馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

優しさ、に対して


吉野弘の「夕焼け」には、

娘の行動と優しさ、
ひいては、作者の優しさが書かれているが、
作者の行動が書かれていない。

だから、僕は、
作者の優しさ、に反して
すれ違う組み合わせを作ってみた。

行動を伴わない優しさは、
彼女に対しては、何の意味も持たない。
ひねくれ者の読み間違いが許される所以だろう。


考えることによって、
作者は、何も行動に移すことなく済ませた。
考える人は動かない。

それは作者も知っている。
優しい心に責められているうちは、
彼女は座ったまま動けない。


他人のことは行動で判断するのに、
自分のことは思索で判断する。
作者は気づいているだろうか。

行動が、優しさの意味を作ることを。

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  1. 2014年11月11日 16:02 |
  2. 優しさ
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  4. | コメント:14

コメント

青梗菜さん、うまい。
行動が優しさの意味を作る。言い得て妙だ。
僕たちはえてして傍観者でいて、人のことをあれこれ言うけど、自分は動かないんだよなぁ。
さて、優しさ、それは見返りを求めるものだろうか?
哲学者カントの言説は実は矛盾している。
カントは言う。
神による来世での幸福の保証がなければ、立派な道徳的行為も賞賛の対象とはなっても、実行の動機にはならないと。
つまり、カントが道徳的行為を勧めるのは、来世に幸福になる為であり、道徳法則は実は神によって与えられたものという理解がある。
これは、カントの自律の思想とどう整合するの?
  1. 2014/11/11(火) 21:07:50 |
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  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

わはw、この頃はよくほめられるw。
優しさの意味を用意していてもしかたがない。
作らなきゃ。

ん~、カントはよく知らないのでなんとも。
盲信を退ける判断力、
それを自律につながるのが僕たちの文脈ですから、
なんとも煮え切らない理屈になりそうです。

見返りの求め方、ですかね~。
巡り巡って、僕も誰かに優しくされれば、それも見返りですし、
自分の行為を誇りにできれば、対価としてはじゅうぶんですし。
  1. 2014/11/11(火) 22:33:00 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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私としては
サルトルの実践的惰性態を思い出しちゃいました。

電車の中で人々は、既に形成された惰性的な実践で規定されている。
席を譲る娘は「席を譲る」ことに支配されている。知らぬふりの人々は「知らぬふり」をすることに支配されている。詩人は「観察」することに支配されている。

惰性的なバラバラの大衆の集まり。集合態。

この集合態への否定と逆転が集団的実践になる。

詩人の「思索」と、娘の「もう譲らない」は、この集団的実践への萌芽だったのかな…。

詩人と娘が集合態への否定を意識し、その意識を相互に共有化すれば、集団的実践(行動)が起こったのかも知れないなあ。

「元気な人は、としよりに席を譲ってくださいませんか」そう声高に言い続ける…
娘と詩人は、そんな実践をしたかも知れないw

でも、それは起こらなかった。電車の中で人々は共同の目的を共同で実践する意識、「我々」という意識を持たなかった。
最後までバラバラの人々の集まりだった。全ての人々が惰性的な集合態のままだった。

電車を下りると、電車の中で規定されていた自己から別の規定の自己へと移動する。

詩人は「詩人であること」に惰性的に規定されている。
吉野弘は(この出来事が現実でも無想でも)電車を降りた後に「夕焼け」を書いただろうから、
電車を降りた後でも「吉野弘」は「詩人」であることに規定されていて、「吉野弘」は吉野弘であるよりも徹頭徹尾「詩人」であった。

だから自己の惰性態である「詩人」を否定、逆転すること…つまり行動を起こしたりはしなかった…

…ということかな…うん。
ややこしいですねw
ちょっと詩人の肩を持ち過ぎましたかな(笑)

私はもちろん、詩人の肩を持つ(*´∇`*)
  1. 2014/11/11(火) 23:32:35 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
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考えた結果、行動しない、を選んだのだったら、
それも優しさの意味を作れる気がしますけど、
相手には伝わらないでしょうね・・・
そして、行動しないことが最善、というパターンも少なそうです。
  1. 2014/11/11(火) 23:33:16 |
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  3. プラトニックまいまい #-
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青梗菜さん、こんばんは!!^^

「娘」が実在の人物ではなく架空の、作者の作りだした人物だとしたら、何か別の見方ができるでしょうか?(質問ではありません、の反対の反対なのだ。^^;)

「優しさの意味」て何なのか、わからなくなりました。^^;
  1. 2014/11/12(水) 00:08:54 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
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青梗菜さんは、行動を起こさずに見るだけの存在を評価しますか?
世界から眼だけを出して見ているブラフマン、というものを津田真一先生に教わりました。
ブラフマンは行動はしませんが、世界の一切を見ているのです。
優しさなどは超越してしまっているでしょう。
見ているだけ、というのも辛いのではないか、と思います。
その辛ささえ、超越してしまっているのでしょうが。
  1. 2014/11/12(水) 09:18:23 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
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ユウさん、こんにちは。

では、詩人は「席を譲る」側だったのでしょうか、
それとも、「知らぬふり」をする側の人だったのでしょうか。
詩人は、「席を譲る」側だった娘が、
「知らぬふり」側に移ってくる瞬間を目撃したのではないのかな。
もとより詩人は「知らぬふり」をする側で、
余計な行動を起こさなくなって久しいくせに。
夕焼けの美しさなんて、忘れていたと思うけどな~。

吉野弘は、どの立ち位置から書いているのかな。
ものを考えるくせがある人なら、
すぐにぐるぐる循環を始めてしまうと思うのです。
やっぱり、中学生向けの詩なのかな。

祝婚歌、では、
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
とか、
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
とかね、書いてるのですけどねw。
  1. 2014/11/13(木) 14:52:08 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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まいまいさん、こんにちは。

娘のことは、行動で推測するけど、
自分のことは、何も行動しなくても優しい自分を作り上げることができる。
これって、フェアぢゃないw。

何もできなかった自分が恥ずかしくなる、
ってことになるよな~、ふつうw。
他人の加害性に対してはすごく敏感なのに、
自分には鈍感でいられる、そんな気がしてきたwww。
  1. 2014/11/13(木) 14:52:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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がたおさん、こんにちは。

娘は架空、というか、
作者から見た娘なので。
この詩の中には、作者しかいません。

>「優しさの意味」て何なのか、わからなくなりました。^^;
分からなくなることが大切です!
分からないことによって、思考が始まりますから!
  1. 2014/11/13(木) 14:53:27 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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瀧野さん、こんにちは。

心身二元論に、眼だけを共有させたような思考実験でしょうか。
身体性を忘れて、何が残るか、かな。
感情だけ、行動だけを取り出すことができないように、
行動しない、できない者には、感情も薄いのでしょうね~。

手をつなぐ、キスをする、エッチをする、
風邪をひく、果物をもぎ取る、誰かを殴る、
疲れる、眠る、起き上がる、
そんなこんなを知らない者に、
僕がどう総括されるのかを訊いてみたいです。
実際には、ブラフマンよりも道端の石ころのほうが、
僕には役に立つのかもしれません。
  1. 2014/11/13(木) 14:54:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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だんだんと収束して来ましたね~♪
アウフヘーベン?ってやつの裾野が見えてきたような気がします(笑)

優しさへの観察による作品の成立
VS
優しさの発露による行動


詩人は
席には座らずに立っていたと
私は思うのですが、
その時、詩人が「優しさ」を行動するとしたならば、どのような行動が優しさを表すと考えますか?
これは皆にも聞いてみたい…いや、やめとこう(あれの前轍を踏む…υ)
(///∇///)ハハハ…υ

いったい何が出来るんだろう?
「夕焼け」の
その場合において出来ることをやったとしたら狂人あつかいされると思うなあ…(笑)

と言うか、娘は座らなければいい。それをしないのは身動き出来ない程の満員電車の可能性がある。娘は席が空いたら座るしかないのだ。
詩人は身動き出来ない。さあ、どうするんだ?詩人。詩人は大声で叫ぶ。

「と、と、と、としよりに席を譲ってやれよ!!
ば、ばかものどもがぁ!」

かくして、あんなにギュウギュウ詰めだった車内に自分を中心にドーナツ状の隙間が出来る。
娘は、自分よりもっと恥ずかしい人の存在に安堵する……のだろうかw
少なくとも娘に
「ああ、なんて優しい人…
(///∇///)ステキ…」
とは思われないだろう。

つまり、この場合においては
詩人がどう行動したとしても
「優しい」は娘に伝わらない。
まさに宙ぶらりんの「優しさ」になる。

詩人は作品を残し、娘が優しいことを結晶化した。
詩人として行動した。これは知らぬふりではない。
娘と同じことを経験した全ての人達が「夕焼け」を読んだ時、詩人のこの詩がその状態を「反芻させる」ことに「優しさ」を感じはしないのかな?その時こそ、彼女達は夕焼けを見るのだと思う。
この詩そのものが、詩人が行動した「優しさ」と呼んではいけないのかな?
ま、少しばかりキザな優しさですがw
(*´∇`*)

コメント長っ…(笑)
  1. 2014/11/13(木) 19:16:29 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
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先生の名前を書いてしまったので、補足しておくことにします。

この世という世界を身体としてもつのが、古代インド哲学でいう人格神ブラフマンです。
そして、世界という海から眼だけを出して見ているのが、ブラフマンです。
だから、
〉手をつなぐ、キスをする、エッチをする、
〉風邪をひく、果物をもぎ取る、誰かを殴る、
〉疲れる、眠る、起き上がる、
などということは、すべてブラフマンは知っています。

ブラフマンは世界ですから、道端の石ころにもブラフマンは宿っています。
「石ころのほうが、僕には役に立つのかもしれません」と書く青梗菜さんにもブラフマンは宿っています。

しかし、ブラフマンは世界のすべてを知りながら、世界を変えてしまうような行為ができない。
空腹を抱える少女にパンを与えることもできない。
遠藤周作の『沈黙』のようにブラフマンは黙って見ていることしかできない。
そういう行動を起こせずに見ているだけのブラフマンという存在をどう思うか、と訊きたかったのです。
そういう行動と優しさの関係が訊きたかったわけです。
言葉が足りませんでした。
  1. 2014/11/13(木) 21:04:29 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
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ユウさん、こんにちは。

>どのような行動が優しさを表すと考えますか?
僕が詩人なら、彼女が降りる駅まで行きますw。
そして、ほめまくるwww。

直接、彼女にだけ、立派でした、と伝えればいいかな。
僕に与えられた課題は、閉塞していた優しさを展開させること。
あとでめそめそと、詩なんか書いてる場合ぢゃないっ、
いまでなきゃだめだ。
生きてる、って感じがする!
刻々と移り変わる要請に応える。
きっと、それが、生きる、ってことです!
  1. 2014/11/13(木) 21:39:00 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

>ブラフマンは世界のすべてを知りながら、世界を変えてしまうような行為ができない。
もどかしいな~、ブラフマンw。
僕なんかすっかり超えてしまっているので、
僕の評価もご存知でしょう、ブラフマンw。

僕にも、見守る、って態度はありますが、
手も足も出せないのなら、もう僕の役目ぢゃないような気になってきます。
つまりは、なんだかんだ言っても見ていない、
忘れてしまう、見守ってるふりをすることになる。
そのあたり、ずるいのですね~、僕は。
  1. 2014/11/13(木) 21:53:43 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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