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tetsugaku poet

qinggengcai

僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 23/25


>作られた詩は作る詩を作るべく作られたのであり、
>作られた詩というそのことが、
>否定せられるべき詩であることを含んでいるのである。
>しかし作られた詩なくして作る詩というものがあるのでなく、
>作る詩はまた作られた詩として作る詩を作って行く。



    わたくしといふ現象は
    仮定された有機交流電燈の
    ひとつの青い照明です
    (あらゆる透明な幽霊の複合体)
    風景やみんなといつしよに
    せはしくせはしく明滅しながら
    いかにもたしかにともりつづける
    因果交流電燈の
    ひとつの青い照明です
    (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

    これらは二十二箇月の
    過去とかんずる方角から
    紙と鉱質インクをつらね
    (すべてわたくしと明滅し
     みんなが同時に感ずるもの)
    ここまでたもちつゞけられた
    かげとひかりのひとくさりづつ
    そのとほりの心象スケツチです

    ―― 春と修羅、序/宮沢賢治



まるで、ヘーゲル、精神現象学、
Phanomenologie des Geistes、
フェノメノロギー・デス・ガイステス。
世界はガイスト=精神・幽霊であり、
世界はガイストのフェノメノン=現象である。

主観と客観は同じ ―― 主客合一で、ヘーゲルに言わせれば、
それは、ガイストの正面と背面であり、
宮沢賢治に言わせれば、
それは、交流信号のプラスとマイナスである。
私とは、そのように仮定された現象だ。

みんなと同期する中で、自分ができ上がってくる。
自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、
自分は、世の中の現象を、あれこれ抱え込んでいる。
自分の心は、世界との交流の結果であり、
風景やみんなのガイストの複合体だ。

自分の心は、因果交流電燈のひとつの青い照明、
世界の矛盾が煮詰まって明滅する。



    190520.jpg

過去について書く、ってことは、つまり、
記憶に基づいたフィクション=物語を作る。
過去と感じる方角から、ってことは、つまり、
未来と感じる方角へ向かう。
フィクション=物語にすることで、

毎日の生活に区切りを入れて、
過去と未来を接続する。



    190520b.jpg

>作られた物語は作る物語を作るべく作られたのであり、
>作られた物語というそのことが、
>否定せられるべき物語であることを含んでいるのである。
>しかし作られた物語なくして作る物語というものがあるのでなく、
>作る物語はまた作られた物語として作る物語を作って行く。

書く、ってことは、失われて行く過去に、
自分らしい物語を与えるが、その自分らしさには、
交流信号の、みんなの位相が入っていなければならない。
違う位相で作られた物語は、作る物語にはなれないから。
つまり、その物語が、自ら展開して行くことができないから。

そして、世界は、未来の方角へ向かう。
それは、ガイストがフェノメノンして行く自己展開である。



    

    美しい予感・眼に映る全て・儚き事象 要らぬ もう 要らぬ
    蔑んでくれ 僕は何処迄も真摯なのだ 至って普通さ

    ―― メロウ/椎名林檎
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2000、東芝EMI



フェノメノロギー・デス・ガイステス、
頭に赤、茶、黄をつけて3回、早口で。



    ―― 宮沢賢治詩集/宮沢賢治 著
    ―― 谷川徹三 編、1979、岩波文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年05月25日 00:07 |
  2. 物語論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

ドイツ語だと、Phanomenology,の、aの上にウムラウトがいるわけですが、青梗菜さんのパソコンでも出てこないかな?
フェノメノロギー デス ガイステス、フェノメノロギー デス ガイステス、フェノメノロギー デス ガイステス
はい終わりと、笑。

それじゃなんだから、ヘーゲルの論理は自己実現の論理ですよね。
他者を通して自己実現していく。そして最後は、絶対知にと。
なるほど、宮沢賢治も似たようなこと言っているんですね〜。
因果交流電燈か、言い得て妙だ。
他者との交流の中で自己実現する。おおよそヘーゲルの考えは正しいと思う。というか大体ヘーゲルは正しい。
だから、賢治ともシンクロするんだろうなと。
しかし暑い。 もうバテバテですね。
  1. 2019/05/25(土) 23:42:37 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>ドイツ語だと、Phanomenology,の、aの上にウムラウトがいるわけですが、
はいはい、「ä 」のことですね。
なるほど、点々がつかないと「ェ」にならないわけだ。

>フェノメノロギー デス ガイステス、フェノメノロギー デス ガイステス、フェノメノロギー デス ガイステス
はい終わりと、笑。
いやいや、赤フェノメノロギー デス ガイステス、茶フェノメノロギー デス ガイステス、黃フェノメノロギー デス ガイステスですよ。

哲学が扱う自分とか、心は、
こんなふうに面倒くさく説明されるんだわ。
音楽はいいなぁ、言葉の不自由さを飛び越える。

All art constantly aspires towards the condition of music.
すべて芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。
―― ウォルター・ホレイシオ・ペイター
  1. 2019/05/26(日) 07:52:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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