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tetsugaku poet

qinggengcai

自由、それ以前 (`ω´)キリッ 8/x


我思う、ゆえに我あり、っていうけれど、
「我思う」と「我あり」は違う。

「我思う」ゆえに「我思う」だったら違わない。
「我あり」ゆえに「我あり」だったら違わない。

「我思う」と「我あり」の間は平坦ではなくて、
僕たちが見落としそうな穴が開いている。

そのままでは、ゆえに、なんて接続はできない。
推論するには、穴を跳ぶための前提が欠けている。

隠されている前提は、
「思う我がいなければ、我は思うことができない」

そこは、当たりまえの実感として、跳び越える。
考える者は、すでに存在しているんだ。

「思う我がいなければ、我は思うことができない」
この逆は、「我が思うことができないなら、思う我はいない」

裏は、「思う我があれば、我は思うことができる」
対偶は、「我が思うことができるなら、思う我がある」

対偶が、我思う、ゆえに我あり、になった。
前提の穴の中で、結論がぐるぐる回っている。

論証としては、まるで意味がない。



    

    かわるがわるのぞいた穴から
    何を見てたかなぁ?

    ―― 楓/スピッツ
    ―― 草野正宗 作詞作曲、1998、Polydor



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年07月14日 12:14 |
  2. 自由
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

コメント

良く分かんないけど、ergo,に注目されたのは、流石青梗菜さん。
この議論は昔からあって、要は
大前提、思惟するものは存在する
小前提、私は思惟する
故に私はある
の、省略三段論法じゃないかと。大前提が省略されているんじゃ?と。

なんで知っているか、種明かしすると、大学時代、伊藤勝彦さん←検索してね、のデカルトゼミがあって、哲学科の学生ばかり出ていた倫理学科の特殊講義で、「省察」読まされたから。
しかし、暑い。熱すぎる。
この熱波はなぜ?と考える私はある。
  1. 2018/07/14(土) 14:13:11 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>大前提、思惟するものは存在する
>小前提、私は思惟する
>故に私はある
>の、省略三段論法じゃないかと。大前提が省略されているんじゃ?と。
うん、僕もそれ。

>そのままでは、ゆえに、なんて接続はできない。
>推論するには、穴を跳ぶための前提が欠けている。
ゆえに、の後に、結論の「我あり」がくる。
ってことは、「我思う」は小前提になる。
だから、大前提が欠けている。

でね、大前提は、思惟するものは存在する、ではないと思うのよ。
デカルトにとって、他者は疑わしい。
きっと、まず私が先で、自己の存在が確信できないのに、
思惟する他者なんて知りまへんがな、っていう。
だから、大前提は、思惟する私は存在する、になる。

大前提、思惟する私は存在する、
小前提、私は思惟する、
結論、私は存在する。
こんなのは、
>論証としては、まるで意味がない。
>前提の穴の中で、結論がぐるぐる回っている。

まるで意味がないような、当たりまえのことが、
当たりまえでなかった時代なんだなぁ。
今は、デカルトの言ってることが無力化している時代、
いわば像法で、
>其れこそ、認識の枠組みは変わったいるんだから。

それは、いいことでも、悪いことでもなくて。
像法だから、末法だから、世が乱れている、悪世になる、
ってのは短絡やね。

>しかし、暑い。熱すぎる。
地震で、豪雨で、今日は37℃だって。
やってくれるよなぁw。
  1. 2018/07/14(土) 16:20:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

うーん、デカルトの場合、まず、神ありで、神は思惟の思惟だからという気もするが、お互いデカルトじゃないから分からないよね〜。
こう、議論することが、しかし、哲学の面白いところ。
浮世離れしてるけどね〜。
  1. 2018/07/14(土) 21:24:20 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

うん、神を介在させてないようでいて、
でも結局は、神のひと押しがいるんだわ。
トマス・アクィナスやアウグスティヌスの呪縛が解けない。

>浮世離れしてるけどね〜。
はははw、こんな調子で生きているおれたちw。
変態だよw、
かなり逸脱してると思うよ♪
  1. 2018/07/14(土) 22:35:11 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

我が思ってる、ってことは、信じられるんだな、デカルトは。
我がある、ってことを先に信じる人もいるだろうな。

我がある、ってことが、デカルト的には重要なんだな。
我は、実はいない、っていう結論は、嫌なのかな。
自分はいてほしいものなのかな。
どうせわかんないんだから、どっちでもいいや、
って、ならないのかな。
  1. 2018/07/14(土) 23:11:29 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>我が思ってる、ってことは、信じられるんだな、デカルトは。
はははw、誰かに、我が思ってる、と思い込まされてる可能性はあるなぁ。
さらに、その誰かも誰かに、って可能性がある。
これはやばいな、って、
ここを掘るのはやめよう、ってデカルトは思ったんだw。

>我は、実はいない、っていう結論は、嫌なのかな。
その結論は、無理だな。
我は、実はいなくても、
順番を抜かされたら、おれのほうが先やで、って言うよ。
オーダーを間違えられたら、
このくそ暑いのに、アイスに決まっとるやんけ、って言う。
デカルトが、実は我はいない、とか言っても、
店員からは、いてまんがな、って返されるよ♪
  1. 2018/07/15(日) 00:10:33 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>我思う、ゆえに我あり、っていうけれど、
>「我思う」と「我あり」は違う。
変なことを書きますけど、もしも、「思っている我」がアバターだとすると、「我あり」はアバターが在る意味なのか、元々の自分?が在る意味なのでしょうか?でも、「思っている」のは元々の自分ですので、意味の無い問いになってしまうのはなぜでせう?m(__;m
  1. 2018/07/15(日) 00:35:40 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

アバターが下着泥棒をしたときに、
逮捕されるのはアバターなのか、
元々の自分なのか、によると思います。

調書には、むらむらして、とか、
むしゃくしゃして、とか、
犯行動機が記載されますが、
アバターの動機なのか、
元々の自分の動機なのか、
取調べに当たった警察官の動機なのか、
分からなくなってしまうのはなぜでせう?m(__;m
  1. 2018/07/15(日) 00:58:45 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

>調書には、むらむらして、とか、
>むしゃくしゃして、とか、
>犯行動機が記載されますが、
>アバターの動機なのか、
>元々の自分の動機なのか、
>取調べに当たった警察官の動機なのか、
感覚的?には、アバター単体?では動機?は生じないのではないかと(注)。警察官の動機?ということも、あり得ますが、実行犯は誰なのか?容疑者と警察官の関係、警察官のアバターの存否、下着の色と名称など、考えてもよいことがいろいろとあります。
------
(注)アバターにそう思わせているとなると、考えるだけで気違いになりそうなレベルです、私にはね。m(__;m
  1. 2018/07/15(日) 01:28:46 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

誰かに、我が思ってる、と思い込まされてる可能性に、
「受動意識仮説」ってのがあるよ。
「私」は「司令塔」ではなくて、「観察者」なんだって。
人の「司令塔」は無意識にあって、
無意識下で進行している脳内情報処理が表象され、
意識上に上ってきたものが意識である。
人は、自分の行為を、自分で選んだつもりになっているけれど、
「観察者」に過ぎない。

それで、犯人が、我はいない、とか言っても無理だな。
警察官からは、なにゆうてまんねん、あんたパンツ盗んでましたがな、って返されるよ♪
実際に、その手で、パンツを盗んだ者が犯人でよくない?
  1. 2018/07/15(日) 14:40:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

面白いね。
デカルトの、故に、を使うのは、方法序説で、「省察」は端的に「我あり、我存在する」ですから、思う我が存在する。というのは、推論じゃなくて直感だと思いますよ。
なんで、デカルトが、いくつかの著作で、故にergo,という言葉を使ったのかは分かりませんが〜。
他人が不確定というのはその通りで、なんでも疑うんだから、他人が皆、自動機械であってもおかしくない。ただ、疑う我だけは存在するということかな。
  1. 2018/07/15(日) 19:58:34 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>面白いね。
はははw。

>「省察」は端的に「我あり、我存在する」ですから、思う我が存在する。というのは、推論じゃなくて直感だと思いますよ。
うん、僕もそれ。
>そこは、当たりまえの実感として、跳び越える。
>考える者は、すでに存在しているんだ。
ってことで。

>他人が不確定というのはその通りで、なんでも疑うんだから、他人が皆、自動機械であってもおかしくない。ただ、疑う我だけは存在するということかな。
他人が皆、自動機械であっても、
パンツを盗んで逮捕されるのは、存在する我だな。
デカルトが、放せちゅうねん、疑わしい自動機械のくせに、とか言っても、
身柄は拘束されるもん。
確かであっても、疑わしくても、何も変わらないよなぁ!w
  1. 2018/07/15(日) 21:13:30 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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