馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

青梗菜 ―― 自我理想


哲学、なんだかかっこいいっ。
始まりは、中二病みたいなものだと思う。
憧れに続くのは模倣で、
それっぽくまねてみたりする。

カントやニーチェのまねをしたい、
僕はさておいて、とりあえず彼らになり代わりたい。
彼らの著書を読むことは、
完コピを目指した採譜に似ている。

フロイトのいう理想自我、
ラカンのいう小文字の他者。
「構造と力」はファッションだった。
あの頃の僕たちは、コスプレをしていたのかもしれない。



カントは、カントとは何かを考え、
カントにとって世の中とは何かを考えた。
ニーチェは、ニーチェとは何かを考え、
ニーチェにとって世の中とは何かを考えた。

では、彼らの著書を読むことは、
考えることではない。
カントやニーチェの考えたことを書き並べても、
僕が考えたことにはならない。

カントやニーチェのまねではなく、
僕も彼らのように考えたい。
浅くても、薄っぺらでも、
軽くても、至らなくても。

青梗菜とは、
カントやニーチェのように考える、
そんな象徴的な人物像 ―― 青梗菜を設定して、
彼に語らせる手法だったらしい。

フロイトのいう自我理想、
ラカンのいう大文字の他者。
青梗菜は、僕が憧れ、
現実化したいと願う理想だったらしい。



僕とは何であり、
僕にとって世の中とは何か、
そんなものは、誰も僕になって、
僕の代わりに考えてはくれない。

僕が、僕と世の中について考える、
それが哲学だとしたなら、
そのためには、僕の考えごとを、
僕の言葉で語らなければならない。

間違えることは恐くない。
誰かがどこかで僕を笑っていても構わない。
誰かが僕をどう思うかではなく、
僕が僕をどう思うかが哲学だ。

正しさの基準が僕の内側にあって、
それを外に問うのが哲学だ。
正しさの基準が僕の外側にあって、
それに合わせるのは哲学ではない。

内から外に問うのが哲学だ。
外側にすでに正しさがあるのなら、
僕が追認することもないだろう。
すでにみんなが正しいと思っているから。

間違えることは恐くない。
間違えていることが哲学だ。
まったく間違えていないことなら、
僕が表現する意味はない。

世の中には、
もう正しさはいらないから。







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  1. 2014年05月20日 22:38 |
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

コメント

では、青梗菜さんは、これから、青梗菜さんではなくなる?
カントやニーチェの言ったことを、そのまま繰り返しても、仕方ないけど、カントやニーチェを如何に解釈するかは哲学だ。
そこには僕の人生観、世界観が反映している。
なぜ、こんなに研究書があるのに、また新しく、カントやニーチェの研究書が出てくるのか?
それは、己の世界観とカントやニーチェの言っていることが共鳴するからだと思う。
哲学とは、哲学者の言葉を借りて、己の生き方、あり方を語るもの、だから、哲学史という講義が存在するわけでー。
  1. 2014/05/20(火) 23:59:03 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

H・D・ソローの『ウォールデン 森の生活』を想起しました。
ソローみたいな思考実験をしようというわけでしょうか。
頑張ってください。

でも、先人が考えてくれた思考・文献にさらされていない思考は、わたしは片手落ちだと思います。
青梗菜さんもフロイトやラカンのタームを使っているじゃないですか。
文化とは先人から、わたしたちに送られた財産ですよ。

哲学は青梗菜さんの戦略でいいかもしれませんが、文学はそうはいきません。
間テクスト性の絡みで、わたしは資料空間にさらされていないものを書くわけにはいかないのです。
そこが青梗菜さんとわたしの道が別れるところですね。

あと、青梗菜さんが哲学したことを、ニーチェなどを読むときに、これはそうだな、とかフィードバックできれば、コピーの採譜にならずにすむのではないでしょうか。
  1. 2014/05/21(水) 08:26:25 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

>間違えることは恐くない。
間違えていることが哲学だ。

あ~、そうですね。
自分の哲学を持つなら、少数派であることを恐れている場合ではないですもんね。
私も含め、哲学とかよくわかっていない一般人は、
カントもニーチェも、もうピカソと同じで、
自分とは、何のかかわりも持っていないものと、
最初から思っているわけで。
というか、知らないし、興味もないので、
カントやニーチェを、経ようがないんですけど、
青梗菜さんは、ルートが違うんですね。

青梗菜さんのブログ読んでいると、
勉強が楽しいと思える人の世界は素晴らしいんだろうなぁ、
って、いつも思うんですよね。
同じことをするにしても、
一般人とはルートが違う。
頭の中で起こっていることが、感じることが、
世の中の見え方が、違うのでしょうね。
  1. 2014/05/21(水) 10:42:43 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

なるほど、
私は吉田松陰の漢詩の一節を思い出しました。

「昔 謂えらく 死は飴の如しと
今 豈に 更に呻吟せんや」

昔から言われてることを今更ながらに言わない…って
言ってしまう。
言わないってことを言うことすら詩になる。
否定も追従も全ては表現した時点で何かしらの価値が発生する。それは、ここに並んだコメントを見れば明確に分かる。青梗菜さんの書いた文章は他者に思考をさせた。それらの関連性は哲学に他ならないのではないか。

なんつってw
  1. 2014/05/21(水) 22:20:37 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

これから、というか、
もうだんだんそうなってるつもりなのですけどw。
カントやニーチェと対立するわけでも、
彼らを排除するわけでもなくて、
そんなことは、さすがに僕にはできなくて。
でも、僕が考える正しい、正しくない、そんな判断を、
都合よくカントやニーチェを引いてくることで、
補強するのはよそうかな、なんて思いはあるのです。
もう誰かの言葉を借りてきて、正しさを裏付けなくてもいいや、
もうカントやニーチェに保証を求めなくてもいいや、
みたいな。
  1. 2014/05/22(木) 18:50:55 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

はい、既にこんな考え方がある、
それを看過するのは知識の下支えを欠き、
底が知れます。
そして、ものごとを自分で考えるためにも、
先人の叡智を借りることは必要です。
考えるための技術はいろいろ仕入れておかないと、
耐久力が乏しい思考になってしまいます。
なにより、フロイトやラカンの述語は、
話が早くて助かりますから。
それらは踏まえているつもりなのですけどね。

理想自我と自我理想、
小文字の他者と大文字の他者、
コピー・コスプレとオリジナル、
それらはどちらかに振り分けられることはなく、
入り混じっていますが、
僕は青梗菜の名のもとに、
自我理想のほうに振ってみようかと。
もちろん振り切ることはできないけれど、
青梗菜はもっと自信を持っていいのではないかと。
  1. 2014/05/22(木) 18:51:40 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

「哲学者」学者は多いと思うのです。
でも、哲学者は意外と少なくて。
ある程度、ものごとを考える技術を仕入れたら、
僕なんかでも、哲学をしてしまってもいいと思うのですけどね。

愚考は、表現しなければ愚考にはならないのですが、
あえて外に出してしまいましょう。
間違えることは恐くない。
「神田川」で100人が2を選んでも、僕は1を選びますよ~。

僕は森で生活しているわけではなく、
いつも人にもみくちゃにされていて、
独りになれる時間なんてまったくなくて、
そして、現実の差し迫った問題では、
まったくといっていいほど哲学の出番がありません。

恋愛とは何か、それが哲学、
恋をして幸せになろう、それが思想、
恋愛対象にアプローチを決断する、それが政治、
恋愛対象といちゃいちゃする計画、それが戦略、
恋愛の駆け引き、それが戦術、
哲学って、役に立たないでしょw?
  1. 2014/05/22(木) 18:52:14 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

えぇと、吉田松陰、って誰でしたっけw。
わははw、妙なところからほめてきましたね~、
ありがとうございますっ。
問題を共有できれば、それだけでもうじゅうぶんですね。
そして、コミュニケーションの基本は、
こちらから発信することです。

愚考も必要なのです。
同じような考えばかりに埋もれてしまうと、
なぜ同じ考えがこれだけたくさん必要なのかと、
考え込んでしまいます。
それに取り込まれて感受性や思考が型通りになってしまうことが、
大人になるということではないはず。
誰かがどこかで僕を笑っていても構わない。
収まり切らない青梗菜でいようと思います。
  1. 2014/05/22(木) 18:52:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん。こんばんは!!^^

僕は、哲学(者?)はカッコ良く感じます、昔から。なぜだかはわからないのですがっ!!(理解するのが、というより、著作を読み進めることすらが難しいからかもしれないし、そうではないかもしれません。^^;)

哲学をするということの意味は、以前何かの本を読んで、わかったような気になった気がしたのですが、僕は、すぐに忘れてしまいます。^^;、、とゆー、私事でした。^^;
  1. 2014/05/22(木) 23:21:48 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

難解な見かけをしていますからね~。
僕は、ふわっと分かれば、
それ以上つっこんで考えることはないな~。
本もあんまり読まないし。

社会で浮いていも、
ふつうに生きている人々を軽蔑していればよくて、
むしろ、社会になじめないことによって、
自分を優れた者にしてしまう、
そんな人は少なからずいます。
そこに気づくのが哲学であってほしいです。
  1. 2014/05/23(金) 10:28:43 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あ、またしても後出しじゃんけんになりますが、
今、現実に生きているわけなので、
そこに、自分の生きてきた過去の栄光も挫折も含めた人生の全てを今生きる自分に投入して、
固定から離れて流動する世界に身を任せる。
見えてくるのが何かは、やってみないとよく解らない。
まとめると、漢字が多くなるります;;。
  1. 2014/05/24(土) 20:31:51 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

ばらばらで、適当に見える行為でも、
その人が誠実にしたことなら、
どこか似通っているはずで、
誠実の意味を説明し始めると思うのです。
やってみないとよく解らないにしてもね、
見えてくるのが誠実ならいいかな。
  1. 2014/05/24(土) 21:37:41 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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