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tetsugaku poet

qinggengcai

僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 17/xx


>僕らが手にしている 富は見えないよ
>彼らは奪えないし 壊すこともない 世界はただ妬むばっかり
>そんな歌の、そんな歌詞から、何を思うのかは、
>僕のフィクション=解釈であり、

そして、僕のフィクション=解釈は、
何を材料として作られたのかといえば、
エンデの「モモ」、サン=テグジュペリの「星の王子さま」、
加えて、旧約聖書、それらは、いずれも物語だ。



    190517.jpg

フィクション=物語の解釈によって、
フィクション=解釈の物語が作られている。
物語は物語によって作られ、
物語はマテリアルであり、同時にツールである。

物語は物語によって織り成され、
物語が編み直されて物語が作られる。
せっかくだから、ここで、ちょっと寄り道をして、
西田幾多郎の「行為的直観」を引いてみる。


    作られたものは作るものを作るべく作られたのであり、
    作られたものというそのことが、
    否定せられるべきものであることを含んでいるのである。
    しかし作られたものなくして作るものというものがあるのでなく、
    作るものはまた作られたものとして作るものを作って行く。


笑えるくらいに、ややこしいフレーズなんだけど、
「もの」に「物語」を代入することで、
このフレーズが分かりやすくなる。
ついでに、僕が何を言いたいのかも分かる。


    作られた物語は作る物語を作るべく作られたのであり、
    作られた物語というそのことが、
    否定せられるべき物語であることを含んでいるのである。
    しかし作られた物語なくして作る物語というものがあるのでなく、
    作る物語はまた作られた物語として作る物語を作って行く。


哲学は、たぶん、誰にでも分かりやすい。
ただし、よく分かっていないものごとを、
分かったつもりにならなければ。
分かったつもりになれば、よく分かっていないのに、

分かったふりをすることが上手くなる。



    

    お願い黙っていて今は
    言葉のほうが甘いの 本当の何倍も

    ―― 至上の人生/椎名林檎
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2015、EMI Records Japan



    170805a.png



    ―― 西田幾多郎哲学論集2 論理と生命 他4篇/西田幾多郎 著
    ―― 上田閑照 編、1988、岩波文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年05月19日 00:01 |
  2. 物語論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>    作られた物語は作る物語を作るべく作られたのであり、
>    作られた物語というそのことが、
これから「作り物語を」を削除したらこの文章の意味は変わりますか?m(__;m
  1. 2019/05/21(火) 21:49:12 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>これから「作り物語を」を削除したらこの文章の意味は変わりますか?
ん?

この後、ちょっと前にリクエストがあった、
「絶対矛盾的自己同一」とか「場所」とかを引きましょう。
ちょっとだけ。
  1. 2019/05/21(火) 22:03:39 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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