馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

秋は悲しき


おほかたの 秋くるからに 我が身こそ
かなしきものと 思ひ知りぬれ


    秋が来て、
    とりわけ自分だけが悲しい存在と思い知る、
    そんな自己中ぶりがいい。

    大方の人よりも、我が身こそがひときわ悲しい、
    そんなふうに自分を特別に扱って、
    世の中の感受性を見下した態度がいい。

    そんなよくない態度がいい。



わびはつる 時さへものの かなしきは
いづこをしのぶ 涙なるらむ


    嘆き果てている時でさえ、
    さらに悲しくなるのは、
    何を思って流れる涙なのだろう。

    我に返って、メタに出て、
    歌なんか詠んでいる感じがいい。
    涙は、自分を取り戻す契機になる。

    そんな自分を見失わない冷静さがいい。


    僕の捉え方が間違っている、といわれれば、
    そのとおり、と答えるほかはない。

    自分で考える、ということは、
    逆らう、ことに近似する。
    あえて世の中に沿わせないバイアスがかかる。
    

    どちらも、古今和歌集、
    読人知らず。

    雄大で素朴な万葉集をあがめて、
    古今集などは、小馬鹿にするのが気のきいた構え、らしい。

    文章フェチの僕としては、
    断然、古今集が好きだけれど。

    まずは、二項対立に持ち込んで、
    優劣をつけたがる構えを小馬鹿にしてみよう。

    わびはつる 時さへものの かなしきは いづこをしのぶ 涙なるらむ







  1. 2014年09月07日 18:23 |
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  4. | コメント:6

コメント

残暑お見舞い申し上げます、って、残暑がないですね。
いきなり秋。
秋深し、隣は何をする人ぞ。
秋と言えば、僕にとっては芸術の秋。展覧会がいろいろある。
さて、万葉、古今、新古今和歌集とあるけど、青梗菜さんは古今和歌集がお好きなの?
僕は日本の古典は良く解らないなあ。
未然、連用、連体、已然形とか習いましたよね。
過去の助動詞はき。せ ⚪︎ き し しか、と変化するとか、まだ覚えてる。
  1. 2014/09/08(月) 19:36:50 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

「月みれば ちぢにものこそ悲しけれ
わが身ひとつの秋にはあらねど」

大江千里だったかな?
ちょっと…うろ覚えですw
和歌じたいも うろ覚えですw

こちらは幾分かの客観性がありますね。
私だけの秋じゃないけどさ……という。
むしろ自嘲かなあ。

好きな文章が違う人に
自分の好きな文章の良さを熱心に伝える…
すると喧嘩みたいになりますよね(笑)
なるほど、相手は逆らっていると感じるのかも。

「自分の好きな文章」よりも
「自分が文章を書くうえで好きな方法」の方が議論になりやすいかな。

好きな文章は数が多いから増やしやすい。
相手の好きな文章を受け入れる枠を作りやすい。

好きな方法は、数が少ない。或いは、ひとつしか無い。

これは、自らの選択の正しさを侵害されていると感じてしまう可能性が大きいですね。

こう書かねばならない…と考えているストイックな人は、自分の選択は正しいと思っている度合いが強いのかなあ…。

私としては、方法が画一的ってのは…どうにも…υ
ただ、商業的には正解例のひとつだとは
思いますけれど。
馴染みのある方が受け入れやすい…という意味で。

あ、……先に比較的馴染みのある百人一首を引用してしまった…w

あとは…言葉通りに受け取る…という
乱暴な納得も
えげつないことになる場合がありますよね。

いや、まったく、迷宮ですね♪
  1. 2014/09/08(月) 20:08:43 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

万葉集よりも古今集を劣ったものとする、
そんな風潮が100年続いているみたいです。
なぜか優劣をつけたがりますね、
好き嫌いでいいのに。
古今集はめそめそと情けないので、
ナショナリズムからは嫌われたのでしょう。
「君が代」は古今集なのですけどねw。

優雅で可憐で、理知的、技巧的、
掛詞や縁語を多用して、
古今、新古今のほうがおしゃれですから、
僕は、新しいほうに1票です。
  1. 2014/09/08(月) 20:10:43 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

わが身ひとつの 秋にはあらねど

古今集、大江千里ですね。
槇原敬之がカバーした「Rain」が、と話の腰を折っときますw。
で、みんなで秋の悲しさを探しているうちに、

寂しさは その色としも なかりけり まき立つ山の 秋の夕暮れ

寂しさは、取り立ててどの色がってわけぢゃない、
なんて外し方をしていくわけです。

好きな文章、好きな方法がある人ならいいのですけど、
たいていの人は、そんなものは持ち合わせていません。
子規や朔太郎がダメを出したら、
それに乗っかってしまいます。
好き嫌いがないから優劣が必要なのでしょう。

僕たちには、もう試験もなんにもないから、
好きなように読み解けばいいし、
書きたいのなら、好きなように書けばいいし、
読まなくてもいいし、書かなくてもいいし。
そうなると、好き嫌いで喧嘩をしたい人はすればいい、
ってことになりますがwww。
うんっ、それもまた一興です。
  1. 2014/09/08(月) 22:13:51 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

偉い人たちが、「万葉集へかえれ」といって、古今、新古今が貶められたわけですが、だからといって、万葉集しか読んでいないわたしは駄目だなあ、と思います。
批評以前の問題です、反省。
いま、レントリッキアを読んで知恵熱が出ているところなんですが、古今はいいぞ、と膝を叩いた次第です。
青梗菜さん、趣味がしぶい。
  1. 2014/09/09(火) 09:42:28 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

レントリッキアを読んで、古今はいいぞ、
わはw、どんな視座を獲得したのか、
いいえ、説明には及びません、
知恵熱は御免こうむります。

古今、新古今の中心的主題は、恋歌ですから、
偉い先生方には、苦手だっただけではないかなぁ。
苦手なものは、安っぽいと貶めたいわけです。

エクリチュールは、コンテクストごとに意味が散らばりますが、
誰かに宛てた歌なら、作者はその誰かのコンテクストを想定して書くわけで、
では、僕が捉える、ということは、
僕に宛てられた歌として読む、ということと同義なのかもしれません。

仕組まれた掛詞や縁語からくる多義性の中から、
受け手がどんな隠れた意味を拾って、現れた意味を捨てるか、
作者は、解っていますよ、と言いたげに詠むのでしょう。
事後的に無難なところに収束された意味ではなくてね。
だから、恋愛と親和性が高く、
などと考えるのも、うんっ、一興です。
  1. 2014/09/09(火) 20:31:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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