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答のない問いに耐える力を 2/x ―― 語り得るものごとの限界を知ること


リクールか、それとも、リオタールかもしれない、
「答のない問いに耐える力を」
なんてことを言っていた。

ウィトゲンシュタインの、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
と共に、いつだって肝に銘じよう。

でも、改めて読み返すと、
ウィトゲンシュタインにしては、
変なことを言っている気がする。

語ることができないものごとについてなら、
黙っているしかない、のは当然だ。
もとより、語り得ないのだから。

語り得ないものは、語り得ない。
同語反復で循環させれば、間違いがない。
何も言っていないから、間違えようがない。

雨が降る日は、天気が悪いんだ。



    

    昨日の夢 オレンジ色の翳り
    今日の夢 沈黙の気配示す

    ―― 色彩のブルース/EGO-WRAPPIN'
    ―― 中納良恵 作詞作曲、2001、Universal Music



説教くさく、しなければならない、なんて言うのは、
僕たちは、語り得なくても、黙っていられなくて、
ついつい語ってしまうから。

沈黙を守るためには、まずは、
語り得るものごとの限界を知ること。
そして、ついつい語り得ないものごとまで、

語ってしまいたくなる自分に耐えること。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年09月27日 19:27 |
  2. 反スピ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

耐えられないよ~っ!!m(__;m
  1. 2018/09/27(木) 20:07:05 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

語り得ないもの〜倫理とか宗教とかについて、語る人が多いからでしょうね〜いちいち言わないといけないのは。
で、青梗菜さんは、倫理とか宗教とか、「語り得ないもの」について語る行為をどう思われますか?
  1. 2018/09/27(木) 20:45:34 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

質問がおかしいな、笑。
青梗菜さんは、倫理とか宗教を「語り得ないもの」とすることについて、どう思われますか?だな。
  1. 2018/09/27(木) 20:58:03 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>耐えられないよ~っ!!
話が見えてこないけど、もうちょっと待ってね。
まだ、助走なの。
  1. 2018/09/27(木) 21:30:33 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>語り得ないもの〜倫理とか宗教とかについて、語る人が多いからでしょうね〜いちいち言わないといけないのは。
端的に言って、語り得ないものは、スピリチュアルです♪w

>青梗菜さんは、倫理とか宗教を「語り得ないもの」とすることについて、どう思われますか?だな。
僕たちの日常は、法はもとより、
道徳、宗教、習慣によっても、規律されています。
行為規範としての倫理とか宗教とかは、語り得ないからといって等閑に付すことはありません。
それが、覆される常識であっても、覆すために語らなきゃと思います。
既成概念を壊すには、自分の内に既成概念が、しっかりできていることが前提になります。
世の中を破壊するためには、破壊されるべき世の中を一度はちゃんと作り上げないと、
何をどのように壊せばいいか、分からないと思うのです。
  1. 2018/09/27(木) 21:31:36 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

>既成概念を壊すには、自分の内に既成概念が、しっかりできていることが前提になります。
>世の中を破壊するためには、破壊されるべき世の中を一度はちゃんと作り上げないと、何をどのように壊せばいいか、分からないと思うのです。

コレ、すごくよくわかる。
ウィトゲンシュタイン先生の「語り得ぬもの…」だって、世界のすべてを語り尽くさんとした前半生があって、その後のオハナシですからね。

何かものを知るってことは、実はそこで起きているのは、それまで信じてたモノゴトの崩壊だったりしません?
「とらわれを知る」とか。
じゃあ、とらわれを知るには、一度はとらわれてみないと(笑)
ただし、チトやっかいなのは
「抑圧からの解放」みたいなものを期待し過ぎて(つまり、解放されるべき本当のワタシ的な…)、むしろ過去に遡ってまで抑圧の記憶を捏造する
「抑圧からの解放にとらわれたヒト」なんてのも出てきちゃいますから。

だいたい、我々の能力には限界があって、というよりも、そもそも能力ってのは限界のことで。
条件(レギュレーション)ごとに限界値も違うので、さまざまな条件を試した結果、大体の人にとって妥当と思われる範囲を常識としてるんじゃないかと。
「人間は100mを5秒では走れません」とか。

条件を「抑圧」とか「ハラスメント」とか名付けて、無効にしたところで、限界を超越できるワケじゃなし。

常識とされているものについて、疑いを抱いたり批判してみるということと、単に躾ができていないとか、だらしなく自分を甘やかしているために常識的なことすら通じないというのは違うでしょうし。
  1. 2018/09/28(金) 02:55:42 |
  2. URL |
  3. K工芸 #-
  4. [ 編集 ]

K工芸さん、こんにちは。

>コレ、すごくよくわかる。
ふふふw。
いきなり壊れたものを提示しても、
破壊したことにはならないんだわ。
そんなのは、何も壊せない。

この後、反スピリチュアルに話を持って行きたいんだけど、
スピってのは論証を放棄しているから、批判ができない気がしてきたw。
スピを、非論理的ですよ、って言って批判しても、
もともと論理なんかないから意味をなさないわけです。

それと、スピを批判するのは、どうしてもダサくなる。
スピを批判するためには、
スピに固有の言葉づかいをしなきゃならないもん。
愛とか、魂とか、神とか、よく分かっていない言葉を使うなよっ、
というために、自らもよく分かっていない言葉を使ってしまうダサさw。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」って約束を、
破らないと語れないダサさには耐えられない♪
語り得ることだけで批判しなきゃw。
  1. 2018/09/28(金) 13:17:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

再びこんばんは、青梗菜さん。

>既成概念を壊すには、自分の内に既成概念が、しっかりできていることが前提になります。

批評するためには、対象となる作品を(音楽であれ、文学であれ)よく聴きこみ、読み込み、咀嚼し、消化して、自己の内側に、対象の鏡像を創造しなければならない。
けれどもいくら完璧に読み込んで理解しても、それはオリジナルの作品と全く同一ではない。心の中に写経しても解釈は同じではない。

既成概念というものについても、ある概念についての理解、好悪は各人各様だ。
憲法九条という既成概念は既に十分に完成されてると思います。
しかし未だに国民は護るの変えるのと喧しい。
これはつまり、いくら自己の内側に確固たる概念があったとしても、
それに対する解釈が決して集約され固定されない限り、それを破壊することはできないのではないか?という疑問です。

また個人の中に確固とした概念があるということは、それはとりもなおさず、その概念に愛着があるということを意味しないでしょうか?
何故ならふつう人は壊すための物を熱心に作り上げるということはないと思うからです。

>世の中を破壊するためには、破壊されるべき世の中を一度はちゃんと作り上げないと、何をどのように壊せばいいか、分からないと思うのです。

西部邁は「あらゆる革命はテロルである」といって学会から、そして東大から総スカンを食いましたね。けれどもわたしは同感です。
旧体制を破壊するものはそれを作ったものではありません。

よい週末を!



  1. 2018/09/29(土) 03:11:29 |
  2. URL |
  3. Takeo #KrjhbhPI
  4. [ 編集 ]

Takeoさん、こんにちは。

>>既成概念を壊すには、自分の内に既成概念が、しっかりできていることが前提になります。
>批評するためには、対象となる作品を(音楽であれ、文学であれ)よく聴きこみ、読み込み、咀嚼し、消化して、自己の内側に、対象の鏡像を創造しなければならない。
>けれどもいくら完璧に読み込んで理解しても、それはオリジナルの作品と全く同一ではない。心の中に写経しても解釈は同じではない。
まず、コンテキストを考慮に入れて、
「答のない問いに耐える力を」、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」、
そんな文脈でコードが進行しています。
哲学は、音楽、文学、絵画や映画や建築の文脈とは、またちょっと違う。

文学でいえば、文学は、金子みすゞの感想文のような性質のものと考えます。
文学は、先生と答合わせをするようなものではないけれど、
こんなふうに読むのが正解、ってのは確かにあって、
先生はそれを教えてくれます。
あると思うのですよ、名曲の聴き方とか、名作の読み方ってルールが。
聴き方とか、読み方なんてない、って言うためにもあると思うのです、
聴き方とか、読み方ってルールが。

>憲法九条という既成概念は既に十分に完成されてると思います。
>しかし未だに国民は護るの変えるのと喧しい。
>これはつまり、いくら自己の内側に確固たる概念があったとしても、
>それに対する解釈が決して集約され固定されない限り、それを破壊することはできないのではないか?という疑問です。
これもコードが合っていません。
コンテキストは政治です。

憲法は国民が国家に突きつけるルールです。
法律は、その逆で、国家から国民へのルールです。
国家は所得と暴力の再分配で、
9条は暴力の使い途についての国民の決定です。

>また個人の中に確固とした概念があるということは、それはとりもなおさず、その概念に愛着があるということを意味しないでしょうか?
>何故ならふつう人は壊すための物を熱心に作り上げるということはないと思うからです。
社会というルールのゲームに、僕たちは途中から参加しました。
僕たちは、学校で配布された教科書で、熱心にゲームのルールを学び、
見よう見まねでゲームに参加しながら、だんだん腕を上げてきたわけです。
巧みなプレイヤーになった頃、10人に1人くらいは、
ルールを疑って、壊したくなる人がいるんだと思います。
もう一度、自分で作り直すために、
あるいは、別の何かを作るために。

ニーチェはあらゆる価値を壊して、
ウィトゲンシュタインは哲学を丸ごと木端微塵にしました。
哲学は破壊だと思います。
  1. 2018/09/29(土) 16:07:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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