馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

夢うつつ


世の中は 夢かうつつか うつつとも
夢とも知らず ありてなければ


    古今和歌集、
    読人知らず。


    エクリチュールは、反復可能性があり、
    読み手のコンテクストごとに意味が散らばる。
    文章は、読まれるたびに、
    読み手の捉え方によって意味が異なる。

    そして、僕がどう捉えるか、ということは、
    僕に宛てられた歌として読むことと同義になる。
    誰かに宛てた歌なら、
    書き手はその誰かのコンテクストを想定して書くから。

    宛名のある歌は、
    事後的に無難なところに収束された意味ではなく、
    まずは読み手のコンテクストで読まれる。

    仕組まれた掛詞や縁語から、
    読み手がどんな隠された意味を拾って、
    どんな現わされた意味を捨てるか。
    書き手は、解っていますよ、と言いたげに詠むのだろう。
    だから、恋愛と親和性が高くなる。

    僕の捉え方が間違っている、といわれれば、
    そのとおり、と答えるほかはないが、
    僕に宛てられた歌として、
    自由に解釈させてもらおう。
    それ以外に、僕にどんな捉え方がある?


    世の中は、夢か、現実か。
    現実とも夢とも知らない、
    あってないようなもの。

    夢も現実も、言語による秩序のある世界だが、
    この歌は、現実とも夢とも知らない、
    あってないような世界が開かれて結ばれる。
    見通せない世界への見通しを提示する。

    読み手もまた書き手の意図を探る。
    書き手には、メタに掛かって、入れ子を作る遊び心がある。
    いたずら心に火が着いて、煙に巻いてくる。

    見通せない世界、
    それは、カントのいう物自体、
    ラカンのいう想像界、
    そして、デリダのいう散種 ―― 無数の意味。

    コンテクストごとに意味を持ち得る不確定な散種が、
    事後的に収束され、単独の意味に捏造されること、
    それもまた、言語による秩序のある世界の構築だ。


    僕たちは、千年以上前の読み人と、
    同じ謎を抱えていて、
    気配や、名残や、面影や、幻想や、
    無数の意味とともに暮らしている。

    世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ







  1. 2014年09月11日 18:23 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:14

コメント

夢と現実とのあわい。
この、あわい、とか、さまざまな概念を論じられたのが、東大倫理教授だった、竹内整一さんですね。日本人はなぜさようならと別れるのか、とか、新書でいろいろ出てます。
青梗菜さんはラジオ聴く?
病院の名残りでついついラジオ聴いちゃいます。今もTOKYO FM視聴中
  1. 2014/09/11(木) 20:38:01 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

ないようなもんじゃない?
って言ってるってことは、
この人は、一通り考えて、感情の波が去って、
あ~あ、とか、ふぅ~、とか、
そんな感じなのかな、って思いました。
恋愛の歌なのだとしたら、
うまくいかなかったんだなぁ~。
幸せいっぱいの歌も、古今集にはあるのですか?
俺たちラブラブ!みたいな。
でも、青梗菜さんの好きな、「屈託」がある方が、
人のこころを打つとは思いますけど!w
  1. 2014/09/11(木) 21:03:37 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

人と人、物と物、事と事、
人と物、人と事、物と事、
間に生まれますね、なにかにつけて。
色と色とか、混ざり合う感じもね。

ずっとFMが聞こえている日もありますけど、
なんだか話も歌もくだらなくて、
電波が悪くて、さしすせそ、がうるさくて、
静かなほうがいいかな。
  1. 2014/09/11(木) 22:05:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

わはw、自由な発想、おもしろいです。
古今集は、古文の先生みたいに読まなくてもいいですよね。
歌は、学者に向けて詠まれたものではないし。
当時の人たちは、ラカンもデリダも知らなかったけど、
僕の頭から、ラカンやデリダを追い出しても意味がない。
それらを避けても、僕には上辺だけのことです。

俺たちラブラブ!
探せばあるのかな~、屈託がない歌も。
ものを想うのは、やはり、
なにかしら不幸を見つけてしまったときですかねぇ。
  1. 2014/09/11(木) 22:07:25 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

〉僕たちは、千年以上前の読み人と、
〉同じ謎を抱えていて、
〉気配や、名残や、面影や、幻想や、
〉無数の意味とともに暮らしている。

神話や叙事詩や源氏物語、古今和歌集が生まれた環境、文化的社会的背景は現代とは異なります。
それにもかかわらず、これらの登場人物は今と同じような悩みや恋を抱えているのでしょうか?
それを同じ、と言わせてしまうのは、そのほうが物語としてよいからではないか。
今の世の中を投影し、現代の影で歪めて意味を読み取っているだけではないか。

千年前と今が通底するというなら、今も昔も変わらないもの、文学的イデア、本質がある、ということです。
しかし、イデアを支えるとされていた神は死んでしまった。
現代において何が文学的イデアを支えるのか?
これを何とするかで、何者かがわかります。

わたしは、言語に秩序があるように、様々なテクストで構成される文学宇宙には普遍的中心があり、それが文学的イデアを支えているのだ、と思います。
それとも、普遍的本質、すなわち文学宇宙の中心なんてなくて、それぞれの読み手が勝手に自己投影しつつ意味生成をやっているだけなのでしょか?
  1. 2014/09/12(金) 10:40:49 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんにちは!!^^

読ませていただき、出だしでつまづきました。(例:エクリチュール、コンテクスト)

>それ以外に、僕にどんな捉え方がある?
反語ですね!!^^;スキ しかし、短歌に限ったとしても、特定の異性に送ったものと、そうでないもの(不特定多数?)がある気がしました。

文章は読み手を想定して書くべきだと、本で読んだことがあります。しかし、私が自分のブログの自称俳句をそうしているかというと、していません(無意識があるとしてもそれは僕じゃない気がする。)好き勝手書いているだけだと思いました。^^;

  1. 2014/09/12(金) 12:55:04 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

はい、今の世の中を投影し、
現代の影で歪めて意味を読み取っているだけだと思います。
だから、僕の頭から、ラカンやデリダを追い出して、
表面上は、それらを避けても、僕には上辺だけのことです。
なので、僕に宛てられた歌として、自由に解釈するほかはなく、
それ以外に、僕には捉え方がありません。

夢もうつつも、ありてなければ、
そんなのは、僕たちも同じように考えます。
根源的な見かけですが、
見かけ倒しではないような気がしたものでw。

文学的な本質、普遍的な中心、ですか~。
ある、に1票を。
そんなものがないとしても、
僕の小さな頭が、文学の宇宙を作っているとは到底思えないので、
よほど変則的な主観論者でないと、実感がともなわないですね。
  1. 2014/09/12(金) 14:38:21 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

そんなふうに書き投げることも、
どのように捉えられても構わない、
という意図があると思うのです。
屁理屈ですけどw。
  1. 2014/09/12(金) 14:38:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>そんなふうに書き投げることも、
>どのように捉えられても構わない、
>という意図があると思うのです。
書かれてみると、、そのとおりだなあと感じました。^^しかし、あまりにも変にとらえられると反発するのかなー?^^;
  1. 2014/09/12(金) 16:35:58 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

文学宇宙といっても実感がともなわないですか。
まあ、文学空間のことです。

まず、人が書くとき、文学宇宙の圧力を受けます。
そして、書かれたもの、テクストは、文学宇宙のなかに吸収されてネットワークをつくります。
わたしが思い浮かべる最も自然な文学宇宙が、このような諸種のテクストのネットワークが作りあげる構造体です。

人が文学作品を読むとき、文学宇宙の圧力を受けて意味生成が行われます。
その際の圧力とはコンテクスト、文学的コード、これまで読んできたテクストとの関連性などの諸力です。
例えば、掛詞や縁語も文学的コードを形成する文学宇宙の圧力のひとつです。

古典を読むとき、読者は否応なく現代社会に引きつけて読みます。
古典が現代社会から受ける、そのような圧力と同じように、文学宇宙からの圧力も読みに働くというわけです。

書くとき、読むときに受ける文学宇宙からの圧力は、言語行為ですから意識的に実感できるものではないでしょう。
更に、この文学宇宙が普遍的な中心をもつかどうかは、意見が分かれるところです。
  1. 2014/09/12(金) 20:31:06 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

うわ、盛り上がってますね、青梗菜さん主宰のモンパルナスw

「現代の影で歪めて意味を読み取る」=「文学宇宙の圧力」だな…と。

受け取り、咀嚼する精神性こそが文学的イデアに他ならないのではないかと私は思います。

言い換えれば、万人に通底している「魂」の連環こそが普遍性であり、イデアであり、神だと思います。神は神としてあることにシに、人の中で生きているのだと言えば…文学というよりスピリチュアル領域だと断定されてしまうのかなあ…υ

だいたい、文学とは魂の言語化なのではないかと
思う、今日この頃です、はい。


  1. 2014/09/13(土) 00:24:35 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

変にとられても、
ほかにも読みに来る人がいますから、
だいじょうぶですよ。
みんなに変にとらえられると、
それはもう知りませんw。
  1. 2014/09/13(土) 12:52:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

うん、実感が出てきました。
僕の薄っぺらな頭も、文学宇宙とやり取りをしています、
ごく一部分にしてもw。
そして、僕が関与しているのがごく一部分で、
少しずつ広げてきたという実感が、
広大な文学宇宙を予感させます。

文章フェチとしては、常に文学宇宙からの圧力を受けています。
もっと言えば、文学宇宙からの圧力を、
積極的に受けて読みにかかってます。
僕にとって、気のきいたと思える書き言葉をたぐり寄せてます。

普遍的な中心は、どうしましょう。
きっと、人が生きるということとの因果性と相まってきますから、
入れ子を作って、行き止まりにしたいです。
  1. 2014/09/13(土) 12:53:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

古今集から現代に続く、折り重なった層があって、
僕たちは、その時々の表層で読むのですが、
現代において古今集が貶められていたとしても、
たかが100年、土砂崩れで瞬時に消えそうな。

およそすべての言葉は概念で、
文学とは魂の言語化だとして、
分かってほしいとか、分かってやりたいとか、
分かり合いたいとか、言い当てたいとか、
そんなことかな、魂の連環は。

文学宇宙のインデックスを引き、
言葉の背負っている膨大な背景とともに、
コードを読み、リズムに乗せて、旋律を奏で、
色相や彩度や明度を調整し、輝度や透明度を操作して、
淡くて複雑な心理を封じ込めて、
提示した文章がこれですか?
と、情けなくなりますがwww、
ええいっ、ままよ。
  1. 2014/09/13(土) 12:53:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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