馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

夕焼け


次の詩を読んで、娘は「なぜ三度目には席を譲らなかったのか」を選びなさい。



    いつものことだが
    電車は満員だった。
    そして
    いつものことだが
    若者と娘が腰をおろし
    としよりが立っていた。
    うつむいていた娘が立って
    としよりに席をゆずった。
    そそくさととしよりが坐った。
    礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
    娘は坐った。
    別のとしよりが娘の前に
    横あいから押されてきた。
    娘はうつむいた。
    しかし
    又立って
    席を
    そのとしよりにゆずった。
    としよりは次の駅で礼を言って降りた。
    娘は坐った。
    二度あることは と言う通り
    別のとしよりが娘の前に
    押し出された。
    可哀想に
    娘はうつむいて
    そして今度は席を立たなかった。
    次の駅も
    次の駅も
    下唇をキュッと噛んで
    身体をこわばらせて――。
    僕は電車を降りた。
    固くなってうつむいて
    娘はどこまで行ったろう。
    やさしい心の持主は
    いつでもどこでも
    われにもあらず受難者となる。
    何故って
    やさしい心の持主は
    他人のつらさを自分のつらさのように
    感じるから。
    やさしい心に責められながら
    娘はどこまでゆけるだろう。
    下唇を噛んで
    つらい気持ちで
    美しい夕焼けも見ないで。

    ―― 「夕焼け」、詩集『幻・方法』/吉野弘著、1959、飯塚書店



1、善行を繰り返したため、恥ずかしくなったから。
2、善行の繰り返しが、むなしくなったから。
3、善行の繰り返しに、心身ともに疲れたから。







  1. 2014年10月18日 18:51 |
  2. 優しさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14

コメント

なんだこりゃ、何処かの学校の国語の問題かいな。
まあ、2かな。
3回も繰り返されれば、普通は見兼ねて、娘の両脇の人とかが席を立つもんだ。
お嬢さん、あなたはいいから、とか言ってね。
ブログ引っ越したのでよろしく。
  1. 2014/10/18(土) 20:52:05 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

違う人に対してだけども、2回も譲ったんだからもう良いだろうと思ったのでは?(僕式には。)つまり選択肢には答えが無いのでは?

でも、その時自分の良心(?)と戦っていたのではないかと感じます。
(間違いっぽい。^^;)
  1. 2014/10/18(土) 22:15:22 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

礼を言うとしよりと、言わないとしよりが登場しますね。
わざわざ、ですよね、これは。

娘は、三人目がやってきたとき、
「このおとしよりは、礼を言ってくれるだろうか。」
とか、
「なんで私ばっかり」
とか、考えた。
ということでしたら、2か3だな、と思います。

が・・・
もし、本当にそう思っていたのだとしたら、
娘はぐったり疲れた顔をしているはずなので、
「下唇をキュッと噛んで」ないと思うのです。
下唇をキュッと噛んでいる、ということは、
何かしら、強い感情がないといけません。

私は、1じゃないかな、と思うのですよね。「事実」は。
みんなが私を見ている、とか思ってる。
もう譲らないもん!!
立ったり座ったりするの、やだもん!!
私ばっかり、損したくないもん!!
とか思ってる。
この娘は、詩人が思い描くほど、
たいしていい子でもないと思います。

っていうか~、
そんなことよりも~、
詩人のドヤ顔にイラっときます。この詩。
うまいこと言った、
オレってすごいだろ、みたいな。
そっちが気になって仕方ないですwww
  1. 2014/10/18(土) 22:48:58 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

詩をググらなきゃ、と思っていたら、あげてくれたので助かりました。
この詩は教科書で読みましたね、知っていながら、忘れていた詩でした。

わたしは3ですね。
娘は肉体的に疲れてしまって、坐っていないといられなくなったのでしょう。
でも、良心の呵責を感じて、下唇を噛んでいたのですね。

優しさと良心の関係はどうなっているのでしょう。
良心のいうことを聞いている人は優しいのでしょうか。
では、良心のない人は優しくなれないのでしょうか。
そういう人も一年に一日くらい優しい日があったり。
そして、悪人正機で救われる、と。
あるいは「蜘蛛の糸」のカン陀多のように、生涯に一度だけ蜘蛛を助けるという優しいことをして、御釈迦様に情けをかけられたりするのかも。
  1. 2014/10/19(日) 11:20:49 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

「4番。あ、多分…こないだのアレがヒットしてる…そうだよ…わたし…妊婦じゃん…そうだよ、わたし妊婦だよっ!!」

と、いうのは冗談で、この詩が書かれた時代からみると、どれにも当てはまらないかな…と思いました。
イザナギ景気?っていうのかな?その頃かな?
他人を省みず生活の向上を目指していた時代…。娘は、この譲るという行為が競走に負けている…と思い始めたのじゃないかな。つまり自分をダメ人間にしたくない気持ちが発生したのでしょう。娘にそれを気付かせたのは、としよりのお礼だったのではないかなと。娘は自分の質である優しさと時代の価値観の間で煩悶している。

そんな中で、詩人だけがその心の機微に気付いているので、それはドヤ顔になってしまう(笑)
殺伐とした箱の中、世界の美しさに気付いている詩人(笑)
詩人は、その共有出来ない気付きと共に
自分の孤独を自嘲してもいるかとw
周りから見ると、「何かコイツ…女の子見がら薄ら笑いしてやがる…気持ち悪ぃ…」となるw

現代の一般的な感覚で読み換えると

詩人「お前らの血は何色だ?!」
イザナギ景気の人達「マヌケもヒトゴロシもオマエもオレ達も赤だろうが!!」
娘「うるさい…うるさい…ああ、うるさい…あたしは…妊婦…あたしは…妊婦…」
みたいなw

  1. 2014/10/19(日) 13:05:47 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

2ですか~、正解でしょう。
自分が善行を繰り返したことによって、
隣に座っている人の不作為が、悪行に仕向けられる、
相対的にね。
それで板ばさみになった。

はい、リンクをgooに変えますっ。
  1. 2014/10/19(日) 14:54:49 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

はい、正解でしょう。
これ以上の不利益は受けたくない。
しかし、3人目の年寄りは、いきさつを知らない。

生まれてしまった優しさを外に出せなかったときは、
反転して、罪悪感になって自分に向かいます。
  1. 2014/10/19(日) 14:55:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

はい、僕も1です。
端的に、もう注目を集めるのはごめんです。
三度目なら、何をしても、何もしなくても、
みんなの意識に上がる状況ですよね。

きっと、もう怒りに変わってます。
怒りの向かう先は、1回、2回と数えながら、
他人の不幸を観察していた詩人に違いありませんw。
  1. 2014/10/19(日) 14:55:53 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

全文、載せてしまいますw。
3ですか~、これは素直にそう読めますね。
娘は疲れていて、座れるものなら座りたがっています。
元気なら、2度目に立ったときに、もう座りません。

優しさは、生まれてしまった感情、としたいのですが、
すると、良心とか善意とかは、感情を生み出す判断基準になるのかな。
それも、助けたり、助けられたりした経験が支えるのでしょう。
  1. 2014/10/19(日) 14:56:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

メタファーを探っていきましょうか。
電車は、社会、
満員は、心身ともに余裕のなさ、
若者は、社会的強者、
としよりは、弱者で、そして、いつも立っているのは、としより。
電車は、人生、
駅は、岐路、
やさしい心の持ち主は、こんな時代で、
どこまで自分を貫けるか。

などと考えている詩人の好奇の視線が、
娘にはつらすぎるw。
詩人が、やさしい心の持ち主なら、
他人のつらさを自分のつらさのように感じるのなら、
せめて、娘に無関心を。
  1. 2014/10/19(日) 14:56:55 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あれ?
なんか…優しさを考えるというバイアスから客観性が働いて、この詩が貶められてしまったような…υ
私も現代的な客観性で電車の中の詩人に身を置いたので自嘲に走り過ぎました(笑)
隅っこで まがりなりにも詩を書くものとして…不本意w

青梗菜さん、すみません…υ
ちょっと書かせてくださいな♪
モヤモヤが…w
優しさとは関係なく、詩人を援護して擁護してオンブして抱っこしたいっ。


「詩人は全てを超越し、箱の中で起きたイメージを言葉で再現し、純化し、読者の魂の奥底に何とかして届けようとする…。

届いたならば、読者は娘になり、としよりになり、詩人になる。その箱の中に存在し、席を譲り、譲られ、お礼を言い、唇を噛みしめ、電車を降り、夕焼けを見上げる。そして、この詩を自分が書いたような気になる。

その際の私は、詩を書いている時の詩人の視点で
その時、私は夕焼けの美しさを充分に堪能するほどに気付きまくっている♪ そしてイメージを俯瞰して見ている観察者。私はこの電車に乗っていると誇りをもって言える。これが詩のもたらす力。」

(*´∇`*)…うん。優しさとは関係ないですね…υ
批評的な精神が絡むと詩は機能不全に陥ることが多いということを私は忘れるべきではなかったです。失敗…υ
反省しましたw
  1. 2014/10/19(日) 19:12:56 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

この詩は、好きな詩なのですけどね。

    何故って
    やさしい心の持主は
    他人のつらさを自分のつらさのように
    感じるから。

僕は、ここを飛ばして読むのです。
それを言ってしまうと、作者が優しい心の持ち主になってしまう。
というか、作者の語りはぜんぶスルーかな~、をいをいw。
優しさは、理屈ではなく、
その彼女との関わりで生まれた感情だと思うのです。
可哀想に、なんて書くことに意味があるのかな~。

僕は、恥ずかしい、を理由に挙げたのですけど、
彼女の行為には、まったく恥ずかしいところはないのに、
恥ずかしさを感じてしまう、そこは可哀想ですけどね。
いちばん恥ずかしいのは、
作者の、彼女を総括しようとする思い上がりです。

    そして
    いつものことだが
    若者と娘が腰をおろし
    としよりが立っていた。

ここの反復は嫌いだな。
若者と娘が座り、年寄りが立っている、
そんな光景は、ぜんぜん「いつものこと」ではないし、
「そして」には、意地悪さが込められているし、
「いつものことだが」には、説教くささを感じます。

それとも、1959年は、
そんな野蛮な時代だったのでしょうか。
公共施設や、雇用に関して、
人種差別を撤廃する公民権法が成立したのは、1964年。
半世紀前、合衆国のバスや映画館の座席は、
白人と黒人で別れていました。
少なくとも、憧れのアメリカは、野蛮だったようです。
  1. 2014/10/19(日) 21:21:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

(1)礼をいわないじじぃ

(2)礼を言うじじぃ、

後者のほうが精神的ダメージがデカイ!!

不思議だ!!
これは現代の病だ!!

なんちて(^v^)
知るかよ
  1. 2014/10/20(月) 09:03:05 |
  2. URL |
  3. 1 #sSHoJftA
  4. [ 編集 ]

こんにちは。

礼を言うじじぃ、に礼を言わせない。
だから、席を譲ったらじじぃから離れます。
なるべくなら、他人とは関わらない、
それが僕たちの戦略です。

この詩で、二度目のじじぃに礼を言わせたのは、
三度目に譲らない理由の誤読を避けるため。
礼なんかどうでもいい、そこぢゃない。
  1. 2014/10/20(月) 19:00:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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