馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

スーちゃん 4/4


「シロちゃん、寝たね」
ヤチグサさんが、フジを見ながら囁いた。
「はい」
「寝てるとみんなかわいいね」
「ほんと、そうですね」

カマヤツさんは、フジの寝顔を覗き込んだまま黙っていたが、唐突に、
「この子、ほら、あの子に似てるわ」
と、要領の得ないことを言った。

「ぜんぶ思い出してからゆうてほしいわ」
「まったく」
ヤチグサさんと僕が笑っていると、
「思い出した、スーちゃん!」

耳元で大きな声を出されたフジは、
迷惑そうに薄目を開けて、伸びをした。

「キャンディーズですか?」
「ちゃうちゃう、あんたは知ってるわなぁ、
私が子どもの頃、近所に住んでたスーちゃん」
「知らんがな、あんたの子どもの頃なんか」
「そうかぁ、そうかぁ…」
得心した様子のカマヤツさんだが、
僕たちは納得が行かない。
「そうかぁ、スーちゃんかぁ…」

フジがゆっくりと歩きだした。
一度だけ振り返り、笑ったような顔で、にゃあ、と鳴いて、
路地を曲がった。



カマヤツさんは、筑豊で生まれ育った。
大阪に移り、間もなく結婚した。

「農家の嫁やなかったら、別に誰でもよかってん」
カマヤツさんがそう言うと、
ヤチグサさんが真相を明かした。

その実は、
途ならぬ恋の末、鞄ひとつで手に手を取って、
連絡船に乗り込んだ。
二人して船尾に佇んで、
故郷の山に沈む夕日を眺めていたとかいないとか。
叩けば埃(ほこり)が出るものだ。

「もう見納めや思て見てたわ」
「あんた、次の正月には、子ども連れて里帰りしたくせに」



カマヤツさんの家は代々続いた農家だった。
農閑期には彼女の父や兄は炭坑で働くこともあった。
坑夫には、朝鮮から来た、あるいは連れて来られた者が多く、
彼女の町にも多くの朝鮮人が暮らしていた。

母屋から最も離れた畑の傍に、
誰かの、荒れるに任せた納屋があった。
いつからか、その納屋に手を加え、
朝鮮人の家族が棲みついた。

カマヤツさんの父親は兵役を免れた。
「もうええ年やったし、背えも低かったから、いらんて言われてん」

ある日、父親がだめになった白菜の葉っぱを捨てていると、
納屋に棲んでいる亭主が、貰ってもいいか、と訊きに来た。
とても食べられたものではないから、と断ると、
残念そうに去って行った。

元来、世話好きで、
なんとか団長とか、なんとか組長といった役が回ってくる人だった。
気になっていたのだろう。
盗ろうと思えば何時でも盗れる、
盗まれたと思って二、三個持って行ってやれ。
ねじくれ曲がった理由をつけて、
その日の夕方、父親はカマヤツさんに白菜を持たせた。

納屋では、亭主と男の子と女の子が、
玄関先で立て膝をついて夕飯を食べていた。
カマヤツさんが白菜三個を差し出すと、
女房も表に出てきて、派手に歓迎した。

さかんに礼を述べているらしいのだが、
亭主の言葉はほとんど分からず、
他の三人の言葉はまったく分からなかった。



とある夏の日、家に戻る途中で、
納屋の女の子に出会った。

女の子は少し前を歩いている。
時折こちらを振り返り様子を覗っている。
家までは、まだ距離がある。
黙ったまま歩くのがいたたまれなくなってきたが、
女の子は日本語が話せない。

こっち、こっち。
カマヤツさんは女の子の手を引いて、
道を逸れて河原に下りた。
日照りが続いたせいで、川は水嵩(みずかさ)がなく、
あちこちに丸く削られた岩が頭を出していた。

カマヤツさんは岩の上をぴょんぴょん跳んで、
向こう岸に渡ってみせた。
最後は体操選手のように、
両手を挙げて着地した。
ここまでおいで、と女の子を手招きした。



女の子は、きゃあきゃあと大騒ぎをしながら渡ってきた。
ばたばたと不器用に跳んで、
しかし、最後だけはカマヤツさんの真似をして、
嬉しそうに両手を挙げた。



「私、結構お転婆やったから。
名前はなんてゆうたかな。
スキ…、スク…、あかんな、思い出されへんわ。
スーちゃんて呼んでたから、スがつくねんけどな」

「年は、私より三つくらい下やった。
別に仲良くしてた訳やないけど、
まあ近所付き合いみたいなもんはしてたんかな。
スーちゃんはいっつもひとりでいてたから、
遊んであげてもよかってんけど、周りの目えもあるし、
畑とか工場とか手伝わなあかん、
家事もせなあかん、たまには学校も行ってたしな」



その日、カマヤツさんは友達と歩いていた。
何やら買い物をしているスーちゃんを見かけた。
友達はスーちゃんが喋るのを聞いて、
「チョン?」
と訊いてきた。
そうかな、カマヤツさんはとぼけた。

スーちゃんがカマヤツさんに気づき、
にっこりしたときに、友達が言い放った。

「朝鮮人は朝鮮に帰れ、ってね。
スーちゃんは、びっくりして目え丸うしてたけど、
そやけどまた笑顔に戻ってね。
私もびっくりしたけど、私はね、なんか鬱陶しくなってきてん。
そんなん言われても笑うてんのが、
なんか、卑屈に見えてきたんかなぁ。
そやから私も、ゆうてしもてん」

「朝鮮人は朝鮮に帰れ、ってゆうてしもてん。
大きな声でゆうてしもてん。
スーちゃんは、泣きそうな顔になって、
さすがにもう、笑われへんようになってしもた」

「そんなことがあったのにね、
それからもスーちゃんは、私と会うたら、
こんにちわ、ゆうて、にこにこしてんねん。
私は、悪いことゆうてしもた、
ってその度に思い出さなあかんやん。
目えも合わさへんかった」



昭和二十年、終戦。

秋になって、納屋の家族が揃って挨拶(あいさつ)に来た。
故郷に帰ると言う。

スーちゃんは、白いチマ、白いチョゴリを着て、
髪を後ろで丸く束ね、長い櫛を差していた。
粗末な服とお下げ髪しか見たことがなかったから見違えた。
スーちゃんが大人に見えた。

きれいな服を着て、いつも笑顔のスーちゃんは、
その日は笑顔を見せなかった。



声に出して言えなかった言葉は、
どこに行くのだろう。
声に出して言えたなら、
スーちゃんは笑ってくれたのだろうか。

「私は河原に下りて行ってね、
その日は今日みたいにええ天気の日やってね、
空が青くてね」

「なんか知らんけどね」
空を見上げた。

「涙が止まれへんようになってしもたんよ」







  1. 2013年03月10日 21:14 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

いい話ですね、。
中上健次の「一番はじめの出来事」が思い浮かびました。
スーちゃんが出てくるまでの箇所が技巧的に欲張りすぎなのかもしれない、とちょっと思ったり。
  1. 2013/03/11(月) 10:19:12 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

ありがとうございます。
長い前置きですよね、スーちゃんがなかなか出てこない。
やっと出てきたと思ったら、
また消えて、女の子なんて呼んでます。
短い本題で、ぎりぎりいい話になりました。
カマヤツさんに感謝です。
  1. 2013/03/11(月) 22:43:00 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

こんにちは。
青梗菜さんは文学者でもおられるんですね。
哲学者の時もあるし、詩人でもあるし多彩な才能の持ち主なんですね。
無知な僕は勉強になりました。
  1. 2013/03/12(火) 11:30:29 |
  2. URL |
  3. ビーカブ #-
  4. [ 編集 ]

あはは、ビーカブさん、
なんだか、小さくなってますねぇ。
なにがあったのかは怖くて訊けませんが、
まだ復活していないご様子。

どうでしょう、この欄でこっそり公表しませんか?
いえいえ、誰も読みに来ません、
悪いようにはしませんから。
  1. 2013/03/12(火) 12:11:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

にんげん

小学校の道徳の時間
「にんげん」っていうタイトルの教科書を使ってた
そんなことを思い出しました
  1. 2013/03/13(水) 08:09:21 |
  2. URL |
  3. hiro #e5MtbXGQ
  4. [ 編集 ]

「にんげん」、
悲しくて、くやしくて、うっとうしい本でした。
うっとうしさの理由は、
今なら探れそうな気がします。
  1. 2013/03/14(木) 07:32:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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