馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

コレクションとは何か 5/5


僕が、花束をもらって、
それにはアイビーが添えられていたとする。

主役はもちろん花で、
アイビーは脇役だが、
僕にとっては、主役がアイビーで、
花は脇役にもならない。

僕にとって花は、
秩序を乱すものにほかならない。

主役のアイビーが、
僕が持っていない「ペイパー・ドール」だったらうれしいけれど、
バルコニーで邪魔なくらいに増えている「白雪姫」だったらうれしくない。

しかし、その「白雪姫」が、
ふつうより小さな葉っぱだったら、
僕は、なんとか発根させようと試みるに違いない。



コレクションとは、
換言すれば、あるものに価値を与え、
あるものの価値を減じて、並び変える関数、
である。

個人的で、気まぐれな、僕の関数、
である。



コレクターがコレクションを忘れても、
コレクションは、それ自体の価値を失わないのだろうか。

普遍的な、客観的な価値が残っているとするなら、
僕が世界から切り取って再編したその不完全な体系は、
世界に価値を還すことができる。
多少なりとも。



それは、考えなくていいのかもしれない。

アイビーは生きものだ。

1週間、僕が忘れただけで、
アイビーはひとつ残らず枯死するだろう。







  1. 2013年04月20日 21:36 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

お疲れ様でした。
私的欲望の対象だったコレクションが普遍的意味をもつ、って凄いですね。
それは個人の美術品蒐集が美術館で公開されるのとは違った意味に取りたいですね。

アイビーのブームが起きる、ですとか。
アイビーが青梗菜さんに「コレクションとは何か」を書かせたことに何かただならぬ意味がある、ですとか。

それで、個人の活動と、それに対する普遍性というのは哲学的テーマのような気がします。
政治学、社会学でいうと、個人と国家という問題になるのでしょうが、難しすぎますので、この辺でやめておきます。
  1. 2013/04/22(月) 15:16:19 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

私設植物園に青梗菜先生の胸像、入園料200円、
「探偵!ナイトスクープ」になりそうですね~。

では、がんばってブームを起こしますか。
でも、ブームになるものごとって、
たいていは、底が深いというふれこみで、
実は、底が浅くて、没個性に成り下がりますから、
マイナーな趣味のままがいいのですけど。

花が好きな人の庭は美しくない、
僕は常々そう思うのです。
だから花はいらない、と言い切りますが、
園芸と花を咲かせることは、多くの人にとってはほぼ同義で、
花が咲いている庭が美しという当りまえさは抜き難いでしょう。

僕のアイビーは、盆栽なのかな、
と思うときがあります。
盆栽それ自体は、多くの人たちが同じ考えを共有しているのが、
気持ち悪いのですけどね。

マイナーなほうがいいです。
定見がないから、ほんとに好きにやってます。
破る型がないから、型破りにさえならなくてもいい、
誰にも自由を保障してもらわなくてもいい、
それって、あり得ないくらい自由でしょ?
  1. 2013/04/22(月) 20:48:34 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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