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tetsugaku poet

qinggengcai

僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 22/25


>作られた物語は作る物語を作るべく作られたのであり、
>作られた物語というそのことが、
>否定せられるべき物語であることを含んでいるのである。
>しかし作られた物語なくして作る物語というものがあるのでなく、
>作る物語はまた作られた物語として作る物語を作って行く。

作られた物語というそのことが、
否定される物語であることを含んでいるのだが、
つまり、新しい物語が作られることによって、
物語が否定されて古くなる、ってことだろう。
ただし、物語は、オートマティックに古くなる、ってものではない。

    一般概念の外に出るというのは、
    一般概念がなくなることではない、
    かえって深くその底に徹底することである、
    ―― 場所/西田幾多郎
古い物語は、古くなるために、却って深く掘り下げられる。

古い物語と新しい物語が連続していないのなら、
古い物語は古くならないし、新しい物語は新しくならない。
別の物語が並存するだけである。
古い物語には、新しい物語の可能性を、つまり、
自らが否定される可能性を、自ら含んでいなければならない。

だから、物語がうまく作れないときがある。
例えば、広島、長崎と敗戦とその後、
震災とメルトダウンとその後、
物語が、いきなり終わって古くなり、
物語が、いきなり始まって新しくなるとき。

例えば、大切な人を亡くしたときには、
連続は、切断により定義される。
新しい物語が、古い物語を打ち破らないとき、
新しい物語によって、古い物語にされないとき、
古い物語によって、新しい物語になれないとき。

へし折られた物語の底に、徹底されないときがある。
そのとき、古い物語は、過去にはなれない。



    

    不幸だった訳がわかっている今は
    損しただなんて まるでおもわない

    ―― 目抜き通り/椎名林檎、トータス松本
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2017、EMI Records Japan



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    ―― 西田幾多郎哲学論集1 場所・私と汝 他6篇/西田幾多郎 著
    ―― 上田閑照 編、1987、岩波文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年05月24日 00:01 |
  2. 物語論
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