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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 4/8


    それにしても「闘争」という表現は
    ちょっと強すぎますよね。
    たとえば私は、誰かに勝とうと思って、
    あるいは自分の「趣味の良さ」を
    周囲にアピールしようと思って、
    グレン・グールドを聴いているわけではありません。
    彼のピアノが純粋に良いと思うから聴いているのであって、
    いきなり横から「お前はそれを聴くことで、
    他人に差をつけようとしているのだ」と解説されると、
    大きなお世話だと反発したくもなります。
    ブルデューの理論で、おそらく
    もっとも批判されるのがこの点でしょう。

    しかし、ブルデューは、たとえば正統的作品は
    「すべて、それ自身を知覚するための規範を
    押しつけようとする傾向を
    実際にもって」いると述べています。
    つまり私たちは、自分が持っているハビトゥスや知覚様式、
    あるいは自分の「ポジション」の価値を押し上げるために、
    趣味を通じて価値観の押し付け合戦を
    やっているというのです。[p42]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



喩えではなく、闘争めいてくるのは、
例えば、ガチオタたちのオタク語り。
でも、お互いに、相手の話を聞いていないし、
独りごとのように押しつけ合って、
関係性のために会話があるわけではないから、
闘争にもならない気がしてきた。



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    ブルデューによれば、数ある音楽のなかでも、
    たとえばグレン・グールドのピアノが良いと
    判断することは、必ず
    他者に対する差異化や卓越化
    (ディスタンクシオン)の動機が含まれます。
    ブルデューはこれを「象徴闘争」と名付けました。
    象徴をめぐる闘争ですから、
    勝ったからといってお金が儲かったり、
    実際に権力を得たりするわけではありません。
    シンボリックな利益をもとめて闘争するのです。

    つまり、人がなぜ好き嫌いの
    判断をするかと言えば、
    自分のハビトゥスの優位性の
    押し付けをやっているからである。
    それがブルデューの説明です。[p42-43]



それとも、成績とか、部活とか、恋愛とか、
多様なフィールドでの闘争を放棄した中二病。
或いは、あらゆる闘争に、ことごとく敗れて、
趣味の良さをアピるくらいしか戦場を持たない人。
そんな人たちの闘争心は半端ない。
ポートフォリオを組めないから、なけなしの、

持ち金のすべてを賭けてくる。



    

    And when I wake tomorrow, I'll bet, That you and I will walk together again
    I can tell that we are going to be friends

    ―― We're Going to be Friends/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2001、Sympathy for the Record Industry



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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2021年03月02日 00:00 |
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