馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

詩なんてもの


めそめそと、
詩なんか書きやがって、
と言われるようなものです、
詩なんてものは。

めそめそ、なんか、やがって、
ようなもの、なんてもの、
そんな後ろめたさに抗って、
書いてしまうものです。

恥を恥と感じる心がある人は、
詩なんて書きません。
僕にとって詩は、恥をその核にしています。
それは、すべての創作に言えることかもしれません。

だから、せめて、
泣かない、叫ばない、死なない。
嬉しいとも、悲しいとも、
ありがとうとも、ごめんなさいとも言わない。

形容詞で誘わない。
きれいな言葉で飾らない。
難しくしてごまかさない。
愛だの恋だの、好きも嫌いも書かない。

そんなありていな言葉で、
片づかなかったときに、
書かずにはいられなかったものです、
詩なんてものは。

あるいは、
恥を恥と感じる心がない人は、
詩なんて書けません。
恥をかくのは必ず、
恥をかきたくなかった人ですから。







  1. 2013年11月12日 12:41 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

コメント

こんにちわ、ちんげんさいさん。

詩なんてもの かぁ。
言われてみれば、詩なんて、「詩を書こう」と思って書いたことないなぁ。
まぁわたしの詩なんて、たわごとみたいなものなんですけど。。(笑)

ことばと向き合うとき、
心の中に、恥ずかしい自分にいっぱい出会ったりします。
こうして、青梗菜さんにコメント描いている間でさえ。

「恥をかくのは必ず、
恥をかきたくなかった人ですから。」

すごくすごく、
すごくすごく、
染み渡りました。

*まりこうた*
  1. 2013/11/12(火) 13:00:22 |
  2. URL |
  3. まりこうた #JVU.pKbY
  4. [ 編集 ]

創作、というか、書くということは、いいがたく恥ずかしいことです。
やはり、恥をかくものです。

それを仕事にしてしまった人間は、できるだけ鏡を見ないようにしているわけですね。
そういうことを考えないようにしているのです。

ここはひとつ、男らしい、男前の話でも書いてみましょうか……。
  1. 2013/11/12(火) 13:52:40 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、またまたおじゃまします。
こちらからもリンクさせていただきました。よろしくお願いします。

日々、恥を綴っている者としては分かる気がします。

恥ずかしいんだけど恥ずかしくない。そんな気持ちで自分は書いてます。
  1. 2013/11/12(火) 18:41:54 |
  2. URL |
  3. 哲心 #-
  4. [ 編集 ]

まりこうたさん、こんにちは。

お元気そうで、なによりです。
そうですそうです、詩は書いてしまうもの、
恥といっしょです。
かこうと思ってかいても、恥ずかしくない。

僕なんか、内側も外側も、
どこを切っても恥ずかしいです。
大人になってずいぶん経つのに、
どこまで続く恥多き日々、
中二病のなれの果てかと思ったり。
  1. 2013/11/12(火) 20:34:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

わはは、プロが恥ずかしいと言ってる。
おそらく、僕の比ではなく、
救い難い恥ずかしさなのでしょうね~。

恥ずかしさから逃れるための、
逃げ道を教えてもらいたかったのですが、
方策は逃げ道を探すことから逃げることですか~、
とほほ。
  1. 2013/11/12(火) 20:34:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

哲心さん、こんにちは。

哲心さんも恥ずかしいんだ、わはは。

恥ずかしいことを知っている、
だから恥ずかしいのですけど、
だったら書かなければいいのに、
書いてしまうのは、なぜ?

リンク、ありがとうございます。
うるさいくらい書き込みさせてもらいます。
後悔先に立たず、後の祭り、覆水盆に返らず、
まだ何かあったような。
  1. 2013/11/12(火) 20:41:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ハイデガーですね。詩作 Dichtenと思索 Denkenの中に真実をみたのは。
アドルノですね。アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮だ、等と言ったのは。
詩は恥ずかしいか?
実は若きヘーゲルも詩を書いていたし、ベートーヴェンの第九はシラーの詩に歌詞を付けたもの。
詩は案外普遍的で、恥ずかしいと感じたら、ベートーヴェンは曲に使ったか?
なかなか面白い議論だ。
  1. 2013/11/12(火) 21:32:47 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

僕が恥ずかしいと思っているのは、
ヘーゲルでもシラーでもなく、
なんだか詩的なことを書いている僕なのです。

表現者は、自己の内側を外側に問います。
詩なんてものは、なんの役にも立たないくせに、内面が丸出しです。
それは、無防備すぎて、度し難く恥ずかしいです。
露出狂にも、それ相応の理由があると思うのですが、
世の中的には言い訳が立たないのです。
見せる側は倒錯しているからいいのですけど、
見せられる側が恥ずかしい。
その見せられる側に先まわりして、
つまり、自己の内側が外側に出て、メタに恥ずかしいのかもしれません。

僕の内側に価値判断の基準があるから、
その基準は外側からどう思われようともたいして揺るがないから、
つまり、僕の書いたものは、まがりなりにも詩になっていると僕が認めるから、
それを外側に問えるわけで、
それが表現ってものだと思うのです。
読まされる側は、たまったものではないにせよ。


あ、そうか。
単純な話、
詩を書くことの恥は、
詩を書くことでしかかけない。

だから、恥を恥と感じる心がある人は、
詩と恥がかける。
恥ずかしくて、わざわざ詩なんて書かないけれど。
  1. 2013/11/12(火) 23:34:05 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

思えばそうだなあ。
シラーも、よく幾百万の人々、抱きあうのだ、なんてよく恥ずかしげもなく言えたもんだなあ。
それを採用するベートーヴェンも、なんだこりゃ、と、思わないのかね。
今日誕生日だけど、オーディオが壊れたり、ろくなことない。
  1. 2013/11/13(水) 20:50:24 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

幾百万の人々、抱きあうのだ、
って、それはまた激しいな~。

で、さらに詩論、
ってほどでもない、感想というか、思いつきを続けます。
そんなのは紀元前から議論されていると思うけれど、
僕がこう思うということ。
誰にとってもぜんぜん役に立たない感想で、
でも、僕にとってはとても大切。
  1. 2013/11/14(木) 13:32:53 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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