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僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 12/xx


僕の毎日は、フィクションであり、
だから、考える余地がある。
もしも、まったくのノンフィクション、
なんてものがあるとしたなら、
僕の出来の悪い頭で考えるなんて、
まったく余計なことである。

逆に、まったくのフィクション、
なんてものがあるとしたなら、
僕には考える余地しかなくて、
まったく事実に基づかないところから、
僕の出来の悪い頭で考えるなんて、
とても僕にできるとは思えない。

では、ノンフィクションは、
ノンフィクション寄りのフィクションで、
対して、フィクションは、
フィクション寄りのフィクションで、
どちらも、ノンフィクションぽさの加減、
フィクションぽさの程度である。

ノンフィクションとフィクションは、
互いの関係による相対だが、
どちらもフィクションの上に成り立つ。
事実、なんてものがあるとしたなら、
それは、僕の外側にあるのだろう。
事実は、僕の内側には入れない。

事実は、僕の出来の悪い頭で、
僕にでも理解できるように書き替えられた、
僕のフィクション=物語である。



    

    あなたはすぐに絶対などと云う あたしは何時も其れを厭がるの
    だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない

    ―― ギブス/椎名林檎
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2000、東芝EMI



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年05月11日 00:08 |
  2. 物語論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

なるほどね、「人は自我の色眼鏡で世界をみている」という本が昔ありましたけど、世界は、「解釈」されて、僕らは生きているということかな。
生の事実は知り得ない。
しかし、椎名林檎さん好きですね〜。
  1. 2019/05/11(土) 23:27:42 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>世界は、「解釈」されて、僕らは生きているということかな。
はい、そして、解釈されているのならいいよね。
多くは解釈させられていますから。
作法通りに検索させられて、
予定通りに価値観を変えられて、
約束通りに感性が豊かになったりする。

>しかし、椎名林檎さん好きですね〜。
うん、大好きですよね♪
  1. 2019/05/12(日) 00:03:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>事実は、僕の出来の悪い頭で、
>僕にでも理解できるように書き替えられた、
>僕のフィクション=物語である。
私に理解できないように書き換えた(何を?)経験が私には無い気もします。

>それは、僕の外側にあるのだろう。
>事実は、僕の内側には入れない。
あかりちゃんっぽいですか?

ところで、スピっぽさの加減というのはありますか?あと、ずばり、?スピッツはスピですか?僕は違うと思います。m(__;m
  1. 2019/05/12(日) 00:04:22 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>私に理解できないように書き換えた(何を?)経験が私には無い気もします。
はい、自分に理解できないものは理解できません。
ひいては、存在するものは、人に理解できるような在り方に書き換えられて存在しています。

>あかりちゃんっぽいですか?
誰だ? それw。

>ところで、スピっぽさの加減というのはありますか?
はい、あると思います。

>あと、ずばり、?スピッツはスピですか?僕は違うと思います。
はい、違うと思います。
  1. 2019/05/12(日) 00:16:54 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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