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qinggengcai

自由、それ以前 (`ω´)キリッ 4/x


自由とは、例えば、
がちがちのぐるぐるに、
自分を縛りつけていた世界から、
自分が離れることである、
としてみる。

ルネ・デカルトは、
世界と自分を切り離すことで、
自由になろうと試みた。
自分が考える、ということだけで、
確かに自分を存在させる。

自分が考える、それだけを頼りに、
デカルトは、世界から脱け出そうとする。
我思う、ゆえに我あり、
ってのは、そういうことだ。
考えることで、自分が世界から分離する。

安易で、大雑把で、正確さを欠くけれど、
解ったふりをして、
解らないよりはいいんだ。
我思う、ゆえに我あり、なんて、
意味も解らずに丸暗記するよりも、

僕には、全然いいんだ。
自分が考える、ということのほうが。



    

    何もそんな難しい事 引き合いに出されても
    知りません全然 だから気にしないぜ とにかく行こう

    ―― イージュー☆ライダー/奥田民生
    ―― 奥田民生 作詞作曲、1996、Sony Records



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年07月10日 12:18 |
  2. 自由
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんにちは!!^^

>自分が考える、それだけを頼りに、
>デカルトは、世界から脱け出そうとする。
>我思う、ゆえに我あり、
>ってのは、そういうことだ。
>考えることで、自分が世界から分離する。
前から気にはなっていたことは、、「考える」と「思う」と「心に浮かぶ」の違いです。この順にエネルギーを使うという認識ですが、どーすか?

この命題?は、私がいる?のはわかるけど、私が私の身体の中のどこにいるのかはわからないけど、私って何かわからないけど、いるので思うし、思うからいる、みたいな感じです。世界って言ったって自分の世界しか無いからなあ。m(__;m
  1. 2018/07/10(火) 15:30:00 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>「考える」と「思う」と「心に浮かぶ」の違いです。
うん、違いは辞書を引けば分かるとして、
僕はどう使い分けているのかな。
感覚、知覚を得て、何かを「思う」ときに、
意識しないで、意図しないで、
受動的に「思う」ことを「心に浮かぶ」と呼び、
意識的に、何らかの意図をもって、
能動的に「思う」ことを「考える」と呼んでないかな。
でも、「心に浮かぶ」って使ったことがないよw。
使いたくなるときには、もう「考える」に移っているのかな。

>この順にエネルギーを使うという認識ですが、どーすか?
「考える」は、知的な精神作用で、格闘している感じがあります。
疲れた分だけ、ブドウ糖を消費している気がします。

>この命題?は、私がいる?のはわかるけど、私が私の身体の中のどこにいるのかはわからないけど、私って何かわからないけど、いるので思うし、思うからいる、みたいな感じです。世界って言ったって自分の世界しか無いからなあ。
それは、次とか、次の次とかに。
  1. 2018/07/10(火) 19:08:00 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ねえ、デカルトの命題は、「考える限りでの私が存在する」ということだから、考えない、ボーッとしたりしている私は存在しないと。
しかし、今の科学は、ボーッとしている状態、デフォルトモードネットワークですよねーは実は、脳の中でいろんな記憶を整理している重要な活動と分かって来て、デカルトも簡単に論破されちゃう。
いろいろと〜。
  1. 2018/07/10(火) 19:46:17 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>ねえ、デカルトの命題は、「考える限りでの私が存在する」ということだから、考えない、ボーッとしたりしている私は存在しないと。
「考える限りでの私が存在する」、いいね~!
いいね~、このフレーズ。
我思う、ゆえに我あり、の思うは、思惟でなくちゃ。
考えるから、私がリアルに立ち上がってくる。
考えてないときの私は、機械みたいなものです。
それは、別に私でなくてもいい。

リアルに立ち上がる自分がいるから、
他人もリアルに立ち上がるんだわ。
自分が考えていないのに、
どうして他人が考えているなんて思うことができるんだ?
僕は、考えている他人が好き。
答を丸暗記している他人は、機械みたいなものです。
機械は、世界の側に埋もれている。
それは、別にその人でなくてもいい。

我思う、ゆえに我あり、ってのは、
神を介在させていないけれど、
デカルトは、神が人間を創ったと信じていたから、
私の思惟も、他人の思惟も、分けなかった。
他人のことは、括弧に入れて、忘れなきゃ。
神が死んでからの問いなんだな。
他人の思惟は、ほんの仮初めの、
浅い歴史しか持ち合わせていません。
  1. 2018/07/10(火) 21:10:25 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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