FC2ブログ

tetsugaku poet

qinggengcai

つらいのは、幸せになる途中です、という物語 (。-`ω´-)ンー


つらいのは、幸せになる途中です、って、
いつにも増して、薄っぺらい話が始まりそうだが、
たぶん、だいじょうぶ、いつもより前向きなだけ。

僕にだって、前向きな意識は大切で、
心がけ、とか、心構え、とか、
そんな意識を、僕たちは、ざっくり、心と呼ぶ。

でも、いくら自分で前向きと思っていても、
前向きな行動が伴っていないときは、
少しも前向きな人とはみなされない。

自分で前向きさをアピっていても、
はた目には、鈍感で、自己中で、
図々しいだけだったりする人もいたりする。

立派なことを言えば、それだけで、
立派な自分になれた気がするけれど、
心は意識よりも行動に現れる。

しかし、前向きさがないのなら、
前向きな行動は起こせないし、
意識とか、行動とか、要素に分けてから、

また要素が集まったものにしなくても、
心はそんなこんなのまとまりで、
全体として扱ったほうがいい。

前向きになろう、なんて、
思ってもなれるものではないし、
前向きな人は、わざわざそう思わなくても、

前向きになってしまうものだから、
心は意識ではなく、その多くは、
無意識の側にあるのだろう。

しかし、意識とか無意識とか言っても、
ひっくるめて、脳の働きで、
すべては脳の中の出来事だ。

ところが、脳の中を、分けても、まとめても、
くまなく探してみても、
心がどこで生まれるのかは分からない。

心に効く薬があるから、
ついつい、実体的に捉えて、
形而下的に扱ってしまうけれど、

そもそも、心は形而上のものだ。
いくらでも語ることができるし、
かつ、少しも語れる気がしない。

それは、生や、死と同様に。



    

    「死にたいなんて言うなよ。」 「諦めないで生きろよ。」
    そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。

    ―― 命に嫌われている。/初音ミク
    ―― カンザキイオリ 作詞作曲、2017、2019、神椿レコード



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年06月14日 00:04 |
  2. 物語論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

青梗菜さん、こんにちは!!^^

>    ―― 命に嫌われている。/初音ミク
>    ―― カンザキイオリ 作詞作曲、2017、2019、神椿レコード
聴いたことはあるけど初音ミクさんのでなくてまふまふ【歌ってみた】かも。本日拝聴し、命と俺は別物なんだらうかと思いました。命も形而上的だと思ふ者です。最後の台詞がなんとなく嫌いです。(命令形だから?)

>立派なことを言えば、それだけで、
身近には「いいことしたね。」とか「お見事。」という発声はあるけど「立派。」という発声は聞きません。何が違うのでせうか?

形而下と形而上を検索したり引いたりしました。
形而上を知覚では捉えられないものという説明があるとすると、
叫び声は捕らえられるから形而下だし。無意識や無意識の下(?)も感覚的にはわかる気がしますが捉えられないと思う者です。

ただ、国語辞典の「絶対存在」といふ言葉には手垢(?)がかなり付いていると思う者です。m(__;m
  1. 2019/06/14(金) 16:18:01 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>聴いたことはあるけど初音ミクさんのでなくてまふまふ【歌ってみた】かも。
まふまふは、大騒ぎしすぎな気がする♪

>命と俺は別物なんだらうかと思いました。
生命を所有している(ような気になっている)のが、
(生命によって成り立っている)俺なんだろうな。
別物ではあるが、入れ子になってるような。

>命も形而上的だと思ふ者です。
はい、間違いなく。

>叫び声は捕らえられるから形而下だし。
声とか、音とかは、ちょっとやっかいで、
聞く者がいなければ、空気が揺れているだけで、
声とか、音とかにはならないのです。

>ただ、国語辞典の「絶対存在」といふ言葉には手垢(?)がかなり付いていると思う者です。
絶対存在、って分かんないよw。
絶対的な存在なら、北朝鮮での金正恩みたいな感じ?
  1. 2019/06/14(金) 20:16:46 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/1914-1353cd28
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)