馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

アドラーと遊ぼう


半端ない劣等感を持つ者は、
他者の評価に依存することを拒むのではないか?
その裏返しの、半端ない優越性への希求も、
同じく、他者の承認を要しない。

そこには、他者からどんな評価が得られても、
埋まらない劣等感がある。
どんな賛辞を浴びても満足できないほどの、
圧倒的な優越性への欲求がある。

アドラーは、ほめるな、と言う。
ほめることは、アドラーに対する目線が上からだ。


アドラーは、貢献ではなく、共同体ではなく、自己肯定ではなく、
貢献感、共同体感覚、自己肯定感でいい、と言う。
それらを、他者の評価に依存することなく持つことができれば、
それは、たしかに、幸せそうだ。

高い自己評価を得て、
誰にも揺るがされることはない。


社会的な観点を失くしてしまえば、
不幸な人は、自ら不幸を選んだことになる。
関心が自己だけに向かえば、
他者の苦痛が分からなくなる。

いじめられている人たちは、
自らいじめられることを選んだ。
そう思えるくらいに、他者の苦しみに無感覚になれば、
それは、たしかに、幸せそうだ。

アドラーは、アメリカに渡ることを選んだが、
アウシュヴィッツに行く人たちもいる。


他者の課題は、切り捨てるのか?
ショーペンハウアーが、共苦と呼んでいたことも。
仏教は、一切皆苦と呼んでいた。
末法から、法滅に向かうとも。



        「ほめられたらいかれ、よろこんだらはじろ」
        高野文子の『黄色い本』に、
        そんな台詞を見つけた。
        似たような意味だろうか。

        僕は、ショーペンハウアーやブッダが好きだから、
        「自分の好きな人を大切にすることは、
        それ以外の人には冷たくすることになるんでねえの、
        ねえ、トーチャン」


        僕は、アドラーの考えが嫌いだけれど、
        アドラーの課題を切り捨てないで、
        引き継いだ人は、たくさんいるはず。
        どう思う?

        ねえ、アドラー。



        『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』
        高野文子、2002、講談社



  1. 2015年07月12日 10:51 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

遊び方がむずかしくて、わかんないよー!!m(__;m

アランドロンに、もし、劣等感があったとして、その劣等感を埋めるのは、一つのことに固執しないことや現実を知ることであるような気もするのでございます。(何かで読んだかも。)

職場で僕は、他人の課題は切り捨てる方向ですが^^;、アドバイス出来る人はカッコ良いですねー。年齢関係なく自分よりもひとまわり大きい社会人な気がするのでございます。
  1. 2015/07/12(日) 22:09:12 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

ちょっとアドラーに冷たくしすぎたかなぁ。
彼には、最後にアドバイスしときましたよっ。

アルトゥル・ショーペンハウアーも誘ってます。
ブッダもいっしょに遊びましょう♪

>その劣等感を埋めるのは、一つのことに固執しないことや現実を知ることであるような気もするのでございます。
アドラーは劣等感に固執しまくりましたねぇw。
  1. 2015/07/12(日) 22:42:07 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

いじめられている子は
何故、学校に行き続けるのか?

外部による条件付けに強く従っているな…と感じる。

条件付けは、人間が実践することで形成されたもの。
国家が決めた教育。
学校に行ってない子はダメな子だと信じている世間と両親からの圧力。
いじめている奴らの言うこと、やること。
それらはそれぞれを規定する。

その外部に強く影響されている。
そして、その外部と戦う力を自分が持っていないと信じ込んでいる。

そうして
自分は、外部が実践者になるための手段になる。
ガス室を稼働させる手段になる。

外部からの規定に従わないことは、内部からの規定を考えることになる。
規定を内部に求めることは
反社会的、或いは非社会的かも知れない。

社会的でない個体が社会的であろうとすることが死を招くとは……何とも…。

  1. 2015/07/13(月) 20:01:09 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

死ぬくらいなら、学校に行かなければすむことなのに、
つまり、逃げればいいのに、
って、誰でも思うよね~。
でも、誰でも思う、ってことができないから、
追い込まれるのですよ~。
そんなのは、誰でも学校に行ってるのに、
ってのと同じなのです。
そこが分かっていない人が多すぎます。

>外部からの規定に従わないことは、内部からの規定を考えることになる。
自己啓発って、
規定を内部に求めることを、外部から規定してきます。
その内部の定め方を、あれこれ規定します。
ほめるな、とか、他者の評価に依存するな、とかね。
人は、誰もが、勝ち負けで生きているわけではないし、
劣等感と優越感に絡みつけられているわけでもないよね~。
アドラーが、世の中をどう捉えても、
それでぜんぜん構わないけれど、
しかし、誰もがアドラーの思惑どおりにはいかないよっ。
少なくとも、僕は違うから、
アドラーは馬鹿だな、って思うのです。

>規定を内部に求めることは
>反社会的、或いは非社会的かも知れない。
自己啓発本、ってのは、もとより非社会的で、
政治的、社会的な観点が消失しています。
関心が自分の成功にしか向いていませんもの。
僕にとって、アドラーは馬鹿だ、ってことですから、
アドラーが大多数に受け容れられているとしたなら、
僕は、反社会的、ってことになりそうですが、
無自覚な非社会的よりは、まともですよっw。
  1. 2015/07/13(月) 22:23:45 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

アドラー、
名前はカッコイイんですけどねぇ。
気持ち悪いんですよねぇ。不快です。
ショーペンハウアー、
名前はイマイチですけど、
好きな感じです。
ニーチェとショーペンハウアーがいい!
ブッダはまだ知らない。
  1. 2015/07/13(月) 23:22:18 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

ん~、アドラー、って、
悪者っぽくないですか~?
アドラー教皇、アドラー元帥、アドラー総統、
ほらほら、冷徹で横暴だよっw。

ショーペンハウアーはねぇ、
ショーも、ペンも、ハウアーも、
息が漏れてるわりには、力が入ってないよねぇw。
小ペンハウアーと大ペンハウアーがいてね、
小さいほうのような感じがするなぁw。
  1. 2015/07/14(火) 00:14:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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