馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

一人は賑やか


一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

―― 「一人は賑やか」、茨木のり子



        僕は、独りでもご機嫌でいられるし、
        さらに言えば、
        ―― 独りでいるときのほうが、
        ご機嫌でいられる。
        独りになったら、解き放たれる。

    心が沈んだりはしない。
    むしろ、
    ―― 羽が生えたように軽くなる。
    他の誰かには、どう映っていてもいいし、
    他の誰かが、僕には映らない。

        誰かが僕をどう思うかではなく、
        そして、
        ―― そんなものは確かめるすべはなく、
        僕が僕をどう思うか、
        そんな地平に立ってみる。

    誓って、
    ―― 負け惜しみではない。
    敗けてもいないし、
    勝ちたいとも思わない。
    強がりは、他の誰かに対して言うものだ。



        独りで考えられない者が、
        どうして二人、三人で考えられるのだろう。
        自分の考えを持たない者は、
        代わりに、
        ―― 誰に考えてもらうつもりだろう。

    考えない者が、おおぜい寄ったなら、
    世間に考えてもらうのか。
    そうなれば、
    ―― 僕の考えることなど、
    井の中の、世間知らずの戯言か。



        独りでいるときに淋しい者が、
        他人と関わり合うときは、
        もしかしたら、
        ―― 他人と関わりたいというよりも、
        孤独に耐えられないだけではないか。

    独りでいるときに淋しくない者は、
    独りでいても淋しくないし、
    他人といても淋しくない。
    淋しさゆえに、
    ―― 他の誰かを求めたりはしない。

        独りでいるときに淋しくない者が、
        他人と関わり合うときは、
        単純に、
        ―― 他人と関わりたいときになる。
        純粋に、

        ―― 他人とのつながりを求めている。



    「一人は賑やか」、
    『茨木のり子詩集』、
    谷川俊太郎 編、2013、岩波文庫、岩波書店



  1. 2015年06月19日 21:36 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>独りになったら、解き放たれる。
トイレとかですよね?

>―― 羽が生えたように軽くなる。
確かに。^^

>―― 誰に考えてもらうつもりだろう。
上司にしばしば言われます。--;
  1. 2015/06/19(金) 22:21:20 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>トイレとかですよね?
ん、間違いない。
>確かに。^^
人が多すぎますよね~。
>上司にしばしば言われます。--;
www、仕事はまた別ですね~。

ライフハックみたいなブログもありますが、
僕のブログはなんの役にも立ちませんなぁ。
無為で非生産的で、よからぬ思いを巡らせて、
仕事が求める効率や生産性とは逆を向きます。
仕事は仕事でやりますよっw。
  1. 2015/06/19(金) 23:22:09 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

淋しがり屋の人は、
誰かといると、本当に満たされるのでしょうか。
本当に満たされるのであれば、
誰かといればいい、ということになりますけどね。
淋しがり屋にとって、孤独は「悪」とか「劣」、ですよね、きっと。
耐えられないって、どうなっちゃうんでしょう。
独りじゃ、何をしたらいいのかわからないのかなぁ。

誰かと会うのって、リスクも高いと思うんですけどね。
私にとっては、カケみたいなとこあります。
ちゃんと選ばないと。
  1. 2015/06/19(金) 23:44:47 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

一人でいるのは淋しい、
二人、三人寄ったら満たされる、
そんなのは説明不要、当りまえですっ(`ω´);キリッ;。
孤独は、変わり者で、暗くて、
悪くて、劣っていて、かわいそうです、
そんなのは説明不要、当りまえですっ(`ω´);キリッ;。
当りまえでない人も多いけど、
昔から当りまえなのですよっ(`ω´);キリッ;。

>独りじゃ、何をしたらいいのかわからないのかなぁ。
何もしなくていいのになぁw。

一人でいるのは淋しいと思うし、
一人でいても賑やかだとも思います。
どちらかの二分法ではないし、
どちらも当りまえではありません。
多数派は何も考えていないし、
少数派は、自分を貫く、みたいな過剰な気負いがあるし、
どちらも分かるし、どちらも違うし、
どちらも苦手ですよね~。

>誰かと会うのって、リスクも高いと思うんですけどね。
会わないリスクは、計測不能。
だったら、会わないと始まらないかぁ。
  1. 2015/06/20(土) 20:20:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

自分を、一人…ではなく半分と考えた場合、その半分だと思える誰かがいないと淋しい。

一人でいるとき…とは
自分を人以外の「他」で埋めているときかな…と思うのだけど…そのときは
その「他」に自分を投影していて
擬似的な自分の半分と一緒にいる…。

本を読んでいるとき、その本は自分を埋める半分になる。
他者といるとき、他者は自分の半分でもあるけど、半分としては足りない。あるいは多すぎる。
そこに、半分として相互に補い合い、成長する要素がある。
半分は半分のまま、大きくなってゆく。

井の中の蛙 大海を知らず
されど空の深さを知る

蛙は井を出て大海を知ったら
空の深さを忘れてしまうのだろうか。
そんなことはないはず。

井戸を這い上がってきた蛙同士で大海を眺めたい♪
そして、深さを忘れていないのならば
こう言うだろう。

空も広いね。海も深いね。
故に僕らは広く、深い。

半分としてあまりに足りなすぎる相手…あるいは、あまりにも多すぎる相手……
そんな人に会うのは緊張するし、苦痛になるだろうなあw
  1. 2015/06/20(土) 22:28:43 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>自分を、一人…ではなく半分と考えた場合、
お~っ、ぶっ飛んだ仮定から始まりましたね!
うん、プラトンの「饗宴」で、
そんな話があったような気がします。
>その半分だと思える誰かがいないと淋しい。
いや、ユウさんがそう仮定したから、誰かがいないと淋しいのであってw。

>他者といるとき、他者は自分の半分でもあるけど、半分としては足りない。 あるいは多すぎる。
猫といるときには、
ひとりでいるのではなく、ふたりでいるのでもない、
そんな気分がある。
ってのが、かつてのうちのブログの紹介文でした。
猫がちょうどいいかと、…失礼っ、関係ないですねっw。

>井の中の蛙 大海を知らず
>されど空の深さを知る
ふむふむ。

>空も広いね。海も深いね。
>故に僕らは広く、深い。
持って行ったね~!
そこに持って行ったね~っ!

やあ、ユウさん、
はまゆりが咲いているところをみると、
どうやら、僕らは、
海に来ているらしい♪
  1. 2015/06/20(土) 23:47:55 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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