe)を生成する。

やがて、星は核の燃焼による寿命を終える。
自らの重みに耐えられなくなった星の核が潰れはじめ、
跳ね返って爆発を起こす。
高速で元素がぶつかり合い、圧力も温度も上昇する中、
核融合が進み鉄よりも重い元素を作り、撒き散らす。
そんな星たちの欠片を集めて、
太陽系が生まれた。
100億年後、宇宙の片隅で。

今から46億年前、
輝き始めた太陽の周りで。
円盤状に太陽をとり巻いていたガスや塵から、
10兆個の微惑星が生まれた。
地球の軌道になる辺りでは、
直径10km、重さ1兆tほどの微惑星が100億個あり、
それらは、引き合い、衝突と集積を繰り返し、
やがて原始の地球を形づくった。

地球が閉じて、周期表ができた。
まだ生命はない。
重水素やヘリウムやチタン、鉄や銀や金に、
痛みや苦しみがあるとしても、
それはもう、普遍的すぎて取り出せない。

僕たちが、痛みや苦しみを感じているから、
世界はそれに包まれる。
どこまで行っても、世界は、
人に分かるような世界でしかないけれど。

月は、相当に痛かったと思うなぁ。
地球に火星ほどの大きさの微惑星が衝突し、
砕けた破片が結集して月になったらしい。
  1. 2015/09/29(火) 22:15:53 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

もう、こりゃ難しすぎるな、僕には。
僕の理解では、
どんな形で理性が突き詰めようとしても、
最後はブラックホール、或いは、靄(もや)。
はっきり見えている人がいるなら、宣言して欲しい。
それを、僕は信じるかもしれない。
考えて死ぬか、気づかずに、死ぬか。
死なないのか。
太陽が暖かいって思っているのは、恐らく僕だけ。
明るいも、僕だけ。
何故夜空は暗いと見えるのか。
そっちこそ真昼のはずだと、僕は思うんだけど。
太陽の光でさえぎられているものが、夜で見えるはずなんだけど。
夜と昼の境はどこだ。満ち引きの境はどこだ。
生命と物質の境はどこだ。
境は、必ず僕には見えない。
境があるのに見えないのか、境は無いのか。
真っ黒は、真っ白じゃないのか。
僕は何を見ているのか。
しかし、答えを求めていない僕もいるという、
全部わかんない感じは、結構素敵だとも思える。
  1. 2015/09/30(水) 22:10:00 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

あと2回で着地させますので、
どうか、しばらく宙に浮かんだままでw。

人の物差しで測ることができるものは、
結局は、欠如だけになる。
これは、人と人以外の生きものを比べた場合の欠如。

ダニが僕たちにない感覚、いわば、ダニ識を持っていたとしても、
僕たちには分からない。
多分、人間の世界が全く識らないような、
豊かさを具えている一つの領野。

では、欠如とは、不足ではなく、
過剰を含む矛盾がある。
これは、無限や、絶対者や、
天国や彼岸、ここではないどこか、
そして、あるかもしれないダニ識と比べた場合の欠如。

動物の国全体と生の国とには苦しむことと苦とが、貫き通っている。
そうだとしても、これを僕の内側に入れなければならない。
知ったかぶりをせず、内側から外側に問う、
それが、哲学ってものです。

それぞれの苦しみが、均しく苦しみに呼応し合う感覚、
昨日まで持っていなかった感覚が、
今日から持てるか、ってなると、無理かも。
無理なら、今、僕が具えている感覚を借りてくるしかない。
それが、もののあはれ。

>境は、必ず僕には見えない。
境界は恣意的ですね~。
境界、ってくらいですから、きっと地続きなのですね~。
  1. 2015/10/01(木) 14:11:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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