馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

返し論 3/x


    きっと、僕は、
    僕がおもしろいと思うことを、
    おもしろがってくれる人を探している。
    だから、なるべくなら自分を崩さずにいたい。
    そのためには、正直であること、
    それ以外に方法はない、と思っている。
    逆に言えば、僕を正直でいさせてくれる、
    そんな人を探している。

僕たちの日常は、
嘘を社交辞令に混ぜ込んで、
心にもないことを言い合っている。
内実がともなわないような、
空々しい受け答えを繰り返している。
うっかりすると、ネットでのやり取りでさえ、
社交辞令の応酬になってしまうが、
そんなのは、もうたくさんだろう。

    それとも、多くの人たちは、
    ネットにおいてでさえ、
    そんな返答を望んでいるのか?



嘘をついていることを知りながら、
その場しのぎに相手をほめることは、
分かり合おうとする気持ちさえない、
ということだ。
事実からかけ離れた相手と、嘘つきの自分を、
その場かぎりで、仲良くさせよう、
ということだ。
相手も自分も、馬鹿にすることだ。

    できることなら、
    やむを得ず、不本意にほめるときでも、
    嘘にならないようにしたい。
    多義性を駆使して、詭弁を弄してでも、
    なんとか嘘にならないようにほめたい。
    自分に筋を通すことができなくて、
    どうして他人に筋が通せる?
    僕たちはネットで、誰のために何をしている?

負けるな、嘘をつくな、
弱い者をいじめるな、
小さい頃に、そんなふうに教わった。
カントの定言命法は、
嘘をつくな、ということだ。
なんとかして、嘘を回避して、
真実を語ろうとする意思が、
評価に値する、ということだ。

    負けるな、嘘をつくな、
    弱い者をいじめるな、
    どれも、無条件に正しいと思う。



  1. 2015年05月25日 22:53 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん」、こんばんは!!^^

>嘘をついていることを知りながら、
>その場しのぎに相手をほめることは、
>分かり合おうとする気持ちさえない、
>ということだ。
これは次の日とかに、なんかいやな気持になるやつ(僕はね)だ。
だからしたくないと感じます。

>多義性を駆使して、詭弁を弄してでも、
>なんとか嘘にならないようにほめたい。
おおお、そんな方法があると言うのかー!!m(__;m

でもなあ、、たまにリアルでは嘘も方便派かも、僕は。^^;
  1. 2015/05/26(火) 00:19:42 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

難しいなあ~、でも、そうなのですよね。
そうでないと話が出来ない…っていうのはあります。

青梗菜さんは、以前、私の詩に対して
「独善的だ」、「その過剰なまでの分かりにくさで…」とコメントくれたなあ~♪ ちょっと、うちのログを見てきたのです。
で、私もマジレスしていた(笑)
「私は私の詩をやる」w

今も私は私のやり方を変えていないし、こちらの欄でも違うと思ったら言うし。

それぞれが違うのは当然で、それを理解したうえで
相手が何を言いたいのか考える…。そしてそれに対し自分が何を言いたいのか考える。

「返し」は難しいけど、ネットでは考える時間を取れる。
なのに、考えないコメントをする意味って何なのだろう…。
義理と人情なのかな?
だとすると、それも捨てがたいなあ~♪

義理と人情のコメントを貰うとなると…
義理と人情のコメントを返したくなる(笑)
浅いやり取りになるのは明らかですが…υ
  1. 2015/05/26(火) 01:27:42 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>これは次の日とかに、なんかいやな気持になるやつ(僕はね)だ。
そこに抵抗感がないほうが、楽ちんに過ごせると思うし、
それが大人ってことらしいのですが、
僕もだめですね~、子どものままです。

>おおお、そんな方法があると言うのかー!!m(__;m
例えば、反戦詩みたいなもので、軍部には読みとれないけれど、
でも、分かる人には確かに反戦の思いが伝わるような。
まわりにギャラリーがいるときは、
ギャラリーには伝わって、相手には伝わらない、
そんな感じで。
  1. 2015/05/26(火) 21:48:36 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>「独善的だ」、「その過剰なまでの分かりにくさで…」とコメントくれたなあ~♪ ちょっと、うちのログを見てきたのです。
わはw、憶えてないっw。
>で、私もマジレスしていた(笑)
>「私は私の詩をやる」w
お~、決裂してるな~、
そして、憶えてないっw。

コメントを書いてもらえるだけで、
なにごとかではありますから、
手紙みたいなもので、書かれただけでラブレターの意味を備えます。
多くを求めることもないのですが、
でも、ユウさんのコメントは、
多くを求めてもいいですよ、って書きようなのですよ~w。
そして、もう、典型パターンの、
年賀状みたいなコメントには戻れないなら、
ハードルを上げているのは、誰だ?w
  1. 2015/05/26(火) 21:55:03 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

言葉の持つあやふやな感じはこの場では「それは当たり前だ」として、それを乗り越えて行くには何かしらの気概を見せなきゃならないし、私には青梗菜さんの言葉は突き付けられる鋭利なものに感じられます。
しかし、そのあやふやな言葉の更に前提となる、何と言うか基盤みたいなもの。
それが自分とあまりにかけ離れてしまっている誰かとどう向き合えば良いのか、そもそも向き合う必要は無いのか。
例えば最近ではドローン飛ばし少年。
遠隔操作ウイルス事件の、大人になれないオトナコドモ。
自分の子供を檻に閉じ込めちまう化け物。
戦争とは呼べない戦争をでっちあげようとする資本の暴走。
あ、最後の一行は、書きすぎですかね。
  1. 2015/05/27(水) 22:26:27 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>しかし、そのあやふやな言葉の更に前提となる、何と言うか基盤みたいなもの。
>それが自分とあまりにかけ離れてしまっている誰かとどう向き合えば良いのか、そもそも向き合う必要は無いのか。
自分とかけ離れた誰かと向き合うことは、できないことだと思うのです。
できないことをしようとしてもしかたがありません。
>あ、最後の一行は、書きすぎですかね。
いいえ、ぜんぜんw。
極端な例を出さなくても、毎日のふつうの生活の中でも、
かけ離れている人が、僕には何人もいますが、
もう、向き合わない、と決めました。

基盤が読み取れる人と出会うことは、とても幸運なことで、
でも、読み取れない人に対する絶望が深くなります。
ぴったり型が合う人と出会えば、
とんでもない孤独感が襲ってくるのは避けられないでしょうね~。
合う、っていう基準が引き上がってしまいますから。
いいことばかりではないようですが、
それでも、幸運なことだと思うのです。
  1. 2015/05/28(木) 20:15:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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