馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

猫は、±0 か?


例えば、猫は、
相当に頭が悪い。
過去を憶えていることができない、
未来を想うこともできない、
現在の状況しか生きられない。

人は、相当に頭がいいが、
現在の状況しか生きられないことは、
猫と変わらない。
人は、いつでも、必ず、
今、置かれている状況を生きている。

それなのに、
人は、明日のために生きて、
さらには、
明日のために死ぬ。
人は、今日のためには自ら死なない。

明日への望みが絶えたとき、
終焉は現在に引き寄せられる。
僕たちに見えていて、
猫には見えていないもの。
僕たちが持っている余計なもの。

それは、未来と希望ではないか?


    見てきた物や聞いた事
    いままで覚えた全部
    でたらめだったら面白い
    そんな気持ち分かるでしょう
    ―― 情熱の薔薇

    だから、明日のことまで思い悩むな。
    明日のことは明日自らが思い悩む。
    その日の苦労は、その日だけで十分である。
    ―― マタイ6章34節

    過ぎ去れるを追うことなかれ。
    いまだ来たらざるを念(ねが)うことなかれ。
    過去、そはすでに捨てられたり。
    未来、そはいまだ到らざるなり。
    されば、ただ現在するところのものを、
    そのところにおいてよく観察すべし。
    揺らぐことなく、動ずることなく、
    そを見きわめ、そを実践すべし。
    ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ。
    たれか明日死のあるを知らんや。
    ―― 一夜賢者経



猫は、死に臨むまで今にいて、
いまわの際まで今を生きる。
答は、すでに猫の身体に書き込まれていた。
猫が、今、ここにいる、
それだけが猫の答だ。

食糧を背負って歩く猫はいない。


    だから、言っておく。
    自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
    また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
    命は食べ物よりも大切であり、
    体は衣服よりも大切ではないか。
    ―― マタイ6章25節



    single 『情熱の薔薇』/album 『BUST WASTE HIP』
    甲本ヒロト 作詞、作曲/THE BLUE HEARTS
    1990、Warner Music Japan

    『聖書 新共同訳 和英対照』
    1997、1992、日本聖書協会

    『阿含経典による仏教の根本聖典』/増谷文雄 著
    1993、大蔵出版







  1. 2015年02月23日 21:43 |
  2. 未分類
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  4. | コメント:16

コメント

明日のことは考えなくていい、という言葉は、
苦悩を抱えている人の、今を楽にさせてあげる言葉ですよね。
とりあえず、今、その瞬間だけでも楽にしとく必要があるくらい、
切羽詰まった人には、すっと届く言葉だと思います。
ちょっと復活したらまた、
明日のことを考えなければならない。人だから。
明日のことを考えることは、苦しいことです。

  1. 2015/02/24(火) 01:22:10 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

未来とか、希望とか、
聞きざわりのいい言葉は否定ぎみに書きたくなります。
ひねくれ者ですね~w、面目躍如ですw。

どこを見て生きているか、
それって、人それぞれだったりします。
未来指向が肯定されるし、
未来とか、希望とかは、誰からも肯定される言葉です。
だから、現在や過去を見ている人は、
否定的に貶められます。
過去にとらわれる、って言うけど、
未来にとらわれる、とは言わない。
とらわれているのにね、
未来を夢見て、現実から逃げている人は、
多いと思います。

結果にとらわれて、未来から現在を見続ける、
それは苦しいなぁ。
毎日、小さな幸せを選んでいるうちに、
未来に運ばれてほしいです。
未来には別に行きたい場所なんかなくて、
たどり着いた場所でいいですから。
  1. 2015/02/24(火) 18:57:39 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

私は、野のユリの美しさに囚われるタイプだなあw
だから前のコメントで明日と言われて、やはり、「思い煩うな」と諭されたような気分もありました。

野のユリは愛されるのに…愛されない人がいるのは何故だ…υ 私はイエスに日々キレ気味で問い続けていますw
されど愛されないからこそ真にイエスに対して親和性を持つのだ…とも思います。これは明日の無いほどに弱っている人ですね。

明日食べるパンが今無いことは、明日食べるパンを期待できない。明日の肉体の維持が期待できないかも知れない。
人はパンのみに生きるにあらず。
とは言いながら、彼のもとに集まった人々にパンと魚が行き渡るようにと伝えるイエス。
パンが欲しいのに石を与える親はいない。
魚が欲しいのに蛇を与える親はいない。
……いるんだよなあ(笑)

肉体は数日食べなくても生きるように出来ているのが…なんとも皮肉です。
待てというのか? いつか来るかも知れない明日ってやつをw あ、これって終末思想ですね♪

因果のことを考えると
過去が今を作って今が未来を決定するから
今を生きることは未来を観ていることになる。

プラスであろうとすることを
「明日、未来を志向する精神」と考えた青梗菜さん。「自己の肉体の維持と支配」と考えた私。

ここから見えてくるのは
「人は永遠に継続して生きようとする」ことがプラスだと思っている側面がある、ということ。自ら命を絶つのも「生きられない」と確信するから。

宗教は、
肉体は永遠になど生きれない、生きるなと伝え、
精神は永遠に生きる、生きろと伝える。

何故、この世界で生きようとするのか?
スピリチュアル方面に答えらしきものは溢れているけれど……w

図らずも二元論の領域へ?
かと思いきや、プラスとマイナスという二元論が端から内包されていたのか~w
  1. 2015/02/24(火) 22:37:15 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

後出しじゃんけんとなるコメントでゴメンなさい。
今死んでしまう自分を瞬間的に切り取ることが出来るのならば、
今これを書いている状況の中で、私の人生はかなりプラスだと思います。
好きなものに(相手がどう思うかは別にして^^)囲まれているし、
まだ掘り起こすべき対象も多くあります。
しかし生命は連続するものなので、
あらゆる瞬間を切り取れず、
過去が宇宙のように膨らんでいくだけなのではないかという思いが強いので、
例えば脳が死ぬという事を考えても、
脳の細胞が一切の再生をやめる瞬間をとらえることが出来ず、
私の私である意識は、瞬間の拡大の中へ放り込まれ、
新しい判断を始めるのではないかと想像しています。
それは今考えているあらゆる現実への判断が無意味となるので、
どうなるかは全く想像出来ないというのが、
私の考えの限界です。
想像ですが、幸せも不幸せも無く、
ただ見ている存在になれるのではないかと期待しています。



  1. 2015/02/25(水) 22:40:20 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>図らずも二元論の領域へ?
聖書を引くと、心身二元論が待ち受けていますね。
一歩目を精神か肉体かどちらかにしないと、
人は踏み出せないのかな。
猫は一元論ですね~、それは間違いないな~。
四本足はいいなぁ、軸足が分からないw。

>何故、この世界で生きようとするのか?
猫は答えませんなぁ。
今、ここにいる、それがすべてです。
人の暗号のような言葉の中には何もないよ、
って言うかな。
猫と僕たちは違うけど、ユリよりは近いよな。

対比してしまうと、二元論に引っぱられますね。
二元論で行くなら、
猫を、生きもの+相当に頭が悪い、
人を、生きもの+相当に頭がいい、として、
猫が幸せでなければ、人は不幸ではないのかな。
生きものが不幸でつらぬかれているのなら、
生きものである以上、人は幸せにはなれない。
では、まず猫を幸せと呼んでみようかなぁ。
未来も希望もなくても、幸せだと言ってみよう!
  1. 2015/02/26(木) 17:05:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>私の私である意識は、
この世に留まるんだ、二元論だなぁ。
ただ見ている存在なら、手も足も出せない、
口出しもできない、それはもどかしいなぁw。
見ちゃいられませんよね、
とかなんとか、誰かに言いたいなぁw。

僕に置き換えてみれば、その世界は、
僕みたいな考えが足りない人が観ている世界ですよ!
僕のような優しくない人が見渡す世界ですから、
世界は、つまらなくて優しくない劇場になります。
いいのかなぁ、そんなので、
って、あ、そうかぁ、
いいも悪いも、今もそうなのですよねw。
  1. 2015/02/26(木) 17:07:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

未来・明日と現在の境界線が、24時境界なのか、睡眠境界なのかが気になりました。^^;

否定的未来を思う場合、それはちょっと余計な物のように思わさるけれど、ケースバイケースでは、と感じました。^^;

>猫は、死に臨むまで今にいて、
>いまわの際まで今を生きる。
私はこの言葉が好きになりました。m(__;m
  1. 2015/02/26(木) 18:19:02 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、丁寧なお答え、いつもどうも有難う。
物質がどのように組み合わさると生命となるのか、
DNA以外の何かを持ち出さないと私はどうしても納得がいかず、
生命の動きに合わせて考えれば必ず死という境界を踏み越える事は明らかであると思うのですが、
生殖細胞が個体の発達においてかなり早い段階でただ一度減数分裂してから増やすことで出来上がってしまうらしいので、
そうなると成長した個体の記憶はどうやらDNAには載せられない。
そじゃぁどうやって進化するのだろう。
進化は私が想像しているものとは、かなり違うんじゃないか。
記憶は、自分の外がわにあるんじゃないか。
なんて、無理やりこじつけたりしたくなります。
私はあせって多くのものを詰め込み過ぎなので、
きちんと書いたり、振り返ったりというのが全く不足しています。
こうして皆さんのコメントを読んだり、
青梗菜さんの本文の投げかけを考えたり、
とても有り難い経験となります。






  1. 2015/02/26(木) 21:39:21 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

境界は、然るべく、御意のままにw。

僕が画用紙だとしたら、余白が少なってきたし、
クレヨンだとしたら、ずいぶん短くなってしまいました。
大きな夢は描けない、それだけのことかもしれませんね!
未来や希望を余計なものにしたがるのは。
  1. 2015/02/27(金) 22:55:29 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

DNA、ですか~!
僕は、化学の話は頭が拒否ってしまって、
なんだかローラとかきゃりーみたいになるのですよ~w。
苦手なんだな~、そのあたり。
知ったかもできないw。

未来とか希望とかって、
未来が目的で、現在が手段になるのですが、
今が楽しくないと、
明日なんて語る気がしなくなるんだな~。
疲れてんのかなぁw。
  1. 2015/02/27(金) 22:56:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

う~む、青梗菜さん、
ちょっと長いのを失礼します………υ

やはり、私は明日を思いわずらう…。むしろ思いわずらいたいw

海底まきがいさんから提示された
>私の私である意識……

これはコギトの問題ですね。なるほど、と。
対象を思う自分がいるから自分が在る…。この感覚こそが対象が在るという信頼であるかと。
明日に対する信頼。これが無いから不足を感じてしまうのかも。
明日の猫のご飯を用意するのが人の場合も多々あって、猫の明日のご飯が無いと猫が困ったことになる…というコギトが人に働き、明日の猫のご飯を用意し、猫という対象の存在の明日に信頼を得る。
「明日も猫が生きている可能性は高めだ♪」

大抵の場合、自分と明日との間に距離があり、何故なら明日がどんなものか分からないので明日に対して信頼が無い。

この距離を縮めることが明日への信頼を回復することになるのかも。
分からない明日との距離を縮めることが出来るのは、おそらく想像力だけ。想像力というコギトなくして、人は明日の中に入ってゆくことは不可能と思います。

それらを想像することは無意味な妄想だという観念が一般的なので、人は明日が今になるまで明日を生きれない。そして、それは明日ではない。

想像は分からない明日に価値(プラスマイナス問わず)を与え、自らは、明日に価値を与えた主体として在ることが出来る。
なんか詩論のようになってきましたけど、
今に在り明日の実在という信頼を獲得しようとするなら
想像することだけが強い力になりそうです♪


海底まきがいさん、こんにちは♪
>外側の記憶
>個体の記憶はどうやらDNAには載せられない。

夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』は、精神遺伝の話で先祖代々の精神が細胞に記憶されているっていうものでした。(もうお読みになってたら説明ごめんなさい)。
脳はそれらの記憶の制御装置でもあり、脳が何らかの理由でシステムダウンすると細胞の保持している先祖の記憶が発動してしまう。それが精神 異常の本質だ、というものでした。精神 異常の例を調べてみると丸っきりフィクションとも思えないです。自分の身体が魚やヘビになる幻覚に捕らわれている人もいるし。
仮に、細胞に全生命の記憶が遺伝しているとすると…内側の記憶で身体や言語獲得能力は形成されそうですが…。
セイシのミトコンドリアはしっぽの部分にあるので受精の時、シャットアウトされてしまう。ということは、少なくとも男親のミトコンドリアが保持している記憶は遺伝しないですねw

ここからは、何の根拠もないのですが、
脳を輪切りにすると蝶の形の空間が現れますよね。ギリシャ神話のプシュケは蝶の翅の生えた少女で、プシュケとは魂という意味でPsychoの語源。そんなことから類推しまして……
私はこの蝶形を顕しもする脳室こそが、魂が在る場所だと考えています。

或いは、この魂がアカシック・レコードなどと呼ばれる外部記憶を保持しているのかも知れない…などと思いました。

  1. 2015/02/28(土) 00:54:48 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

まずは、デカルトを片づけます。

    明日はどこにも用意されていないし、
    昨日はどこにも保存されていません。
    それなのに、僕たちは、
    どこから来て、どこへ行く、なんて考えます。
    そういえば、未来と希望、
    そんなのも、どこにも見つかりませんよね~。

    心と身体を持った僕がいて、
    身体は、確かに存在していて、
    意識もあるから、誰かに見てもらいたいけれど、
    心はどこにも見つかりません。

    心は、「会社」みたいなもので、
    部屋や机や椅子は会社ではないし、
    従業員も会社ではないけれど、
    それらぜんぶをひっくるめて会社です。
    「会社」じたいはどこにも見つかりません。
    「戦争」も、ミサイルは戦争ではないし、
    国も、民族も、兵士も戦争ではありません。
    「心」も、うれしいは心ではなくて、
    悲しいも、幸も、不幸も、それぞれは心ではなくて、
    まとめてひっくるめた概念です。
    概念は、ただの言葉ですから、
    「心」なんて言葉がこの世界からなくなれば、
    この世界に心はありません。
    愛も正義も未来も希望も、ただの言葉です。

    見てきたものや聞いたこと
    今まで覚えた全部
    でたらめだったら面白い
    そんな気持ちわかるでしょう♪

概念と物が同じカテゴリーで語れないように、
心と身体も同列に並べることはできません。
ですが、僕たちは、
心と身体が同じカテゴリーで語れると勘違いをします。
むしろ、勘違いをしたまま生きるのがふつうです。
勘違いをしないと、明日が来ません。

今があって、明日は疑わしい。
疑わしいところには、信頼が生まれます。
明日は、続きますね~。
僕がいなくても続くと思います。
人がいなくなったら、きっと明日は来ません。
明日が来る意味がないし、
明日じたいが意味ですから。

というわけで、
僕たちが持っている余計なものは、言葉。
外側の記憶とは、
与え続けて膨れあがった意味、
そんな感じで。
  1. 2015/02/28(土) 16:28:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、ユウさん、更なる丁寧なご示唆どうも有難う。
弁解するようで申し訳ないんですが、
私は今までこの場で自分の限界を超える発言をし続けております。
qinggengcaiというこの場に触れ合う皆さんはここが単なる場でないことにご同意頂けるでしょう。
私は、知りたいことはどうしても知りたいし、
誰かに尋ねなければ手がかりさえ掴めないと思います。
ただ見ているだけでは、
自分自身の今ここを見ているあなたのコメントを書かなければ、
この場は動き出しません。
私は、そういった動きはとても貴重なものだと感じています。
この場に集まる皆さんに、更なる動きを与えて下さるよう、
私は願っています。
  1. 2015/02/28(土) 21:16:32 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

いやいや、まてまて、単なる場ですって!

しかし、皆さん、熱いな~!w
そして、正直です!w
文章のオリジナル感が半端ない。
無難な結論に落とさない。

僕たちがしていることは、互いの書いたことを読んで返す、
ただ、それだけのことで、
しかし、それ以上でも以下でもないとき、
それは稀有なことに違いありません。
誰かのため、なにかのためでなく、
ただ、読んで返す、
その行為は、単純にして、かつ、もっとも困難です。
自己の行為を能動と意識したとき、
他者は受動に転位させられます。
そのとき、単に、~する、~されるという行為は、
~してあげる、~してもらうという意識に歪められてしまいます。

教えてもらう、教えてあげる、
そんな構えの人はここには誰も来ません。
自尊もなく、卑下もしない、
そんな会話を成り立たせるのは決して容易ではありません。
皆さんに、感謝!
  1. 2015/02/28(土) 22:07:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

余計なもの。う~ん、言葉かあ。
「オッカムの剃刀」でスパッと唯名論ですな~。

唯名論は経験と直観、つまり理屈抜きで「猫」として分かるものが「猫」であるとして
証拠の無い抽象的な特性を
客観的世界の反映ではなく、人が勝手に作ったものだという立場で、
はい、おしまいっ!! アオッ、This is it!!
と剃刀でスパッとやってしまうw

唯名論は存在に眼、耳、鼻、舌、身、意で知る六識という認識に証拠を求める。
「明日」があるという証拠は何だろう?
カレンダー?
ってことは星の運行。
太陽が昇り沈み、また昇る。
ここから明日を思うことは経験であり直観かも。これは明日の証拠かも知れない。

心がある証拠は?
感情の発露?
これは経験であり、直観かも知れない。心の証拠かも知れない。

果たして
私たちは±0を理屈抜きで分かるのだろうか?
私たちの認識(言葉)は±0を捉えられるのだろうか?
私たちが±0を考えることは剃刀でスパッとやられるべきことなのだろうか?

唯名論の立場に立った時、たぶん、プラスは理屈抜きで分かる。なぜなら嬉しいという感情が現れるから。これは経験と直観としてプラスの証拠になるだろうと思います。
うわあ……感情の哲学に逆戻りw

『「好き嫌い」こそ最強理論である説(後ろ楯として運命論)』を提唱したい……υ

或いは「全部デタラメ説」をw
するとデタラメもデタラメってことに…つまり全部真実。全部デタラメ説、崩壊w

言葉を奪われることは、死んだも同然。言葉を奪われた者は言葉を発する者の奴隷。
魂の限り、命の限り、言葉を発せよ。
私たちは、奴隷ではない。
その証明は我々が発する言葉にある。


そしてコメントについてですが……υ
私としては、仰る通り、受けて返す。ほんとにそれだけですね。しばらく考えはしますけどw
ただ、私がここに初めて来たときから、皆さんが示していたスタンス、それに習っているところは正直ありますw
そのスタンスとは、青梗菜さんの記事を「テーゼ(命題)」として捉える…ということですね。

ここのタイトルにあるように青梗菜さんの記事は「Q」クエスチョンなんですよね。読んだ人に「A」アンサー、つまり自分がどう思うのかを問うている。

いや、しかし、青梗菜さんは大変だっ(笑)
Qに対するAをQとして
Aもしなけりゃならない。

類はなんとやら…ですよっ(笑)
  1. 2015/03/03(火) 11:22:28 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
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ユウさん、こんにちは。

ん~、唯名論、
調べたけどよく理解できない~w。
それでもめげずに続けるなら、
「猫」は人が作ったものだと思います。

僕たちは、さまざまな猫を、すべて「猫」と呼びますが、
実在するのは、さっき屋根から跳んだ生きものや、
そこであくびをしている生きものです。
「猫」は唯の名になります。

「心」も人が作ったものだと思います。
僕たちは、さまざまな心的現象をすべて「心」と呼びますが、
感じるのは、うれしい、悲しい、
もやっとする、いらっとする、そんな現象です。
「心」も唯の名になります。

塀の上を歩いている生きもの、陽だまりで寝ている生きもの、
「猫」はそれらの個々の生きものを束ねた、
一段高い、メタ・レベルの概念です。
感情はある、経験もある、直観もある、としても、
「心」もそれらを束ねる一段高い、メタ・レベルの概念です。

言葉は最強です。
心、と名辞するだけで、心ができあがります。
無限とか、永遠とか、そう言ってしまうだけで、
そんなものがあることになってしまいます。
そして、言葉より前には、言葉が存在するより以前には、
石ころひとつも存在しません。

明日、と名辞するだけで、明日ができあがります。
もしかすると、時間も僕たちが作ってますよね。
少なくとも、過去から未来に向かう流れは、僕たちが作ってます。
僕たちが、原因、結果という思考のパターンをやめてしまえば、
時間は逆向きに流れ始めるのかもしれません。
宇宙の側からしてみれば、
宇宙は僕たちを得て、はじめて自らを想うことができたわけで、
宇宙だって僕たちが作ったようなものです。

ヨハネ、第一、1、1、
始めに言葉ありき。

わはw、
「Q」は青梗菜の「Q」、
Q is for qinggengcai、ですw。
  1. 2015/03/03(火) 21:48:04 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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