馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

他ト我


孤独感は、一人でいるときよりも、
二人でいるときに訪れる。
僕の孤独感と、誰かの孤独感は違うのかもしれない、
そう感じたときに現れる。

分かり合えない、
ということに気づかされる。
もとより、僕たちは、
分かり合えるようにはできていないということに。

分かり合えない、
ということについては、確かに分かり合える。
分かり合える、
ということは、分かり合えないことが前提だ。


二人デ居タレドマダ淋シ、
一人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ一人ハ堪(た)ヘガタシ。

―― 他ト我、北原白秋


そんなふうに、この二人は、
分かり合えないどうしだろうか。
真実の孤独は、
ぴったりと分かり合える二人に訪れるのではないか。

分かり合える基準が、
限界まで上がってしまったから。
ほかの誰かとは、
分かり合えないことを知ってしまったから。


一人デ居タレドマダ淋シ、
二人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ一人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ二人ハ堪(た)ヘガタシ。


誰かがいなくなるということは、
死ぬということは、
僕に、二人でいることの、
孤独の意味を教えて、

いなくなることで、
僕に、一人でいることの、
孤独を与えることにほかならない。
二人の反対語は、一人といえる。


二人デ居タレドマダ淋シ、
一人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ一人ハ堪(た)ヘガタシ。


孤独は反対語もまた、孤独だろう。



  1. 2015年05月28日 21:35 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

ふたりでいるときの孤独は、ふたりしかいないという孤独、または、もうひとりを失う未来への不安のうちのどちらかだと考えました。疲れた~!!^^;(私にはわかり合える人がいるのかいないのかすらわからないからねえ。)
  1. 2015/05/29(金) 21:34:36 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

分かり合える人に出会ってしまうと、
今まで分かり合える人がいなかった、
って気づくことになりそうでしょう?
ってことは、孤独だった、って気づくことになるのかなぁ。
二人でいるのに、孤独を感じさせてくれる人、
って、北原白秋は、そこまで深いことは言ってないけどw。
>(私にはわかり合える人がいるのかいないのかすらわからないからねえ。)
それはきっと正解なのですけどね、
正解が欲しいわけぢゃないよねぇw。
  1. 2015/05/29(金) 21:56:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あるひとつの高みを知ると
低いところでは物足りない…というのは
あるかもですね…。

同じ穴にいたムジナがいなくなるというのは、なんとも寂しいことだけど、そのムジナも自分とは違うところだらけだったはずで。

では何故に同じ穴にいると感じたのか?

穴から見ている景色が同じだったのか?
その景色について互いに話せたからか?
果たして、その景色が同じだったのかどうかは、ともかくとして…隣にいることが出来た…それだけが「分かり合えて」いたかも知れない判断材料かな。

また、ひとりになったとて、ふたりで見ていた景色を探す。
『寂しさに浜へ出て見れば波ばかり
うねりくねれり あきらめられず』(北原白秋)



  1. 2015/05/30(土) 09:25:41 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>あるひとつの高みを知ると
>低いところでは物足りない…というのは
>あるかもですね…。
ねぇ、ユウさん♪、
高み以前にね~、こんな話題じたいが成り立たないですよね~w。
僕たちは、まだ成り立っているほうですけど、
成り立っているから、成り立っていることを当然としますけど、
稀有なことですわ。
その前に、僕たちは、他人とは関わらないのがデフォです。
目も合わさずに、すれ違うのが僕たちの戦略です。
心理的な接点を持てる、そう思える他人がいるだけで、
幸運なことだと思うのです。

その中でも、僕と同じように自分に向き合う人は、
僕と同じような表現をするから、身近さを感じます。
僕たちは、自分であろうとしても、
どうしても自分になれないで、他人のようによそよそしくて、
思いのほか自分らしい表現ができないのですよね~。
僕よりも他人のほうが、僕の深層に表現を合わせてくるとき、
それが、僕の分かり合えた感かな~、
僕に合わせてくるのではなくて、僕を超えてくる、
気分としては、そんな感じで。

必要になるのは、人とつながる力で、
先哲が過去に書き遺した本を読むだけでは、
哲学でもなんでもないと思うのです。
必要なのは、現在形の時制で、
同じ景色をどう理解したかを伝える力、
独りで穴にこもっている人は、哲学なんてできない。
できたとしても、僕とは関係がなく、
それで正解が導き出せたとしても、
僕は、正解が欲しいわけではなく、
間違っていても、あるひとつの高みを、
誰かと分かち合えるほうがいい。
他人、ってのは、
あきらめられないものですわw。
  1. 2015/05/30(土) 18:50:32 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>わかり合える人に出会ってしまうと、
>今まで分かり合える人がいなかった、
>って気づくことになりそうでしょう?
はい。^^

わかり合えない人に出会ってしまうと、
今まで分かり合えない人がいなかった、
って気づくことになる、
と書くのは、ナンセンスかなあ?(非質問)なにしろ私には(ryしつこい私。m(__;m

>孤独は反対語もまた、孤独だろう。
二人の孤独となることにより、一人の孤独を認識するという意味でそうなると認識したのでございます。
  1. 2015/05/31(日) 23:44:42 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>今まで分かり合えない人がいなかった、
ってなりそうですね~。
相対的ですからね~、
こんなに分かり合えない人は初めてだ、
って人に出会えば、そうなります。
しかし、その場合は、
もう誰とも分かり合える気がしなくなるぞ~w。
  1. 2015/06/01(月) 23:29:21 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

自分と周囲ってことに、言葉変えてもいいのかなぁ。
自分があることを前提として、
自分があるから、周囲がある。周囲があるから自分がある。
自分は周囲を認めている。周囲は自分を認めている。
自分が周囲を認めているのは実感が持てるが、
周囲は自分を認めていないのではという疑問が浮き上がるが、
認めなければ、ここでこうしてコメントを書いている自分を説明出来ない。
青梗菜さんという人がいて、私という人がいる。
どちらも認め合っていると、結論したい。それは、単なる認識という意味ですが。
自分と周囲が全てならば、どちらが欠けても全てにならない。
自分と周囲を合わせた全て以外のものがあるならば、
前言の全てを撤回します。
孤独とは、全てとの繋がりだと言うことも出来ると私は思います。
と、懸命に考えてみました。
  1. 2015/06/02(火) 22:43:13 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>自分があるから、周囲がある。周囲があるから自分がある。
仏教っぽくいえば、「縁起」と「自性」でしたっけ。
「縁起」は、自分だけでも成り立たず、
周囲だけでも成り立たず、なにごともそれだけでは実体が怪しくなり、
「空」にもつながる概念だったような。
そのあたり、僕は、龍樹に教わりました。
>認めなければ、ここでこうしてコメントを書いている自分を説明出来ない。
ですね~、そして、多くの人が心は脳にあると考えますが、
だから、心と体、のように並べて考えますが、
心というのは概念で、脳の中にもどこにもない、
そのあたり、僕は、ウィトゲンシュタインに教わりました。

ですが、それが正解だと思いながら、僕は、不正解を選びますw。
僕には、間違える自由があって、
そして、間違いだと知っていて間違えるのが、自由ってものです!w
脱構築的に、すべては幻想だ、なんてオチをつけてもくだらない。
人の一生は、水面に映る幻影だとして、
幻影のように生きることができる人ならそれでよろしい。
嘘でも間違いでも、幻影どうしでも、
心を通わせる努力をして生きてみたいです。
>どちらも認め合っていると、結論したい。
それは、単なる認識という意味を超えて、ですよ!
ですよねっ、まきがいさんっ!
恥ずかしがらずに、正直に伝えることができる、
逆に言えば、僕を正直でいさせてくれる、
いつだって、僕は、そんな人を探しているのですw。
  1. 2015/06/04(木) 22:57:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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