馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

人は互いのために生きている 5/5


…… ひとり食べる主体のみが、
「他人のために」<他人の代わりに>たりうる。
かかる主体のみが意味しうるのだ。
意味 ―― 他人のために身代わりになる一者 ―― は、
血肉をそなえた諸存在のあいだでのみその意味を有する。
―― 存在の彼方へ



…… 無限は倫理的に抵抗する顔として現前する。
この倫理的抵抗は私の権能を麻痺させると共に、
絶対的かつ執拗なものとして、
無防備な眼の奥底から顔の裸出性と悲惨のうちに立ち現われる。
この悲惨と飢えの了解が<他人>との近さを創設する。
実を言うと、無限の公現はこのようにして表出および言説と化すのである。
表出の根源的本質は秘められた内的世界の情報を提供することではない。
表出においては、一個の存在がみずから現前する。
現出するこの存在は自分自身の現出に臨在し、
それによって私に訴えかける。
このような臨在は形象(イマージュ)の中立態ではなく、
みずからの悲惨と<高貴さ>によって私に懇願することである。
現出のなかには形あるものが不可避的に存在するが、
私に語りかけることはこの形あるものを不断に乗り越えることである。
顔として現出すること、
それは、現出させられ単なる現象と化した形で現出することである。
しかもこの現前は、いかなる形象にも媒介されることなく、
顔の裸出性をつうじて、つまりは顔の悲惨と餓えをつうじて生じる。
<欲望>においては、<他者>の<高貴さ>に向かう運動と
<他者>の<卑下>に向かう運動とが一体化しているのである。
―― 全体性と無限



人は人の糧になる。
糧とともに、悲惨と飢餓を呑み下す。

糧は、意味を奪われる。
どんな意味の比喩でもない。

最後に残った者が、
最後から2番めに残った者を食うとき、
人は腹の底から知るだろう。

人は互いのために生きていると。

    『存在の彼方へ』/エマニュエル・レヴィナス著、
     合田正人訳、1999、講談社学術文庫
    『全体性と無限 ―― 外部性についての試論』
     /エマニュエル・レヴィナス 著、合田正人訳、1989、国文社

    最後に残った者が、最後から2番めに残った者を食うとき、人は腹の底から知るだろう。人は互いのために生きていると。







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  1. 2014年08月12日 12:04 |
  2. 未分類
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  4. | コメント:10

コメント

レヴィナスを知らなかった…υ
哲学に暗い私(笑)

ここでの「公現」って「神性示現」と同義と捉えてよいのかな?
それによって「顔」が意味しているものが
変わるのかな?
無限ということになると、「顔」はマクロプロソポス(巨大な顔)、つまり神(ロゴス)を指しているのかな?

難しいなあ…しばらく考えてしまいそうですw
  1. 2014/08/12(火) 23:59:26 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

難しくなりましたね。
飢餓状態における、極限状態でのカニバリズムと、人食い人種などの脱魔術化する前の野生の思考としてのカニバリズムを分けて考えた方がいいような……。
  1. 2014/08/14(木) 08:37:35 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

生きるために、人を食べることの、
何がいけないのだろう。
みんな、どこに引っ掛かるのだろう。
そんな、ちょっと不思議な気持ちで、読んでいました。
でも、いろいろ問題になったり、
哲学になったりしているわけですから、
私はその辺の感情が、欠落しているのだろう、
と気づきました。

私がいなくなったら、臓器は全部あげま~す。
いや、売ろうかな。
あ、もう私、いないのか。
ん~っ!!
  1. 2014/08/14(木) 10:19:18 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

ねぇ、公現は、
現前、立ち現われ、表出、現出とどう違うのか、
そのあたりはもう関わっていられませんが、
巨大な顔とか神とかは、飛躍しているようで、
いや、しかし、まんざらでもないかもw。
  1. 2014/08/18(月) 23:01:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

ですね~、
コストベネフィットが見合うときのカニバリズムは、
見合わないときよりも単純です。
牛や豚は表情が乏しくて、
ずいぶん助かってるな、と思った次第です。
  1. 2014/08/18(月) 23:01:50 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

気持ちひとつですけどね。
何の丸焼きにしても顔が怖い、
あれは、倫理的に抵抗する顔なんだな~。
で、いちばん怖い顔は、
やっぱり人だわ。
  1. 2014/08/18(月) 23:02:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あの後、レヴィナスにはユダヤ思想の影響がある…と感じたので興味を持ちましてネットで軽く概説を掻き撫でて来たのですが、

影響どころか、ユダヤ人であり、タルムード研究もテーマにしてましたねw

ちょっと引用します…

「存在の拓けのなかで出会われる「顔」を人はコロすことができない。そしてそのような対面は言葉・言説において可能となる」

うわ、でた、言葉(ロゴス)ですよ♪
コロすことの出来ない顔…。
人は人の顔に神を見るからコロすのを躊躇う……ということを言いたげだな…と私は感じてしまいました。レヴィナスの哲学の基板は信仰なんだろうなあ…と。
きちんと読んだら違う印象を持つかも知れませんがw
  1. 2014/08/20(水) 00:57:12 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

ふむふむ、人は人の顔に神を見る、
仏性も見るし、自己も見るし、何に依拠するかはさておいても、
顔は、やべぇ、ってなって、
びびってしまうわけです。

僕は視覚に寄りすぎていて、
コロされる側の抵抗感、
もぎ取られる果実、突かれる魚、はねられる鳥、
そんな手応えがまるでないのです。
人についてはなおのこと、
対面の機会さえ少なすぎますね。
  1. 2014/08/21(木) 14:54:27 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは

こんばんは、青梗菜 さん。
いまようやく貴殿のブログにたどり着きました。(まいまいさんの“リンク”
を上から順に・・(^_^;URL貼り付けてくれてなかったのはナゼ・・・。
正直
むつかしいです。
・・・が、
あれですね、写真のブログが好きでよく行くんですが、
女性がボヤ~っとした写真を好む傾向にあるのに対して、
男性は、バシッ!クッキリ!と
被写体を掘り下げて写したものを選ばれることが多いなぁと
思った感覚がフラッシュバックしました。
・・・・・すみません、無知ゆえ、これが精いっぱいのコメントでございます。
でも、また来ます(笑)
  1. 2014/08/21(木) 20:20:02 |
  2. URL |
  3. えり #YpXcA9.U
  4. [ 編集 ]

えりさん、こんにちは。

あ~、そうか~、
ご面倒をおかけしましたっ。
そういえば、URL、って付けたことがないような気がします。
理由は、ん~…、屈託、ってやつですね。
そして、あ~あ~、
よりによって、レヴィナスの引用にコメントをw、
ありがとうございますっ。

そうですね~、しっかりと定着する表現で、
落ち着かせたい欲求はあります。
加えて、文章フェチなので、制約の多いことw。
  1. 2014/08/22(金) 21:04:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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