政府は、明治5年の学制で、
地域ごとに、政治や、文化や、
慣習や、習俗や、伝統や、市場や、
話し言葉も、考え方も違ったこの国の、
言語と、知識、教養の統一を図った。
ようやく、国民=nation ができてくる。
国民とは、ほとんどが出会うこともなく、
その可能性もない、認知できないメンバーが、
なぜか、互いに同じ共同体に属していると、
認識し合える幻想である。
この村と、行ったことのないあの村が、
なぜか、均質の時空にあると、
思い込める信仰である。
あの村の人たちも、同じ空気を吸っていて、
この村の人たちと、同じ時を生きている。
日本語と一般教養が統一されて、
例えば、リアリズムを備えた小説が可能になる。
物語や、お伽噺ではなく、
現在進行形の時制で、僕たちと同質の、
架空の誰かとともに、泣いたり笑ったりできる。
パラダイムがシフトする。
僕たちには、当たりまえのことで、
何の感慨もないけれど。
僕たちは、生まれたときから国民で、
国民でないパラダイムを持っていないから、
国民でない、ってことを知らない。
国民になる、ってことが分からない。
わたしがあこがれているのはにんげんなのです
ないたりわらったりできることがすてき
―― りんごのうた/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、2003、東芝EMI
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2018年06月17日 00:27 |
- 馬鹿
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| コメント:6
青梗菜さん、
>この村と、行ったことのないあの村が、
>なぜか、均質の時空にいると、
>思い込める信仰である。
>あの村の人たちも、同じ空気を吸っていて、
>この村の人たちと、同じ時を生きている。
信仰との区別は、ほとんどつかないくらいかも。たばこ税とかを意識しなければ。年貢っすか?m(__;m
- 2018/06/17(日) 01:53:36 |
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- くわがたお #-
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是枝監督が「国民でない」を描いてカンヌで優勝したっぽいよ。
朕は「まんぐり家族」同様のロウワーな立場なので、「まんぐり家族」同様「まんぐり家族」を観にいけない。だから定かなことはわからないのだけれど。
ちんげん君、気が向いたら観てきてよ。
(ロウワーというより、ほぼほぼ横着ざます)
- 2018/06/21(木) 01:30:43 |
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- ざまぁ~す #-
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