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qinggengcai

何の因果で 29/32


善悪は、自由の閾値(しきいち)である。
そこを境に、僕のよいこと、悪いことの領分がある。
そこは、共同体から解放された領分であり、
よいことを選ぶのはもちろん、何も選ばないのも、
悪いことを選ぶのも自由になる。

善悪が対立する閾値の外は、
僕には、自由とはいえない。
僕は、いつだって、よいことを行い、
それが、閾値の外からは悪とされても、
閾値の内では不可侵性は保たれる。

僕たちが、よいことも、悪いことも選べるときは、
世の中的には、取るに足りないような、
どうでもいいような選択しか残されていない。
重要な、価値が高い選択なら、
法律に規定され、選択の余地はない。

だから、僕たちの選択は、
悪いことではなくて、よいことをする、
それくらいの意味になる。
それは、定義できないままの、
括れないままの、よい、ってことだ。

そこには、共同体の利益に反しない限りで認められた、
よくても、よくなくても、悪くても、
差支えないくらいの些末な、よい、がある。
ただし、感情や思考が含まれる。
倫理や、道徳や、宗教や、善と悪とが含まれる。

善の定義が困難なのは、それぞれの領分の善を、
定義しようとするからである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年03月18日 00:07 |
  2. 馬鹿
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