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僕たちは、自分が何を言っているのかが、分かっていないように思われる


まぜっ返すが、みんな、なんてものは、実はどこにもいない。
みんなは、みんなが、みんながいるだろうと思うことによって現れる。
みんながいない以上は、
みんなの正しさ、なんてのも、実はどこにもない。

正しい、ってのは、みんなが正しいと言うから、
正しいってことであるが、
その、みんなの正しさは、
みんなが、みんなが正しいと言うだろうと思うことによって現れる。

まぜくり返されて、拠りどころがなくなっても、僕たちは、
みんなで、自分らしく生きて行こう、なんて言い合っている。
みんなが、自分らしく生きて行こう、って言うから、
それは正しいということになるが、

どうやら、僕たちは、控えめに言っても、
自分が何を言っているのかが、分かっていないように思われる。



    

    いつか教えてよ
    あの時の涙のわけを 笑顔の思い出を

    Remember me/くるり
    岸田繁 作詞作曲、2013、Speedstar Records



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年09月15日 12:07 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

こんばんは、青梗菜さん。

>まぜっ返すが、みんな、なんてものは、実はどこにもいない。
みんなは、みんなが、みんながいるだろうと思うことによって現れる。
みんながいない以上は、
みんなの正しさ、なんてのも、実はどこにもない。

ちょっとわからないですね。
例えば「全体主義」という現象を一言で表現するなら「例外のない(いない)こと」です。
「例外のいない」ことを「みんな」とは言いませんか?

それに現実にわたしが苦しんでいるのは、世界の「同質性」です。

もし「みんな」という観念が、わたしの幻想だとすれば・・・否、ありもしない「みんな」などという、自分の創りだした夢幻に惑わされているが故にわたしは狂者なのでしょうか?

よい連休を!




  1. 2018/09/15(土) 16:09:09 |
  2. URL |
  3. Takeo #KrjhbhPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さんが書かれているのは、やはり、多数派と少数派の話かと。
多数派が「みんな」を標榜して、そこに含まれない人を排除する。
排除された方は、息苦しいというか、生き苦しいですよね。
障害者殺傷事件は、決して、「命を大切に」とか、学校で教えるレベルの問題ではなく、排除の論理、多数派が無意識に持っている排除の論理だと思うけど、そこが伝わらない。多数派は、皆、心の底で、障害者なんかどうしようもない。と思っているような〜。
と、人間の話をしてきましたが、確か、金子みすずは、「魚と鳥と人間と」って言ってましたよね〜。人間の同質性とか異質性を問題にしているより、命は平等なんだと言っているような。
  1. 2018/09/15(土) 17:32:25 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

Takeoさん、こんにちは。

神だっていなかったでしょう?
神は、かつては、何もかも疑い倒したデカルトでも、
疑おうとする気になれないくらいにリアルにいたのですが、
平成の終わりの僕たちには、神はもういません。
神は、みんなで、
みんなが神がいるだろうと思うことによって存在していました。

みんなもいません。
みんなは、みんなで、
みんながいるだろうと思うことによって存在しています。
みんなの存在は、僕たちには、
存在すると意識されないくらいに確かですが、
みんなは、実はみんなで観ている幻想です。

みんながいるとか、いないとか、
それを言い出しても何も始まらないのは、
疑おうとする気になれないくらいにみんながいるからです。
そして、僕たちは、みんながいるような言葉しか使えないからです。
みんながいない、なんて説明をするときにも、
みんながいるような言葉づかいをしてしまうからです。
言葉を獲得することによって、
その言葉に当てはまないものごとを認識できなくなったからです。

同じような人の中に埋もれていると、
なぜ同質な人ばかりが、こんなにたくさん必要なのかと、
その一員になっていくことにどんな意味があるのかと、
考え込んでしまいそうですが、
しかし、そんなことを考えたりしないから、みんなは同質でいられます。

とにかく、みんなはいません。
結局、同じことなのかもしれませんし、
そんなことは、大多数にとっては、一生に一度も考えないことですが、
いるのは、みんながいるだろうと思っている人だけです。
  1. 2018/09/15(土) 19:50:55 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

金子みすゞ、近いうちに記事にします。
いろいろ思いつきそうです。

>多数派が「みんな」を標榜して、そこに含まれない人を排除する。
多数派は、少数派を排除しますね。
なぜか、ですよね。
必ずと言ってもいい、なぜか排除する。
なぜか、対立する。
敵と味方に対立させたかたちで、
敵を排除する構えがある。

つまり、政治なんだ。
何かを、正しい、と考えたなら、それは、政治への意志であり、
すでに、対立を受け入れている。
分断があり、排除がある。
すでに、敵と味方の差異があり、
同質な思考を持つ者で構成される仲間への、
分断化を指向する。

でもなぁ、それは、
哲学の構えではないよね♪
  1. 2018/09/15(土) 19:51:35 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

こんばんは、青梗菜さん。

「皆」というのは、実体として「在る」のではなく「成る」ものだと思います。
そもそも「皆」がないのだとすれば、国家も政治も戦争も存在し得ません。
そして「皆」が無ければ、対になっている「個人」「わたし」すら存在しない。

つまり「異常」なんてものはないということは、同時に「正常」の存在をも否定することでしょう。


>神だっていなかったでしょう?

いや。神の存在は、信者一人一人の心の在り方に依拠しているので、ウィリアム・ジェイムスが言うように、「信じる者には神は確かに存在している」のだと思います。

おそらくわたしのミスリードでしょうが、これを推し進めてゆくと、あらゆるものは幻想に過ぎないということになりませんか?

多分わたしのピント外れなのだと思いますが・・・



  1. 2018/09/16(日) 16:52:03 |
  2. URL |
  3. Takeo #KrjhbhPI
  4. [ 編集 ]

Takeoさん、こんにちは。

>「皆」というのは、実体として「在る」のではなく「成る」ものだと思います。
はい、実体としてはない。
でも、成り立っている。
見えぬけれどもあるんだよ、ってことは、もちろん僕にも解る。

>そもそも「皆」がないのだとすれば、国家も政治も戦争も存在し得ません。
それは、疑おうとする気になれないくらいに「皆」がいるから、って戻ってしまう。
説明は無理なんだわ~。
僕だって、「皆」がいるような言葉づかいをしなきゃ誰とも言葉が通じない。

>いや。神の存在は、信者一人一人の心の在り方に依拠しているので、ウィリアム・ジェイムスが言うように、「信じる者には神は確かに存在している」のだと思います。
信じる者には神は確かに存在しているとして、
全員が信じていて、信じない者がいなかったとする。
疑おうとする気になれないくらいに神がいて、
疑うなんて、どうしたって思いもつかないくらいに神がいるとき、
ウィリアム・ジェイムスは、神がいるなんてわざわざ言うのも馬鹿らしく、
いないなんて言うのはさらに馬鹿らしく、何も言うことがなかったでしょう。
ってことで、神に「皆」を代入してみる。

>おそらくわたしのミスリードでしょうが、これを推し進めてゆくと、あらゆるものは幻想に過ぎないということになりませんか?
うん、なります。
たぶん、言葉だけがあるのだろう、ってなる。

でもね、「皆」ってのは、僕とは違うもん。
少なくとも、僕は「皆」ではない。
そこから崩していくと、僕にとっての「皆」は少しだけ壊れる。
今夜は、金子みすゞの感想文を書きます。
日本でいちばん有名な詩だと思います。
「皆」からどんな意味を与えられても、
どう評価されても、どう裁かれても、
そのような感想しか持てなかった僕が言います。
きっと「皆」とは違うけれど、僕は「皆」よりも正しいっ♪
  1. 2018/09/16(日) 18:17:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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