馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

どこから来て、どこに行く


空に溶けた煙が集まって、
煙突に吸い込まれた。

僕が形づくられて、
葬儀が終わり、始まった。
僕は死を告げられて、病院に運ばれた。

自殺未遂の後、自殺を試みても、
九死に一生を得た後、事故に遭っても、
僕の生命は、僕の寿命が来るまでは守られる。

この世界で僕が怖れるのは、
生まれること。

幸福な時間を過ごした僕は、
やがて、言葉を忘れて、自分を忘れて、
アルジャーノンの後を追うだろう。



生まれることと死ぬことは、
大きな差異を持つ。

しかし、時間の向きを逆にすれば、
差異はこんなに小さくて、
それでも、相も変わらずに、
どこから来て、どこに行くのかは分からない。







  1. 2013年03月05日 22:51 |
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

わかりませんね〜。
死後の世界があるなら、死ぬことは、新たに生まれることですがー。
キューブラーロスは、死後の世界と生まれ変わりを認めたけどどうなのかな?
臨死体験では、自分のご臨終を上から眺めて、限りない安らぎに包まれ、トンネルをくぐり、死んだ身内と出会い、さてどうなるかと言う時にこの世に帰る。
けど超越論的演繹論などを書いたカントでさえ、単純な応報思想の持ち主で、道徳的行為は神による来世の幸福がなければ実行の動機にはならないと論ずるのだからさて。
  1. 2013/03/05(火) 23:57:08 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

〉どこから来て、どこに行くのかは分からない。

宙づりにされた結末はまさに、書くことの過程。
生も死も、どこから来て、どこに行くのかは分からない。
書き手も読み手も、きっと生の途中へと誘惑されることでしょう。
  1. 2013/03/06(水) 11:08:20 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

他人から訊かれると、
どこから来て、どこに行く、
そんなふうに考えることが間違いと答えますが、
それは答ではなくて、
少なくとも満足できる答ではなくて。

臨死体験を語る者は、生きている、と思います。
その語りは、生きている者のコンテキストですから。
なので、それは、どこに行く、の答ではなくて、
でも、それで満足できる人もいるのでしょう。
  1. 2013/03/07(木) 22:16:05 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

瀧野さん、こんにちは。

身体は土や海に、
精神は空に行けるといいな、
などと、生の側から思います。
純朴な二元論ですが、
そんなふうに思う自分は認めてやりましょうか。

青ぞらのはてのはて
水素さへあまりに稀薄な気圏の上に
「わたくしは世界一切である
世界は移らう青い夢の影である」
などこのやうなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群が棲む
―― “青ぞらのはてのはて”

“宮沢賢治詩集”/宮沢賢治 著、谷川徹三 編、
1979、岩波文庫
  1. 2013/03/07(木) 22:16:51 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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