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tetsugaku poet

qinggengcai

自分を機能させる、という物語 5/7 (。-`ω´-)ンー


話は変わるけれど、
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」ってメモは、

何のために生きるのか、
ってのは、さて置いて、

ひたすら、どう生きるのか、
ってのを、表した詩だと思っている。

たぶん、僕のほかに、
誰もそんなことは思っていないから、

そんなのが試験に出題されたなら、
誤答になるのは承知の上で。



    

    超能力があったって 別に何もできやしないなって
    十何年で知ったこと 自分の無力さくらいだった

    ―― サイコなわたし/石風呂
    ―― 石風呂 作詞作曲、2015、1st PLACE



    雨ニモマケズ
    風ニモマケズ

    雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
    丈夫ナカラダヲモチ ……

    ヨクミキキシワカリ
    ソシテワスレズ ……

    東ニ病氣ノコドモアレバ
    行ツテ看病シテヤリ

    西ニツカレタ母アレバ
    行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ

    南ニ死ニサウナ人アレバ
    行ツテコハガラナクテモイイトイヒ

    北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
    ツマラナイカラヤメロトイヒ

    ヒデリノトキハナミダヲナガシ
    サムサノナツハオロオロアルキ

    ミンナニデクノボウトヨバレ
    ホメラレモセズ

    クニモサレズ
    サウイフモノニ

    ワタシハナリタイ
    ―― 雨ニモマケズ/宮澤賢治



    190629.jpg



よく見聞きして、理解して、
そして、忘れず、

その手で、ものを作り、
文字を書き、

手渡して、受け取って、
その足で、西でも東でも、

誰かを気づかって、
歩き回ればいい。

頭を使って、身体を使って、
心を動かせて、

そういう者になれば、
何の役にも立たなくても、

人生は機能しているが、
デクノボウ、なんて呼ばれかたは、

できれば、されないほうがいい。
令和の今なら、もう少しくらい、

何かの役に立ったほうがいい。



    

    気遣つてゐるやうで気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
    自己犠牲の振りして 御為倒(おためごか)しか、とんだかまとゝ

    ―― 獣ゆく細道/椎名林檎、宮本浩次
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2018、EMI Records Japan



ひたすら、どう生きるのか、
ってのを、表した詩なのに、

詩が、計らずも、何のために生きるのか、
ってのも、説明を始めようとしているのなら、

何のために生きるのか、
ってのは、すなわち、

どう生きたのか、で答えるんだ。



    私はかつて正しかったし、
    今もなお正しい。
    いつも、私は正しいのだ。
    私はこのように生きたが、
    また別の風にも生きられるだろう。
    私はこれをして、あれをしなかった。
    こんなことはしなかったが、
    別なことはした。
    そして、その後は?
    私はまるで、あの瞬間、
    自分の正当さを証明されるあの夜明けを、
    ずうっと待ち続けていたようだった。
    ―― 異邦人/カミュ



    ―― 宮沢賢治詩集/宮沢賢治 著
    ―― 谷川徹三 編、1950、岩波文庫
    ―― 異邦人/アルベール・カミュ著
    ―― 窪田啓作訳、1954、新潮文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年07月05日 00:02 |
  2. 物語論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

なるほどね、確かにどう生きるのか、どう生きたいのかを書いた詩ですよねー。
しかしながら、思う通りに生きられるとは限らない。
理想は頓挫することもある。
実際にどう生きたのかが重要ですよねー。
でま、ちょっと思ったのは、親鸞の生き方。
浄土思想の高まりと共に、なんか、念仏唱えるだけで往生するとか、あれこれ解釈ありますが、親鸞にとって、浄土とは虚焦点のようなもので、実は悟りを開いても、阿弥陀の眷族になるわけで、阿弥陀仏が、一切の衆生を救うまで〜というわけですから、この世に舞い戻ってきて、衆生を救う仕事をしないといけない。
往相廻向と還相廻向ですね〜。
この世とあの世を行ったり来たり、一切の衆生を救うまで、つまり永遠の繰り返し。
親鸞自身がそれをどれだけ自覚していたかというのは分かりませんが、浄土思想の先哲の文章をあれだけ読んでいたんだから、分からない筈がない。
ということは、弟子に厳しくついてくるもこないも自由と説く親鸞は、そういう生き方しかできない、甘いものではない。それでもいいか?と問いかけている気がするのですよ。
生きる意味は自己救済に他者救済。しかし、当の自分がまず救われるとしても、この世とあの世を行ったり来たりして、救われたのか救われないのか分からないような身分立場、そんな立場でしか他者救済などできない、救いなどあり得ないぞと教えているような。
  1. 2019/07/05(金) 00:36:29 |
  2. URL |
  3. oki #ibS8y52A
  4. [ 編集 ]

こんばんわっ!

ルンバから宮沢賢治さんにつながるとは

この詩の書かれた時代って、
農業に従事されてる方の「機能」って
きっとハイスペックで作業を淡々黙々と
量をこなして、女性も多産で大家族を支えて
詩にあるような
「精神活動」はむしろ効率を下げるから、
デクノボウ扱いだったのかなぁ?

でも宮沢賢治はそれを理想とした
承認欲求に振り回されず(デクノボウと誤解されてもいいと
最初に損切りをして)
具体的で役に立つ自分(自分の機能)を
模索したのかなぁ?

なんて改めて思いました
  1. 2019/07/05(金) 00:37:58 |
  2. URL |
  3. ランタナ #bAcQnUEc
  4. [ 編集 ]

ケンジの詩はなぁ。。
私、しんどいんですよね、この詩は。
ギャグでも口に出す気になれないくらい、
憂鬱さが勝ってしまうんですよね。。

まず、ケンジどうした、なんでそう思うに至ったんだ、
っていう部分と、
私は、人のためには生きられないなぁ、
って思ってしまう部分と。
この2個を、押し付けられる感じが、私を憂鬱にさせます。
  1. 2019/07/05(金) 01:03:59 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>実際にどう生きたのかが重要ですよねー。
実際にどう生きたのかをつないでいくと、
そこには必ず調和があるよ。
立派なことを言わなくても、自分を正当化しなくても、
かつての行動、それ自体が、
次の行動を説明してくれる。

うん、親鸞は、雨ニモマケズですね。
衆生が親鸞を親鸞にさせた、と思うのです。
法然も、日蓮も、鎌倉仏教はみんなそうです。
流罪になった先にも衆生がいて、
衆生が親鸞を親鸞にさせ続けた。

では、病氣ノコドモや、ツカレタ母や、
死ニサウナ人や、ケンクワヤソシヨウが、
宮沢賢治を宮沢賢治にさせ続けた、って理屈が、
成り立つと思う♪
自分一人では、親鸞にも、宮沢賢治にもなれない。
>そんなのが試験に出題されたなら、
>誤答になるのは承知の上で。
  1. 2019/07/05(金) 11:30:55 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ランタナさん、こんにちは。

>ルンバから宮沢賢治さんにつながるとは
ふふふw、無理くりっぽいけど。
あと3回で終わる予定なのに、
また、とっ散らかしてしまった。
ちゃんと結べるのだろうかw。

>承認欲求に振り回されず(デクノボウと誤解されてもいいと
>最初に損切りをして)
>具体的で役に立つ自分(自分の機能)を
>模索したのかなぁ?
デクノボウ、って無価値なんだけど、
無価値に思えるものにこそ、って逆説が透けて見えるよね。
デクノボウが言っていることは、
混じりっ気がなくて正しい、みたいな。
自分を、デクノボウ、って呼んでしまうのは、
なんだか、ずるいと思うんだわ♪
  1. 2019/07/05(金) 11:31:44 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>私、しんどいんですよね、この詩は。
圧がないふりをして、圧をかけるよねw。
無力さが丸出しなのに、力をかけてくる。

押しつけられるよ。
僕みたいに、優しくない者には見えないような、
小さくて弱い者の、きらきらした輝き。
結晶のような、きれいな輝き。
鈍感な僕だから、見えていても、見過ごしてやろうと思うw。

>ミンナニデクノボウトヨバレ
>ホメラレモセズ
ってのが、ウエットです。
最初から言い訳を用意しなくても、
みんなに、役に立つ、って思われるほうがいいし、
みんなからほめてもらえるほうがうれしい。
どうせ、自分で自分をほめるんだから。

まずは、役に立つことを目指してくれ♪
>デクノボウ、なんて呼ばれかたは、
>できれば、されないほうがいい。
>令和の今なら、もう少しくらい、
>何かの役に立ったほうがいい。
  1. 2019/07/05(金) 11:32:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんにちは!!^^

『ニーチェ[超]入門』の丸写しかも知れませんが、自分がさうなりたいと思うことは今はさうではないということで、本能との境目も曖昧でありながらの、でも自分からの命令なら受理するのか、あくまでも望みなのか、さうなりたいと思いたいのでした。(だうだっ!このねじれ加減は。)m(__;m
  1. 2019/07/05(金) 12:44:20 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>(だうだっ!このねじれ加減は。)
なんの勝負をしているんだ?w

自分に命令する力のないものほど、自分を命令するものを求める。
―― 喜ばしき知恵/フリードリヒ・ニーチェ
その通りだよ、フリちゃん。
  1. 2019/07/05(金) 13:58:09 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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