馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

不幸への誘い


向こうから、ハゲ頭の人が歩いてきた。
それだけなら、なんということはない。

そのとき僕の心が、ハゲと言ってはいけない、と囁いたなら、
僕は落ち着いていられなくなる。



結婚式で、言ってはいけない言葉は、
頭の中で渦巻いている。

葬式で、演じてはいけない失態は、
なぜか、そんなときに限って演じてしまうものだ。
そして、そこに居合わせた笑ってはいけない人たちを、
こらえきれずに笑わせる。



してはいけない、
と言われると、僕たちは誘われないだろうか。
してはいけないことを、してしまうことに。

してはいけないことは、してはいけない、
それは、分かっている。

しかし、回転する扇風機の羽、焼けた鉄板の表面、
触れてみたくなるのは、子どもだけだろうか。

スピーカーのセンター・キャップ、
凹ませてみたくならないだろうか。

非常ベルのスイッチ、
押してみたくならないだろうか。

不幸な結果は、容易に予測できているのに。



白線の内側でお待ちください。
―― 駅でなにげに耳にする依頼の表現を、
白線の外側に出ないでください。
―― 禁止、つまり否定命令の依頼に変えてみた。

ふたつの文は、ほとんど同じ意味だが、
後の文は、白線の外側に出ることに誘っている。

否定文は、肯定文に否定表現を付加して作る。
僕は、一度、白線の外側に出てしまったのだ。

表現は選ばなくてはならない。



僕は、幸福を指向している、
不幸を回避している。

扇風機の羽にも、焼けた鉄板にも触らない。
電車は白線の内側で待つ。

でも、誘われる。
落ち着かない。



不幸を指向する想いが、
僕の心に潜んでいるのだろうか。

そもそも、人の心は常に幸福を指向していると、
誰に言い切れる?

ところで、
不幸になることを望んでいるとして、
それがかなったとき、
それは、不幸なのだろうか、
それとも、幸福なのだろうか。







  1. 2013年04月25日 21:54 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

非常ベルのスイッチ押してみたいですよね。
電車が止まるのを目撃したい。
雑誌なんて本屋の外側に置いてあ
るから、金払わず、持っていっちゃおうと思えば出来る。
そういうことをしないのは、では、何故か?
見つかったら、罰せられるという恐怖心だけか?
なかなか難しい。
人はそんなことはしないものだ、普通の人は、という常識?
不幸を求める心は確かにある。
世の中が不条理で、悪いことをしている人が見つからず罰せられない、なら自分もと思う。
ところでチンゲン菜さんの考える幸福とは何?
  1. 2013/04/26(金) 03:26:35 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

なんなのでしょうね~、幸福とは。
生活感と切り離して、わざわざ打ち立てるようなものではなくて、
個人の感想で、それを支えるのは体験で、
気の持ちようみたいな、
そんなところに帰結してしまうのでないでしょうか。

幸福について書かれたものは、
感想文なのでしょうね。
  1. 2013/04/26(金) 11:02:51 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

私は友人の披露宴の司会で、
「汚れ」という言葉を使ってしまったことがあります。
「司会」だったのに。。。。。
予定原稿にない、アドリブの中でした。

私が感じる幸福とは、
「外側から包み込まれている感じ」でしょう、たぶん。
まだ外に何かあるのかという不安より、
決定的に何かに包まれているだろうという予感のほうが勝ります。
勿論個人的な感想ですが。

人間は、自分が望むことしか選択し得ないというのが、持論です。
幸福を望もうが、不幸を望もうが、
選択して望んだ行動しか取れないと、考えています。
だから、結局幸福なのだと。

周りからみて不幸と思える事態でも、
それは本人が望んだことなので、幸せだと。

しかし、それは人間としてある程度完成している場合に限ります。

このあたりは、自分のブログの書きかけ記事の結末に関連しているので、
触れにくい^^。

私は望んだとおりに生きているので、人生に対して殆どストレスを感じません。というか、そのように思い込んでいます。

この態度が、傲慢なのか謙虚なのかという問題は常にあります。








  1. 2013/04/26(金) 22:27:19 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

望むことを選択するのは、
ほとんど同語反復ですがな~。

乱暴に言うと、人は善だけを行います。
殺人も、殺害の時点で加害者にとっては善い行為でした。
善悪の価値判断に、誤謬があるのはさておき、
自殺も善い行為だと思うのです。
その人が選択したことですから、
その人にとって悪いはずはありません。

実際には、選択肢なんてあるのかな、なんて思うのです。
僕には、実感として、選択の自由が否定されているのです。
過去にあったはずの選択肢を思い返せば、
僕は何かを選び取った、なんて自信が持てません。
逃げを打つつもりはありませんけどね。
  1. 2013/04/27(土) 10:35:36 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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