馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

我にもあらず


  雨は1000年降り続き、
  全球を覆った。

と書いたなら、
書かれた文は、次に書かれる文を規定する。

「全球」は、話し言葉ではない。
語彙が狭められ、
単語の組み合わせ方が決められる。
漢字、仮名、数字の表記が決められ、
リズムが決められる。
センテンスは短い。


  風が吹いて海を流しました。
  波を起こしました。

体は変えないほうがいいし、


  陸地はまだないそうな。
  まだ要らないとさ。

話語になって、
「とっぴんぱらりのぷう」で結ぶべきではない。



単位が統一されて、
読点が揃えられて、
語尾がまとめられて、
調和が生まれて、
修辞で変化をつけて、
書き進めて行くうちに、
さらに制約が厳しくなって、
やがて、文章は、
苦し紛れの嘘に自らを投企する。


  僕たちは、かつて、
  魚で、蛙で、蜥蜴(とかげ)だった。
  つい先日まで、
  海で、土で、川で、空で、雨で、
  海月だった。

僕には、とてもそんなふうには思えない、
正直に言えば。
―― 嘘について語るときは、
僕たちは正直にならなければならない。


文章は、僕が思ってもみない嘘に行き着いて、
それを結びにした。

パラグラフが束ねられて、
射程に収まって、
強引に、また「虹」に還される。


読み返して思う。

この文章は、
誰が書いたのだろう。







  1. 2013年04月06日 10:31 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

〉この文章は、
〉誰が書いたのだろう。

いい落ちでした。
そうくるとは読めませんでした。

人は書きつつ読み返して、また書いて、また読むものだ、とか云いますね。
青梗菜さんが書いたものを読んだ青梗菜さんが、誰が書いたのだろう、と。
書いたのはラングとしての日本語だったり、現代日本文化という集合無意識であるのかもしれません。
で、《誰が書いたのだろう》と書いたのは誰だろう、とかもあるわけで。

以上、鏡のなかの鏡という意匠について、でした。
  1. 2013/04/06(土) 13:42:01 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

カーンと誰かが鐘を打った。僕にはその音が聴こえた。
誰がそれを造ったのか、何故そこに置いてあったのか。何処にあるのか。
ただ置いてあった鐘に、風が吹いて小石があたったのかもしれない。
風そのものが、鐘を打ったのかもしれない。
しかし誰かが、意思を持って、打ったのかもしれない。
波紋を眺めている僕。
やはり、何もわからない。
しかし、打った音は聴こえたはずなんだ。
混沌の中で、確かに響くはずの音を。
高らかに、打ち鳴らされる孤高の調べを。

ちょっと、ロマンチックに。



  1. 2013/04/06(土) 20:47:24 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

日本語で書いてますから、
日本語が書いたのですよね。
日本語の作法が書いたし、
日本文化の端くれが書きました。
後退しながら書きました。

誰が書いたのかは知りませんが、
しかし、気の毒なくらいの文章フェチですね、
この人は。
  1. 2013/04/07(日) 09:18:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

鐘が鳴った。
鐘が鳴ることは不思議ではない。
不思議は鐘が鳴った理由を探す僕にある。
不思議は鳴らない鐘にある。
今まで鳴らなかったことを、
不思議に思わない僕にある。

鳴り続ける鐘が鳴り止んだときにも、
僕はその理由を探すだろう。
誰が壊したのか、
なぜそこから持ち去ったのか、
どこにいったのか。

って、海底まきがいさん、
ネグレクトとDVの題材、どうかお気楽に。


よいかな、まきがいさん。
おぬしは鐘の音に「有」を聞く。
そして、青梗菜、
そなたは鐘の音に「無」を聞いたのぢゃ。
私はいまから鐘を打とう。
私がいま聞いている鐘の音は、さて、何ぢゃ?
ほっほっほ、「空」ぢゃよ。
  1. 2013/04/07(日) 09:22:20 |
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  3. 青梗菜 #-
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