馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

生命のめまいの中で


なぜ、時間は過去から未来へ向かうのか。

それは、質問になっていない。
過去と未来は時間の後先にあるから。


なぜ、前は後の前で、
なぜ、後は前の後なのか。

どうせ質問になっていないのなら、
こっちのほうがかっこいい。



僕たちの時間は過去から未来へ向かうが、
僕たちは、前を見て歩けない。
前を見ても、未来は何も見えてこない。

後ろ向きにしか歩けない。
後ろを見ながら、
あると同時になくなってしまう今と、
背中合わせで歩いている。

僕たちの知覚は遅いから、
僕たちは、厳密には今を知らない。
僕たちは、厳密には過去しか知らない。

体験として再構成するのにはさらに時間がかかる。
過去の知覚を想起しながら、
僕たちの主観で空間化が起こる。

僕たちは、過去における時間の在り方でしか時間を知ることができないが、
推移する今を直観できるとして、
そこに過去における時間のあり方を適用するのは、
妥当だろうか。



後ろ歩きの僕が、振り向いて、
時間の先頭に立てば、どんな気分だろう。

一点透視の消失点から次々に今が立ち上がる。
回転し、揺れ動き、僕の意識は追いつかない。

時間の先頭は、過去と未来が出会い、
未来の可能性を過去の事実に変え、
過去も未来も一切合切を引き受ける。

瞬間が包含する全体性に、
僕は耐えることができるのだろうか。







  1. 2013年03月18日 21:31 |
  2. 時間
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

仏教にこういうのがあります。

汝は汝自身の父である。

SFだったら、タイムワープして自分の父親になることは可能です。
タイムワープできないとき、この人間を包む時間性とはなんなのか?
次々と起ちあがる現在の先頭に、自身の父である者と子である者が包含されているのかもしれない。
それが、「瞬間が包含する全体性」に耐えることに関わっているような気がします。
上手く云えませんが。
  1. 2013/03/19(火) 10:33:46 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

思考実験は、もどかしさがいいですね。

ほんとうのほんとうはどう思ってるの?
って訊かれると、
僕が思う時間は、
過去から未来に向かう回転と、
未来から過去に向かう回転の接点で今が立ち上がっています。
時間ではなくて、時計に近いのですが、
ふつうに生活していると、時間と時計の区別がつきません。

ちなみに、世界は、
亀の甲羅に乗った3頭の象が大地を支えていて、
海の水が滝のように落下し続けています。
こちらはそろそろ認識を改めようかと思いますが、
ふつうに生活していると、地球が丸いなんて誰も思ってませんよね、
きっと。
  1. 2013/03/19(火) 19:10:44 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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