馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

岐路に立つ


帰り道を急ぎながら、こう考えた。

    140112.jpg

右か左か、難波か天王寺か、
それは僕が選んだと言えるのか?

確かに自由に選んだ道で、
選んだ理由も意識に上っている。
しかし、その理由はいつ作られたのだろう。



間違いに気づくのが常に選択の後になるのなら、
正しかったことに気づくのも選択の後ではないか?

意識せずに選んだ後で、
意識がつじつま合わせを始めていないか?

理由は後で作られる。
とするなら、選択とは、
その理由を作り出すことにほかならない。



気がかりなのは、
選ばれなかった選択の向かう先だ。

検証することはできないし、
選びなおすこともできないが、
意識はつじつま合わせを止められない。

選ばれなかった選択の、
有りもしない可能性になにかを期待すれば、
有りもしない失望が生じてしまう。

選択の自由は、
常に失望と引き換えになる。



なにからも自由に選んだつもりでいて、
選択は、自由を奪い去る。
選んだ途端に選択の自由が遠ざかる。

選ぶことで、
自由と不自由が同じ意味になるのなら、
選択の自由とは、
選択の先延ばしのことにほかならない。







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  1. 2014年01月12日 12:14 |
  2. 未分類
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  4. | コメント:8

コメント

帰り道なら、難波か天王寺か、早く帰れる方を選ぶのでは、理由は明解なようなー。
僕の場合は、展覧会行くけど、その日の気分で行く展覧会を決めます。
こうなると、選ばれなかった展覧会にもし行っていたら、そっちの方が良かったのかな?と思ってきて。
理由付けは難しい。
今日は、あそこの美術館に行きたくなったという、漠然とした理由で行きますから。
まあ、体調と相談して、今日は遠くまで行きたくないとか、歯医者の予約があるから、時間に間に合うようにと、なんて言っても、東京には美術館たくさんありますから、その美術館でなくてはならない理由にはならない。
IPhone新しいのに変えました。
  1. 2014/01/12(日) 21:42:51 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

早く帰ること、それは効率とか生産性とか、
子どもの頃から競争にさらされた習い性でしょうか。
で、僕は早く帰れそうな天王寺を選んで、
でも、あまり選んだ意識がありません。
それは、慣れというか、学習というか、
意識的に選ぶと、意識しすぎて混乱するのですよね。
歩くことに意識を向けると、
意識しすぎてうまく歩けなくなるように。
だから、薄ぼんやりと選んでいて、
気がつけば松原線に乗っています。

展覧会もiPhoneも、とても示唆に富むコメントです。
展覧会は選んだ展覧会よりも、
選ばれなかった展覧会の方が多く、
つまり、多くの選択肢があります。
iPhoneはほとんど選択肢がありません。
展覧会は、最適な選択を逃したかもしれない思いが捨てられませんが、
iPhoneは、古い機種との比較でしかなく、
現時点での最適な選択だったことが約束されています。

僕はいつもいつも選択をしているのに、
選択それじたいをのことを説明できない、
そんな雑感です。
  1. 2014/01/13(月) 11:29:17 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

意識に上らなかった思考、つまりは、無意識レベルで青梗菜さん、なんとなく今日は早く帰りたくない、難波にでも行ってみるか、ということもあるな。理由付けは後、まさしくその通りで、無意識レベルで帰りたくない、を別の理由に置き換える。例えば、難波のデパートの大安売りは今日までだった、とか。
やはり、無意識の発見は大きいですよ。
僕の美術館選びには、どんな無意識が働いているのか?
  1. 2014/01/14(火) 00:08:59 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

発話は言った言葉と言われなかった言葉の意味空間です。
青梗菜さんの選択しなかった行き先の時空は、話されなかった言葉と同義です。
一つひとつ言葉を選び、選ばれなかった言葉とともにある様が、諸種の行動や態度を選択する生の様に似てしまう。
言語の構造が人間の生と根源的に似てしまうという根拠でしょう。
ソシュールの言語学から構造主義の哲学や心理学、人類学が生まれたというのは、言語が先のように人間の生と同じ構造を持っていたからだ、と思います。
人は選び損ねた意味を思んぱかるようです。
  1. 2014/01/14(火) 10:10:53 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

ってことは、
どんな展覧会に行きたいかが具体的であれば、
そこに向かうことになります。
美術館に行けたらいいな、行きたいな、ではだめで、
こんな展示に行く、と決めれば、
妙ちくりんな理由で、どこかで出会うことになりそうです。
引き寄せ、ってやつですね。

受験に合格して、将来は…、なんてのは、
妄想する時間あるのなら、
テキストを1ページでも多く読むことに充てるほうがいいわけで、
ポジティブだけではどうにもなりません。
ほんとうは、そんな将来は夢見ていなかった、
なんて置き換えて、つじつま合わせが始まります、前向きに。
  1. 2014/01/14(火) 10:52:40 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

独りで、黙ってブログなんか書いてると、
書かれなかった言葉の多さに気づきます、
と、ここまで書いたら、もう後の文章が浮かんでしまってます。
選ばれることのない言葉が選択肢から一挙に消えて、
不自由なはずなのに、楽ちんに書くことができます。

選び損ねた選択肢は、少ないほうがよさそうですね。
選択肢が多いと、最適な選択ができなかった可能性が増えます、
その肢の数だけ。

と、ここまで書いて、
瀧野さんが書きこんでくれなかったら、
この文章が生まれなかったことに気づきます。

いつも、コメント、
ありがとうございます。
  1. 2014/01/14(火) 10:53:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

むむむ~、これは非常に難しい投球ですね。ほぼど真ん中の直球。
ていうか、青梗菜さんの文章は、
受け取り様によって、様々に姿を変えますから。
意識と無意識と本能まで行きますか。
本能は直線的で分岐が無いとすると、
無意識が分岐しているのか。
意識が分岐を造るのか。
それとも全く別のものに造られた道でしかないのか。
揺れますね、脳が。
写真のように、現実的に分岐は存在していますからね。
これでは、更に投げかけただけなので、
もう少し時間下さい。



  1. 2014/01/14(火) 22:22:53 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

> もう少し時間下さい。
…わはは、あげませんwww。
ここでの分岐は文字どおりの分岐で、メタファーではありません。

> 意識せずに選んだ後で、
> 意識がつじつま合わせを始めていないか?
難波、天王寺、どっち?
と案内板に訊かれて、
あっ、はい、天王寺、っていうときは、
無意識も意識も帳尻を合わせてくるから違和はありません。

違和を感じるのは、
天王寺を選びかけて、
んっ、違う、難波だ、ってとき。
意識がちょっとだけ遅い気がするのです。
先に、違う、が来て、
違う理由が後になるような感じ。

理由は合理的でなければならないので、
理由を意識に上げてくるときに、いろいろパラメーターを渡して、
検証しているのだろうと思っていたのですが、
もしかすると、切羽詰ったときには、
さしあたり無意識が、これじゃない感を出しておいて、
理由は後から意識に上げてくるのではないかと。

時速80kmで走るクルマは、1秒間に22m進みます。
急を要するから、無意識があわてて飛び出して、
意識の後ろに隠れる前に、意識に見つかってしまったのではないかと。

無意識が自作自演した筋書きを、意識が観ているとするなら、
鍛えるべきは無意識のほうで、意識ではなくなります。
例えば、九死に一生を得るような場合、
やることがある人、つまり生きたいと思う人のほうが、
命をとりとめる行動に出れると思うのです。

思索的な本を読むことよりは、
出歩いたり、仕事に打ち込んだり、恋をしたり、
そんなことが最適な選択につながるのだろうな、などと、
以上、根拠はありません。
  1. 2014/01/15(水) 13:41:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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