馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

紀貫之 3/7


ところで、アウグスティヌスのいう「理性」は、
例えば、「暴力」にも代入が可能だ。
「暴力」と「支配」が、ほとんど同語反復になりそうだが、
同語反復も許されるだろう。
理性を持つ、持たないは、最初から価値評価を含んでいる。

暴力が理性になり上がったのはいつだろう。
このインフレの契機は、例えば、素朴に考えて、
食物連鎖の頂点に立ったとき。
加えて、獲物を分配することで、
ずいぶん理性的な見かけが揃ってくる。

対象は、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの。
家畜、という変な括りがまん中に入っているが、
食うために飼うこと、それは、相当に理性的だ。
しかし、生命を消費するために、生命を生産すること、
支配の限りを尽くした者が、自らを理性的だと評価すること、

その圧政は、
なんだか、暴力的な気配がしてくる。



感情を持つためには、理性が必要だろうか?
もちろん、感情を表現するためには、
感情に対応して思考するためには、理性が必要だが。
苦しみ、悲しみ、恐怖や不安の感情を経験するためには、
どれほどの理性を必要とするのだろう。


        ウシの自然な寿命は二〇年ないしそれ以上であるが、
        四歳になってもはやこれまでの生産レベルを維持できなくなると
        「処分」を運命づけられる。
        輸送と出荷のあいだはまだ運がよい。
        二日間、餌、水、休息を奪われ、突っついておどされるが、
        叩かれることはない。
        屠場ではブタと違って斜面路を一頭ずつ歩いていくことを許される。
        残念ながら、訓練ゆきとどかない気絶装置の操作員は空気銃をうまく扱えない。
        雌ウシZを四回も気絶させようとしたのに、
        彼女はまだ立って大声で鳴いている。
        しかし処理ラインは止まらないので、
        彼女は頭上のレールにつり上げられ、「スティッカー」に運ばれる。
        そこで喉が切り裂かれ、失血させられる。
        出血しているあいだはまだ意識が残っており、
        四肢切断と皮剥ぎのあいだもまだすぐに死ぬことはない。
        (連邦政府の検査官は、
        彼が配置されているところで何が起こっているかを知ることができない。
        さらに、彼は早いスピードで次々に送られていく死体に
        病気の兆候がないかどうか必死で確認するので手一杯である。)
        雌ウシZの体は加工肉かハンバーガーに使われるだろう。
        ―― 『動物の権利』


彼女は牛、僕たちは人。
苦しむのは牛だから、という理由で、
牛の痛みや苦しみを軽視するのなら、
僕たちは、恣意的に過ぎるというべきだろう。
牛と人が違うことくらい、牛だって知っている。

つまり、牛と人は違うから、云々、
後に続く説明は、僕たちの創作にほかならない。
彼女と僕は、種が違う。
違うと言うときには、どうしたって違う。
この違いはなくならない。

違うから、という理由で取扱いに差異を設ける、
その見かけは一見、もっともらしい。
しかし、この思考回路は短絡だ。
差異の理由を差異に求めるのは、
何も言っていないのと変わらない。

なにより、違うことと同じこと、
その線引きは、常に僕たちの恣意にかかっている。


少し飛躍してみる
―― 大きく飛ぶ訳ではない。
70年前のよく晴れた夏の日と、曇り空の夏の日。
その日のHiroshima、Nagasakiの出来事は、
正当化する必要もなかったのではないか?

苦しむのはJapだから、
そんな了解があれば、
それでよかったのではないか?
彼/彼女らは、yellow monkey
―― 種が違うから。

そして、僕は、僕の発想が、
少しも正しくないことを願っている。



        『動物の権利』/デヴィッド・ドゥグラツィア 著、戸田清 訳、
          2003、岩波書店



  1. 2015年09月28日 11:26 |
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:2

コメント

理性と感情。

「理性」は誕生した時点から、すぐ「自我」を顕すようになった。
「自我」には澱みが生じ、それは「優越感」と「支配欲」の塊となり、
「暴力」に形を変え、カーストとも言われる差異を浸透させていった。
輝く明けの明星ルシファーが堕天使に落ちていった流れの通りである。

古来、地球は、卓越した理性と権力を持つ者によって支配されてきた。
動物の中のあるものは分けられて家畜とされ、
人間の中のあるもの売られて奴隷とされてきた。
「暴力」は「経済力」に形を変えても、その支配の構図は今も変わってはいない。

鯨を殺.す.ことを悪魔の仕業のように非難する人々がいる。
しかし牛の肉を選んで食べる行為はグルメと称し、それを誇っている。

体の大きい生き物は、サイズに比例して理性が高いのか。
小さくて見栄えが悪くて肌が白くない人種は、品質が劣っているのか。

顔が美しい女性は、心も同じく美しく見えるという、感覚の不思議。
造作がそれなりの女性には、FUJIカラープリントがいいとか言われていた。

おっと、少し飛躍が過ぎてしまった。
僕は、正直に言えば、
女性の好みに関しては、かなり自分の感情に支配されている。
(笑)
  1. 2015/09/28(月) 16:39:53 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>顔が美しい女性は、心も同じく美しく見えるという、感覚の不思議。
少々野暮な服を着ていても、飾らないとか、ナチュラルとか、そんな表現になるw。
ぶさいくだと、だっさ~、ってなる。
安藤裕子は、薄幸、って感じがする。
同じメイクをしても、ハリセンボンのはるかだと不幸と呼ぶ。
鯨もイルカも、アンコウみたいな見た目だったら、
屠殺しても非難されないような気がします。
>体の大きい生き物は、サイズに比例して理性が高いのか。
う~ん、そんな気がする。そう思いたくなるような。
だから、逆に振れて、思いたくなくなるような。
>小さくて見栄えが悪くて肌が白くない人種は、品質が劣っているのか。
う~ん、残念ながら。そう思いたくなる。
だから、逆に振れて、思いたくなくなるような。
>女性の好みに関しては、かなり自分の感情に支配されている。
バーソさんのことを好きな女性が、バーソさんは好きなはずですからね。

好き、っていうのは、理由がないと思わせる女子がいいですね~。
小島麻由美なんて、僕にはすごくかわいく見えるのですけど、
謎ですわw。
  1. 2015/09/28(月) 20:33:28 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/996-44a966f1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)