馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

嫌い、ってことは 6/6


    嫌いなものごとは避ける、
    嫌いな人とはつき合わない、
    それ以外になにができる?

    自分が変われば世界が変わるとでも?
    なんて無力な発想だろう。

変われる人は、
たぶん、最初から自分なんて持っていない。

好きになることが、できないから嫌っている。
嫌いな人ともつき合うということは、
できないことをすることだ。


    両親が作ったベースに、
    テレビや、ラジオや、小説や、マンガや、
    音楽や、映画や、出会った人たちや。

    僕は、いくつものパラメータが引き渡されて、
    幾重にも折り重なったなれの果てだ。

嫌いなものごとのために、嫌いな人たちのために、
譲り渡せるものなど、なにひとつない。

僕を作ってくれた、僕を支えてくれた人たちを、
僕は大切にしたい。
僕が嫌いな人たちよりも。


    弱い立場の者に強く当たる人、
    自分よりも悪い状況の者を見下す人、
    他人を馬鹿にして笑いを取る人。

    そんな優しくない人たち、
    それらは優しさとは関係がない思っている人たち。

上か下か、強いか弱いか、勝つか負けるか、損か得か、
そんな物差しで他人を測るのが、
習い性になっている人たち。
それが大人で、それが世の中で、それが世渡りで、
それをコミュニケーションスキルと呼んでいる人たち。

    思慮の浅いふるまいに、
    嫌悪感を持ったなら、
    対他的な道徳に従うだけの善行に、
    嫌気がさしたなら、
    見せかけの優しさを不快に感じたなら。

嫌いと思う感性を、鈍らせてはいけない。
その判断基準を、捨ててはいけない。
捨てても、ぜんぜん意味がないから。
おそらくは、僕がなにを嫌っているのか、
それさえも分かり合えることはないのだから。

    嫌い、ってことは、
    譲れない、ってことだ。



  1. 2015年05月16日 23:02 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

相手か自分かどっちかが変わるしかないのだと感じました。自分が変わるのは極めて難しいかもしれないのですが、興味がある。

>僕を作ってくれた、僕を支えてくれた人たちを、
>僕は大切にしたい。
だよねと感じました。m(__;m(いつも、中途半端と僕が感じるコメントですまん。)
  1. 2015/05/16(土) 23:25:38 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

みんなちがって、みんないい、
いいけど、好き嫌い、って感情はわいてきますからね~、
好きな人も、嫌いな人もいてもいい、
それが、みんなちがう、ってことなのでしょう。

いてもいいけど、自分の中には取り入れたくないから、
嫌いマークをつけて、ていねいに排除しているのかもしれません。
好きマークがついている人は、
また、僕を作ってくれる人になります。
仲良くなれれば、僕の一部みたいなものですね~。
  1. 2015/05/17(日) 15:24:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

譲れない。

「譲れない」って感じるのは、「譲れ」と要求される危機感を感じているのかも。
相手から自分と同じになれ…というような圧力を感じる。
大勢に対する反発から「譲れない」が出てくる。
揺らがないものなら「譲れない」という感覚は現れないように思える。
つまり「譲れない」のは、揺らがないように反発しているからだろうと考えられるかな。

反対に大勢から何かを「奪おう」として見たらどうなのだろう…。

例えば…私の嫌いな吉本ばななの文章から何かしらを奪うとして……

うわ~、いらない……。

「嫌い」とは、たとえお金を貰ったとしても「いらない」という側面もありそうw
では、この場合の「いらない」とは、どういうことか……。

ばななが作家になったのと同時期に吉本隆明は
確か…こんなようなことを言っていました。

「これからの文学は、誰にでも読めるようでなくてはならない」

すごい援護射撃♪
この台詞が一番嫌い。

多様性を活かそうとして
予期せず殺している有名思想家のその台詞と
それに見合う小説。

多分、私は吉本ばななの小説に
日本語における文章表現の基底のようなものを感じているのかもです。
そして、基底は重要だけど、
基底しかない家には住めない。
だから、いらない。

おそらく、ばななは
父親である隆明が権威についてゴチャゴチャと反発することや晦渋とされている隆明の文体に反発したいだけなのだろうけど。
と、すると……
ばななの「譲れない」の形が
あれらの小説なのかなあ。

吉本隆明は世の中にある権威に反発してた思想家で、娘にとってオヤジは権威。
隆明も父親という立場である隆明自身が持つ権威に反発しての「これからの文学は…云々」なんだろうし…。反対の反対は賛成w

吉本ばななを嫌うことは権威への反発の反発の反発になる。
反発を標榜する吉本父娘の思う壺だw
うーん、参った参った(笑)

  1. 2015/05/18(月) 23:24:03 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>つまり「譲れない」のは、揺らがないように反発しているからだろうと考えられるかな。
ん~、いろいろですね~w、
譲れないおれって、かっこいい、ってものあるなぁw。

ユウさんてば、吉本ばななに捉われ過ぎ、
…とは言わないw。
そんなことを言う人は、たいていは、
捉われ、っていう先入観に捉われてます。
ドヤ顔でね、穿ったつもりでね。
この程度で捉われるなんて言ってたら、
僕なんか、あらゆることが、がんじがらめに拘束されていて、
身動きがとれませんわ~。

吉本ばななの小説が表現している抽象空間は、
分かる人には分かるのでしょうね~。
分からない僕には分からないだけで。
>多分、私は吉本ばななの小説に
>日本語における文章表現の基底のようなものを感じているのかもです。
下手なだけ、って気がするけどなぁw。
リズムが悪くて、単語のコードの組み合わせが馬鹿っぽくて、
不思議な体験に頼ってしまうストーリーが独善的で、
小説にも、ヘタうま、って成り立つのですね~、って僕は思うくらいで。
かもしてくる空気感、それは感じるけれど。

僕たちは、たった100年前の文学が読めないし、
200年前なんて、ぜんぜん無理で、
基底のようなものがあるとしても、
日本語のテクストの蓄積とは、連続性がない気がします。
>「これからの文学は、誰にでも読めるようでなくてはならない」
吉本隆明も、軽くて薄い対談集ばかり出してたけどw。

吉本父娘をまとめて、どうでもいい扱いでいかが?
嫌うまでもない、和田アキ子みたいな扱いで。
  1. 2015/05/19(火) 23:21:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

人が嫌い

こんにちは
人を好きになったり、嫌いだったりすることに、理由はないですよ。
その感情を、納得させるために理由付けをするだけです

僕は障害を持っているので、攻撃されそうな人(必ずしも嫌いというわけではないが)からの関わりは避けます。

その人の不純な心とは、相容れないですから。とどのつまりその人は嫌いの範疇に入ります。

自分を愛してくれる、あるいは愛したい人と、関わりあったほうが詩もいい詩が書けますし、満たされるものもあるような気がします。
そういう人は少ないですから、孤独も感じるでしょうが、孤独でもいいのです。
  1. 2015/05/20(水) 13:41:43 |
  2. URL |
  3. 金さん #n05n40aw
  4. [ 編集 ]

金川さん、こんにちは。

ユウさんちで、何度かお見かけしていますw。
>人を好きになったり、嫌いだったりすることに、理由はないですよ。
ですよね~、
理由よりも、好き嫌いが先に立ちます。

>そういう人は少ないですから、孤独も感じるでしょうが、孤独でもいいのです。
たぶん、誰でも、
好きな人は少ないのでしょう。
感受性とは、感受性が違うと見過ごしてしまうものごとを捉える能力、
って気がします。
つまりは、ひいては、またしても、
自己中な在り方しかできないなぁ。
  1. 2015/05/21(木) 21:08:30 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

今読み終えた井筒俊彦の大乗起信論の本に、
今回のシリーズにおける個別実存意識(現象界)のメカニズムの事が解説されており、
それが青梗菜さんの言語により見事にビジュアライズされています。
あまりに長くなってしまうのでさわりに留めますが、
不覚のエネルギーがアラヤ識のゼロポイントに働きかけ、
忽然念起(宗生には意識されない)と妄念が沸き起こりあっという間に分節されていくという一瞬のダイナミックな連動が、細かく解説されていました。
唯心論のアラヤ識と起信論のアラヤ識との違いは、覚と不覚の間の双方向性にあるとも書いてありました。
内容はともかくとして、
今回のシリーズを読んでからその本を読みはじめたわけではなく、
言うまでも無く私の読書に従ってこのシリーズが書かれたはずもありません。
もう不思議と思うことはありませんが、私はちょっと怖い。
  1. 2015/05/22(金) 21:55:07 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>今読み終えた井筒俊彦の大乗起信論の本に、
>今回のシリーズにおける個別実存意識(現象界)のメカニズムの事が解説されており、
>それが青梗菜さんの言語により見事にビジュアライズされています。
いやぁ、もちろん僕も、大乗起信論をビジュアライズすることを意図していました、
って、返しておきますw。
>不覚のエネルギーがアラヤ識のゼロポイントに働きかけ、
>忽然念起(宗生には意識されない)と妄念が沸き起こりあっという間に分節されていくという一瞬のダイナミックな連動が、細かく解説されていました。
いやぁ、わはは、そうですか、そうでしょう、そうに決まってる、
わはは、用事を思い出しましたので、このへんでw。

しかし、シンクロしてますなぁw。
僕も、いつだったか、2羽のツバメが追いかけっこをしているのを眺めながら、
夢を見ている気分になりました♪
やつらには、慣性も重力も揚力も、お構いなしの全能感がありそうです。
鳥からしてみれば、地面から離れられない生きものなんて、
二次元のものなのでしょうね。

イドとかエスとか呼ばれる心理学のモデルを、
大昔に扱っているアラヤ識、
人の世界は、言葉による誤謬の投影だと気づいています。
色即是空、ってやつですね。
大乗、唯識、かっこいいな~!
  1. 2015/05/23(土) 12:50:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/917-8d69686a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)