馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

愚考と賢慮


独りでものを考えることが好きだ。
子どもの頃からの空想癖をこじらせて今に至る。
僕の考えが、みんなと一致しないことには慣れていた。
だから、意見を求められたときには、
いつもみんなが認める正解を探していた。

みんなと一緒の考えが正解になることには従ってもいい。
でも、なぜみんなと一緒が正解とされる?
なぜみんなと一緒でなければ間違いとされる?
なぜ笑われたり馬鹿にされたりする?
それらは、今でも分からないままでいる。

たいていは、なにも考えていない人の考えが正解になる。
ものごとは、自分で考えれば考えるほど、
世の中から外れて、独自の発想になるから。
みんなと一緒が正解とされるのなら、
独創的な考えは愚考にほかならない。

しかし、愚考は、表さなければ愚考ではない。
表現することを僕が許容するから愚考になる。
愚かさとは、愚かさを表すことを許すことで、
みんなと違っていることを知らないということだ。
それは確かに愚かなことだろう。

賢慮も、表さなければ賢慮ではない。
表現しなければ、僕は少しも賢くは見られない。
賢さとは、賢さを表すことを望むことで、
みんなと一緒であることを知っているということだ。
それは確かに賢いことだろう。


検索窓に語彙を打ち込めば、
Googleは、次に予測される語彙を表示してくれるから、
検索候補に逆らわないでいると、
ついつい最大公約数的な考えに誘われて、
思いがけず、賢くなってしまうから困る。

検索は思索ではないが、
書いているうちに、違いがあいまいになってくる。
ネットから拾ってきて編集して、
またネットに返せば、賢者が増えて、
また最大公約数が大きくなる。

僕はますます愚かになるが、それでも構わない。
自分でも望まないうちに、うっかり賢くなるよりは。

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  1. 2014年11月03日 16:51 |
  2. 未分類
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  4. | コメント:21

コメント

愚かも、賢いも、
普通と違う、という点では一致していて、
それがどっちなのか、というのは、
どうやって決まるのでしょうね。

テストの点数とかだったら、わかりやすいですけど。
平均70点のテストで、
100点の人は、賢くて、20点の人は、のび太です。

あ、のび太が愚かか、という問題が浮かんでしまいましたけど、
ちょっとそれはのけといて、
価値観とか、考え方とか、
数値で表せないものがほとんどの世の中で、
いったいどうやって振り分けるんでしょう。
  1. 2014/11/03(月) 18:59:26 |
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  3. プラトニックまいまい #-
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暇だから、入院中、センター試験の国語の問題を解いていたけど、なんであんなに紛らわしいんだい。
小説の問題なんて、間違ってばかり。
正解とされる選択肢があって、それにあたらないわけだから、僕は愚者ということになります。
高校時代、共通一次試験を受けたけど、僕はあんなに愚者だったろうか、いや違う。
どうも、歳を重ねるごとに、愚者になっていくようでー。
さて、悪いのは、僕の頭か、センター試験の問題か?
  1. 2014/11/03(月) 19:53:49 |
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  3. oki #-
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まいまいさん、こんにちは。

誰かに、愚かだ、と言われることは、
その誰かの意味に収まっていないということで、
愚者は、その誰かを軽々と越えているときがあります。
でも、賢者は教えてくれるときがありますね、
それは違うよ、ってw。
愚かな考えは、世間の考えと板ばさみになって生まれたものなので、
世の中的な正しさを知っていることが前提なのですけどw。

僕にしても、ばらつきがあって、均されていないのですよね~。
考えて馬鹿を選び取るときもあるけど、
まんま馬鹿をやっているときも多くて、
そこは自分ではまったく気づいていないところ。

数値で表せないものがほとんどの世の中ですが、
自分で考えなくても、どこかに正解がある、
って思っている人がほとんどでしょう。
価値観とか、考え方とか、それが自分を作っているので、
正解が自分の外にあると、空っぽになるのですけど。
  1. 2014/11/03(月) 20:41:18 |
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  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

ものごとには必ず正解がある、
ってのが間違いのもとですよ。
僕は、国語の問題なんて、まともに解けた試しがありません。
中学生向けの詩だって、まともに読めないくらいですからw。
センター試験なんて、
画一、均質の子どもの製造システムだな~。
  1. 2014/11/03(月) 20:42:10 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

暴挙と知りつつ、芸術にたとえてみると、
ただ、絵やら音楽やらそのものに向き合って生まれたものと、
受け手の大衆の存在を求めて生まれたものは、全く違っていて、
後者の方は、それは大衆の写し鏡であって、
支持は得るけれど、最早純粋な芸術とは異質なものかもしれないと思うこともあります。

大衆の望む答えを知っているのが、賢さなら、
賢い人との人間関係を築いていくのは、心地よいのでしょう。
でも、面白くない。
そんな不毛で心地よい人間は、不要だ!
なんて、息巻いて生きてきたら、
現在、そして誰もいなくなった状態ですw。
  1. 2014/11/03(月) 21:52:18 |
  2. URL |
  3. ふふ #-
  4. [ 編集 ]

ふふさん、こんにちは。

あ~、むつかしいところ。
極論すれば、絵画なら、まったく誰にも理解されることのない、
純粋な意味での自画自賛、としましょう。
誰もいなくなった状態で、芸術だけが自足できるのかw。
音楽なら、聴き手がいない状態は、
誰もいない森で木が倒れたようなものかなw。

プロフェッショナル、ってこともかかってきますね~。
独善的な創作なら誰でもできるから、
大衆が求めているものを作るのがプロってものです。
少数でもコアなファンに向けて作られたものは、
それはそれでマニアが求めているものを作ったとも言えますし。
大衆とマニア、どちらも賢者にも成り上がり、愚者にもなり下がりますが、
屈託を抱えているのは、間違いなくマニアの側ですね~。
  1. 2014/11/04(火) 14:19:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

わたしもブログ用の原稿「正解の数」を月曜日に書いておいたら、青梗菜さんも「正解」について書いている。
木曜日に更新しますが、わたしと青梗菜さんの違いがわかるのでは。

みんなと同じ意見が必ずしも正解とされるわけでもなく、最大公約数が正解とされるわけでもない、と思います。
賢いとされるものの意見が正解になるのだと思います。
デキスギくんが正解である確率はかなり高い。
科学でいえば、専門的科学者集団に共有されている信念や価値が科学的真理とされるのです。
みんなと一緒がいい、というのは学校教育の悪弊でしょう。
あらゆる分野で独創を歓迎して、出る杭は打たれる、はやめにした方が人のためです。
  1. 2014/11/04(火) 15:01:52 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
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しかし、敢えてセンター試験にこだわるけど、半分の人は正解している訳です。
最大公約数的なものはあって、それはやはり踏まえておいた方がいい。
白昼、神は死んだ、なんて怒鳴る人はやはり狂人であり、物事は道筋を立てて、最大公約数的なものを尊重して進めなければいけない。

病院での検査結果、とりあえずしばらくは再入院は先送りです。
  1. 2014/11/04(火) 20:43:10 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

科学では客観性や再現性が求められるから、
賢いとか愚かとかの埒外だと思うのです。
暫定でも、確定していても、答があるものについては、
デキスギくんが正解である確率は高いです。
でも、明確な答がないものについては、高くも低くもないと思います。
答があるものについては、その正解をそのまま受け容れる従順さと理解力、記憶力において、
彼は、僕なんかよりよほど優れています。
その答えを覆して、新たな正解を立てる能力においては、
彼の能力は、高いとも低いともなんとも言えません。

出る杭は、愚かな考えと評価されることが多いのですよね、この世では。
新たな正解が立てられずに、埋もれてしまった正しさの亡霊がさまよってますよ、この世では。
  1. 2014/11/05(水) 01:36:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

なるほど、病院での検査結果によって、再入院は先送りになった。
その判断は、臨床データの蓄積と最大公約数的なものにより、
それが正解かどうかは分からないけど、正解になる可能性は高くなる。
そこには、賢いとか愚かとかが介在する余地はなくてもいいでしょうね。
  1. 2014/11/05(水) 01:38:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>愚かさとは、(ryみんなと違っていることを知らないということだ。
>賢さと、(ryみんなと一緒であることを知っているということだ
愚かさと賢さの違いが一個なら理解しやすいのですが2個なので、
ややこしく感じます。^^;

>僕はますます愚かになるが、それでも構わない。
>自分でも望まないうちに、うっかり賢くなるよりは。
「僕」は知っているから(うらやましいことに)愚かではなく、「うっかり賢くなる」のは知っていないから賢くないのでは?@@;
  1. 2014/11/05(水) 03:14:57 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

みんなと一緒とは、つまり常識を知っている、ということで。
どれくらい常識から外れているかが分かっている、ということで。
がたおさんがややこしく感じ取ったのは、
そのためには、僕は常識人でなければならないという逆説だと思います。

そうそう、僕はうっかり賢くなって、
そのことに気づいていないことが多すぎます。
気づいていないから、うっかりなのですけどw。
気づいていることについては、なにやら優越感を持って、
周囲を見下してしまうくせに、
気づいていないことは、まったくスルーしてしまう。
それが、気づいていないということですけどw。
このいびつさを、個性とか価値感とか自由とかと呼べば、
幸せに接続できる気がしてきますが、
しかし、なぜ、と問うときは、僕はその先に不幸を見つけています。

人は、幸せなことや満ち足りたことは、
まったくきれいにスルーして、理屈をつけたりしないのでしょう。
問も答もいらない、ねじくれた優越感を持つ必要もない、
ってことが、幸せに直結するのですね。
  1. 2014/11/06(木) 11:10:14 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

確かに、
世の中には数量基準の原則がありますよね…υ
私もそこに乗っかろうとすることがあるけれど…
やっぱり違うかな~とか思ったりします。

誰も相手にしてくれなくても
たとえバカにされても
誰のことも気にせんと
自分の表現したいものを突き詰めて
書いて……
あとの評価や好感度なんぞ知らんっ。
嫌いならそれでもいい
というので良いんですよ、きっと。

そうだよ…きっと…それが…いいんだよ……。

奥底に自分を追えば追うほど疎外感に苦しめられますな。
(*´∇`*)…。
  1. 2014/11/07(金) 17:23:05 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

みんな、ふつう、当然、
っていう浮動票が乗っかる拠り所ね。
そして、そのみんなにしても、
どこかにいるわけではなく、
各自が、みんながいるだろうと思っていることで現れるみんなで、
正しさにしても、
それを正しいと思っていることで正しくなる正しさですけど、
だからって、幻想で片づくわけでもなく。

僕がこだわってる部分では、僕は馬鹿にされてしまうけど、
スルーしている部分では、僕はみんなになって、ふつうになって、
誰かに疎外感を与えて、それで当然なのだろうな~。

クレーンに宙吊りです。
またしても、着地できませんw。
  1. 2014/11/07(金) 19:51:24 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

そうか、なるほど。

私にとっての当然が誰かに疎外感を与えていることもあるわけか~。 そこまで考えてなかったです…υ

だとすると、私が当然と思っている事柄、更にそれが強く個である場合の事柄に関しては、私が「みんな」を疎外していることもあるのかも知れない…υ
個人とみんなを比較すると疎外されるのは個人だという先入観があるので、これは、なかなか気付くことが出来ないなあ。

17世紀における地動説なんかは、強い確信をもって「みんな」を疎外したからこそ否定されたのかも知れない…。
そこには「みんな(の常識)」を排斥しようとする批判精神があるのですな~。

いやあ、しかし、ここでの皆さんのコメントと青梗菜さんのレスポンスが弁証法的に機能してるからスゴいなあと毎度のことながら思います。

高いところから目を離さないから着地出来ないんですよw
(*´∇`*)♪
  1. 2014/11/08(土) 09:57:00 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

あはw、ほめてくれますね~、ユウさんは。
そして、怖いのは、
みんなであればあるほど、ふつうであればあるほど当然になることです。
疎外される側の疎外感が強くなって、
逆に、疎外する側の意識が薄らいで、
話も通じなくなりますよね~。
雑踏の中で、人は孤独になりますなぁ。
あれは、みんなを排斥しているのかもしれません。

>きっと、優しさは、宙吊りで、結論に至らないまま、
関心を寄せ続ける者とともにある、
と思うのです。
心に留めて、結論に逃げ込まない。
自分の出した結論を、自分でひっくり返して、
色も決めず、形も定めず、
宙に浮かべて、風に吹かれていましょう。
空を移ろいゆく雲のようにね!

>高いところから目を離さないから着地出来ないんですよw
あはw、ほめてくれますね~、ユウさんは。
  1. 2014/11/08(土) 13:34:17 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>私が「みんな」を疎外していることもあるのかも知れない…υ
はい、確信を持ってそうするときも、
意図していなくても、どうしようもなくそうしてしまうときもあると思います。
振り返れば、他者からどんな意味を与えられても、
どう評価されても、どう裁かれても、
そのようにしか生きられなかった自己がいますね。

頑固だと、言われますよ、僕はw。
  1. 2014/11/08(土) 23:54:32 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

愚考とは愚かな考えのことではない

「愚」とは自分のことをへりくだった言い方で、別におろかという意味はない。自分のことを「僕」というのと同じ。
従って「愚考」というのは「自分の考え」と言うだけの意味。「僕の意見」という表現に「下僕の考え」という意味はないでしょう?

ここのところ近年では誤解した辞書もたくさん出版されているのでブログなどで間違えても仕方ないが・・・
  1. 2015/02/10(火) 14:40:19 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

そうですか~、僕はよく間違えますw。
間違えても仕方ない、そう言ってもらえると助かります。

言葉は生きもので、意味が変わるから、
辞書は版を重ねるのではないでしょうか。
  1. 2015/02/10(火) 18:11:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あらっw
辞書に書いてあれば、それはもう正解の一つ、
としておかないと、話したいことも話せなくなっちゃうと思います。
きゃー!
  1. 2015/02/14(土) 01:01:37 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

僕は、なにげに誤用している言葉が多くてw。

裏付けが得られたような気がするのです。
僕の愚かさとは、愚かさを表わすことを許すこと、
コメントをくれた人の賢さとは、賢さを表わすことを望むこと。

丸ごとではなくて、部分を取り上げて世の中的な正しさを示す、
教えてくれる人、その特性を端的に示していませんか?
  1. 2015/02/14(土) 10:56:41 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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