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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 2/x


なんてつまらない感想だろう。
感情的な余剰性がない。
つまり、心がない。

僕に心がないことの言い訳をすれば ――、
自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉が与えられていない。

心の内の言語化は、
簡単に見つかるような言葉に、
変換されるものではない。

でも、よく知られた詩は、
その感想までよく知られている。
感動の作法まで決められている。

ありふれた知識を、
先に仕入れると、経験は、
ありふれた経験になってしまう。

効率よく感動して、
分別くさく感性を磨いて、
教養のような感想を抱く。

だから、みんな違って、
みんないいはずなのに、
誰もが同じような感想を持つ。

すでに知っている感想なら、
もう自分で考える必要がなく、
あらかじめ分かっている感想なら、

もはや、僕には、書くに及ばない。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



    私が両手をひろげても、
    お空はちつとも飛べないが、
    飛べる小鳥は私のやうに、
    地面を速くは走れない。

    私がからだをゆすつても、
    きれいな音は出ないけど、
    あの鳴る鈴は私のやうに、
    たくさんな唄は知らないよ。

    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがつて、みんないい。

    ―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年09月18日 00:04 |
  2. 感想文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

コメント

こんにちは。
ははは、感想も人それぞれで良い筈なのにね〜。
金子みすずが知られるようになったのは、1980年代だったかな。
その前は、鈴と小鳥、何を比較しているんだ。という声が多かったろうな。
ところがみすずが世に出て、誰かが、「道徳的な」「秀抜な」解釈をして、それが広まると、それが「模範的な」みすず理解になった。
重要なのは、みすずの本意も分からないのに、解釈だけが、独り歩きしている事かな。
みすずは詩を遺した。解釈は後世の人に委ねたとも言える。
みすず自身が、あの世で、勝手な道徳的な解釈に戸惑っているような〜。
  1. 2018/09/18(火) 09:53:24 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>ところがみすずが世に出て、誰かが、「道徳的な」「秀抜な」解釈をして、それが広まると、それが「模範的な」みすず理解になった。
>重要なのは、みすずの本意も分からないのに、解釈だけが、独り歩きしている事かな。
お~! この後に続く3回分くらいは先を見越されてしまったw。
そして、「独り歩き」ってキーワードを、先に使われてしまった!w

「独り歩き」は内容を把握するための重要なワードです。
YouTube で貼っている「金木犀の夜」の歌詞に、
「ずいぶん遠くまで来てしまったな」ってのがあります。
「独り歩き」に掛けて、表現を借りて比喩を作ってます♪
先が見えている話ですが、そんなところを楽しんでいただければw。
  1. 2018/09/18(火) 11:15:37 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

はじめまして。

「ちがっていい」
のであれば、
「似通っていてもいい」
ともいえるのではないかなぁ
なんて、ふと思いました。

どのみち我々は、まったく同じようにはモノゴトを見たり、感じたり、理解することはできないんじゃないかと。
ならば、殊更に他者との「ちがい」に怯えて「おなじ」をいう必要も、「おなじ」に怯えて「ちがい」をいう必要もないのかなぁ
なんて。

このコメントが、意図するテーマから、大きく「ちがって」いたら、ごめんなさい。
ま、それでも違和感や異物感ってのも、ひとつの契機くらいにはなればと、ついついコメントしてみた次第です。
  1. 2018/09/18(火) 17:27:07 |
  2. URL |
  3. K工芸 #-
  4. [ 編集 ]

K工芸さん、こんにちは。

>「ちがっていい」
>のであれば、
>「似通っていてもいい」
>ともいえるのではないかなぁ
お~! そんなに先が見える話でもないと思うけどw、
どうなってるんだ、この人たちは♪w

「おなじ」も「ちがい」も相対ですもんね。
金子みすゞは、鈴と、小鳥と、私で「みんな」にした。
無生物と、人を除いた生きものと、人。
さらに任意の何かを加えるとしたら、
その加えた何かは、鈴か、小鳥か、私かと「おなじ」仲間をつくります。
金子みすゞは、その可能性を示唆しているように思います。

比較にならないものごとを、比較して、
みんないい、なんて言ってるわけですから、
「いい」ってのは、少なくとも積極的な価値判断ではないよね。
どっちでもいい、とか、何でもいい、とか、
その程度の「いい」なんだと思います。

そして、金子みすゞは、違いを「いい」と言ってるわけではないんだ。
僕の、その理由はもっと簡単で、
K工芸さんをがっかりさせるものかもしれませんw。

先が見えている話ですが、
「と」とか、「て」とか、
日本語は、末端でわずかに意味を変えてくる、
そんなところを楽しんでいただければw。
  1. 2018/09/18(火) 21:17:33 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

毎度、いらいらするなぁ。
ぶりっこだからかなぁ。
  1. 2018/09/18(火) 21:53:57 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

銃弾と、毛虫と、それから安倍晋三、
でもいいんだけど。
あ、みんな違ってないか。
みんなきらいで括れるもんな。
ってことは、

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなかわいくて、好きなものなんだ。
似通っているよね♪
金子みすゞは、ちょっと嘘つき。
  1. 2018/09/18(火) 22:18:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ますますイラつくわー
  1. 2018/09/18(火) 23:27:53 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

ははは!w
  1. 2018/09/18(火) 23:31:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>    私が両手をひろげても、
>    お空はちつとも飛べないが、
>    飛べる小鳥は私のやうに、
>    地面を速くは走れない。

>    私がからだをゆすつても、
>    きれいな音は出ないけど、
>    あの鳴る鈴は私のやうに、
>    たくさんな唄は知らないよ。

>    鈴と、小鳥と、それから私、
>    みんなちがつて、みんないい。

>    ―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ
論理的には?、なにひとつ間違ったことを言っていないと思うけれど。m(__;m
  1. 2018/09/18(火) 23:40:54 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>論理的には?、なにひとつ間違ったことを言っていないと思うけれど。
はい、間違ってはいない。
何千万の人が、なにひとつ間違ってないという。
間違っているのは、いつも、必ず、
僕のほうです♪
  1. 2018/09/19(水) 00:37:34 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

再びこんばんは、青梗菜さん

>比較にならないものごとを、比較して、
みんないい、なんて言ってるわけですから、

最新の投稿にもコメントしましたが、わたしはこの詩は、「比較にならない、比較不能なものを比較している」とは思いません。

しかしそれよりも

>「いい」ってのは、少なくとも積極的な価値判断ではないよね。
どっちでもいい、とか、何でもいい、とか、
その程度の「いい」なんだと思います。

この解釈には「ええ!」という感じでした。
わたしにとって「いい」(この詩の文脈においても、また別の場所であっても)というのは、「OK!」であり「GOOD!」と同義なので、「いい」が積極的評価ではないという意見に驚いたのです。

更に

>そして、金子みすゞは、違いを「いい」と言ってるわけではないんだ。

わからないなあ・・・(苦笑)

ミミズだっておけらだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ。

これはシンプルに表現された、多様な生命の賛歌ではないでしょうか。

路傍の石と最新式のスマートフォン。これは「違う」。そして片方はグッドだけど、片方はバッドです。

けれども、路傍の石が「いい」のは、正にそれが他の一方と「違う」という点に因る、のではないでしょうか?

「相違」「差異」は「いい」ことだ。けれども、列挙された個々の事物に対して、個々人の好悪、価値判断が存在する。

いうまでもなく、わたしが正しいというつもりはなく、ただ、解釈の極端な相違に驚き、且つ興味深く感じています。

  1. 2018/09/20(木) 01:12:56 |
  2. URL |
  3. Takeo #KrjhbhPI
  4. [ 編集 ]

Takeoさん、こんにちは。

>わたしはこの詩は、
>「比較にならない、比較不能なものを比較している」とは思いません。
では、ここでの比較には、
差し迫った必要がない、と言い方を変えてみます。

>わたしにとって「いい」(この詩の文脈においても、また別の場所であっても)というのは、「OK!」であり「GOOD!」と同義なので、「いい」が積極的評価ではないという意見に驚いたのです。
違って「いい」のなら、
違わないのが悪い、になってしまいます。
同調圧力が充満した社内で、
空気を読むことを体得させる教室で、
違わないのが悪いわけがありません。

「みんなちがつて、みんないい」この標語に違和を感じる人は、
少なくないと思います。
でも、この不一致感は何だろうw。
違和は、主観的な感情 ―― 何か変だぞ、
を的確に示すと同時に、他人に伝えられたときに、
他人の中にも同様な主観的な感情 ―― うん、何か変だね、
を生じさせるものでなければならず、
でも、同様でなくても、違ってもいい、というメタなことがらについての違和であり、
この入れ子が苦しいなw。
  1. 2018/09/20(木) 12:15:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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