馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ありがとう


ありがとう、なんて言葉を、
僕は、きっと、
感謝する気持ちの前に知った。
道徳に従うだけの、
見せかけの感謝が先で、
純粋な気持ちが後になった。

そのせいか、今でも、
純粋さが道徳に汚されて、
自分で見分けがつかなくなる。
そして、世の中は、
ありがとう、のインフレだから、
僕は、ありがとう、が言えなくなる。


コンビニエンスな言葉は、
使い倒されていくうちに、
価値がすり減ってしまいそうになるけれど、
ありがとう、はいつだって、
高い格付けを維持していて、
その安定感は半端ない。

今日も、誰かの優しさが、
ありがとう、の価値を引き上げる。
その多くが、ありがとう、の言葉も求めずに、
天邪鬼な僕になど、
気づかれることもなく届けられているのなら。
やっと素直に言ってみる気になれる、

―― ありがとう。



  1. 2015年06月23日 23:33 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

コメント

道徳律

 道徳が汚れに見えるのですね。

 その気持ちはわかる気がします。

 青梗菜さん、カントはご存知ですか?

 カントの三大批判をお読みになると、道徳が輝いて見えるようになるかもしれません。
  1. 2015/06/24(水) 18:02:07 |
  2. URL |
  3. ササクレ #Aih.YSpM
  4. [ 編集 ]

ササクレさん、こんにちは。
カントは、僕には難しいなぁw、
直観的に分からない。

僕が書いたことで、
カント的な問題を作るとすれば、
優しさに道徳的な価値を認めるか?
道徳が汚れて見えるときに、
汚れていると言うことは、道徳的か?

カントは、思いやりから他者を助ける、
善行を為すことに喜びを感じる、
それらに道徳的な価値を認めません。
カントは、嘘をつくことをとても嫌ったから、
きっと、正直な僕を弁護してくれると思います。
  1. 2015/06/24(水) 20:43:05 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

有るのが難しいで
「有り難う」

道徳の領域では「有り易い」とも言えますね。
まさにインフレw

他人からお菓子を貰って
その際に親から「有り難うって言いなさい」と促されるのが道徳の有り難うの初めてかな。
確かに要請が付随してくる。

この周囲からの「言いなさい」が自分の「言わなくてはならない」に置き換えられていることが汚れかも知れない。
すると、要請に従うのではなく、自らが「言いたい」という欲求をもって純粋となるのかも。

  1. 2015/06/24(水) 21:54:42 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

このコメント欄という場のような、
現実の会話ではない仮想空間での「会話」で言葉を綴ると、
言葉が縛られているしがらみから解き放たれて、
浮遊するかと思えばとんでもない奥底に沈もうとして行く。
浮遊する「ありがとう」は、新たに自分の中のどこかに結びつきを求め、これまでとは違う「ありがとう」として誕生する。
しかし私はそうしたダイナミックな脳運動をすると疲労してしまい、
ついギターに救いを求めてしまう。
「大聖堂」という曲の五線譜を、めんどくさいのでタブ譜に手書きで書き写しているのはとても疲労するけど、
だんだん噛み砕いて弾けるようになって行く喜びと必ず結ぶので爽やかな作業です。
青梗菜さんの問いかけは、読むのも答えるのもなかなか噛み砕けるものではないけれど、
その作業はやはり爽やかなものになっています。スカッとさわやか。
  1. 2015/06/24(水) 22:07:32 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

私は、ありがとうは言いまくりますよ。
ありがとう、と思っていなくても、
私が、ありがとう、を言うことに意義があると判断した場合、
言います。
相手を気分よくさせる目的でも言いますし、
保身のためにも言います。
自分をねじ曲げて、ありがとう、を言うことは、
結構気に入っています。
素直な、本当の、本物の、ありがとう、なんて、
私にとっては、あるようなないような、ですから。
  1. 2015/06/24(水) 22:25:24 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

感謝を伝える言葉を私は、ありがとうとごちそうさまの2つしか思いつかないっす。^^;大きな道に車で出る時に、車間を空けて入れてくれるドライバーには右手を上げて伝えます。

私からするとやって当たり前なことを、~しておきましたよーと言う人には、言う必要ないべと思いながら、ありがとうございますと言います。

でも逆にそれを言われないと感謝すべきなのに気がつかない気もするー。^^;
  1. 2015/06/25(木) 02:32:32 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>他人からお菓子を貰って
>その際に親から「有り難うって言いなさい」と促されるのが道徳の有り難うの初めてかな。
つまり、ありがとう、は具体的に、現実的に始まって、
子どもは、その同一性を模索することになります。
同一性を求めれば、必ず抽象的にならざるを得ないわけで。

分節と生成と言い換えてもいいです。
分節化、つまり、ありがとう、と言うべき局面はどんな場面においても起こり、
そして、生成も絶えず起こっていることになります。
例えば、感謝知らずの僕でも、
何度も、分節と生成を繰り返せば、
ありがとう、くらいは意識しなくても言えるようになるわけです。

>すると、要請に従うのではなく、自らが「言いたい」という欲求をもって純粋となるのかも。
自らが「言いたい」という欲求をもって言うとき、
それは、挨拶みたいなありがとう、ではなくて、
抽象的な、生成された、ありがとう、なのかもしれません。

「もう、なんでもいいから、
あんたにはありがとうと言わせてくれよっ」
言いたい、という欲求、
そして、その純粋さだけでいえば、
そんな表現が適切でしょうかw。
  1. 2015/06/25(木) 12:55:30 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>浮遊する「ありがとう」は、
>新たに自分の中のどこかに結びつきを求め、
>これまでとは違う「ありがとう」として誕生する。
あ~、いいですね~!
僕は、そんなことばっかりやってますw。
そして、勝てる相手と闘ってもしかたがないから、
敵に、ありがとう、を選ぶわけです。
たいていは素手で、
あるいは、棒っきれや長ネギや長イモを振り回して、
ありがとう、なんていう、
誰からも否定されないような、安定した言葉に挑むのは、
気分爽快ですよっw。
  1. 2015/06/25(木) 13:00:57 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>ありがとう、と思っていなくても、
>私が、ありがとう、を言うことに意義があると判断した場合、
>言います。
お~っ、道徳的すぎるっ!
まるで、カントですよ、それ!w
>自分をねじ曲げて、ありがとう、を言うことは、
>結構気に入っています。
それを言ってしまうと、
僕は、まいまいさんからのありがとうが、
受け取れなくなる~w。
>素直な、本当の、本物の、ありがとう、なんて、
>私にとっては、あるようなないような、ですから。
厳しいねっ!
自らを貶めれば、僕も引きずり下ろされますよっ。

男のほうが、ロマンティックな生きもので、
ありがとう、を敵に回したつもりでも、
実は、じゃれ合ってるだけなのかもしれません。
  1. 2015/06/25(木) 13:02:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>感謝を伝える言葉を私は、ありがとうとごちそうさまの2つしか思いつかないっす。^^;
ごちそうさま、が出てきたのに、
なぜ、いただきます、が浮かばない?w

>私からするとやって当たり前なことを、~しておきましたよーと言う人には、言う必要ないべと思いながら、ありがとうございますと言います。
わははw、
桂枝雀がね~、「たげた」を履かせる、って言ってました。
~した、そんなふうに言う人と、
~したげた(~してあげた)、って言い回しをする人がいて、
「たげた」を履かせることで、恩を着せるわけです。
  1. 2015/06/25(木) 13:02:42 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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