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無何有の郷、藐孤射の山 5/x


例えば、地球にやさしい、
そんな嘘くさいフレーズを、
僕は、気持ち悪く思う。
        そんなフレーズは、
        内側からは生まれない。
        外側から聞こえるだけ。
外側の声に耳を傾けて、
しかし、ノイズが混じってくるから、
僕は、気持ち悪く思う。

        僕にとって、
        僕が無為であることは、
        僕の内側の声を聞くこと。
僕にとって、
僕が自然であることは、
僕の内側の声に従うこと。
        ただし、内側の声は、
        外側の声に耳を澄ませることで、
        かすかに聞こえる不一致感。

        それは、微弱なノイズを、
        解析するようなもの。



    

    もしも 君が彼らの言葉に嘆いたとして
    それは つまらないことだよ
    なみだ流すまでもない筈
    何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる



    ―― ありあまる富/椎名林檎
    ―― 作詞、作曲、椎名林檎、
    ―― 2009、EMIミュージック・ジャパン



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年10月28日 12:12 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

問い 1、
>    何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる
その理由は、①言葉だけ?では物事?を表わしきれないから。
②言葉と心?が、完全には一致していないから。
③(   )
上の文章を読んで、③には何が入ると思いますか?
私には、③が思いつけません。m(__;m
  1. 2017/10/28(土) 21:48:08 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

いいなぁ、①も②も。

①言葉は、ものごとに比べたら、
ほとんど意味が書かれていないもんな。
②自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉が与えられていないわ。
だから、不一致感を言葉にしようと思っても、
ぜんぜんうまく語れない。
もしも、簡単に言葉に置き換えることができるのなら、
それは、嘘を孕んだ言葉なんだろう。

だから、③は、
自分の言葉で語らないから、
にしてみます。
  1. 2017/10/28(土) 22:20:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

「言葉」はそんなに信 “用” ないものなのか,無用だったり無能な,力不足なものなのか,それとも用いる主体の努力不足なのかw,『「言葉」の力を信じる』とカンタンにいってしまえる浅はかさもいやです,し,ことばは何をも表しきれないうえ,ひとがなにかを「あらわす」ときには頼られすぎる,
誤解させることも,誤解にきづかせることも「言葉がもっていて,行使しうる能,力」ですね
とはいえ
“体” としてのコトバが力を持ってきたことは,しかも人間の体より長生きしていることもまた事実。

思うに。
用としての「言葉」,それへの信頼がうしなわれると感じてしまったとき,対話のツールとしての言葉以外に,体としての「言葉」のもつ存在感にほんとうに圧倒される。
そんなことをいつも思います。

言葉,には,かなわない。と。いつもおもいますね

夢に胡蝶は夢にも蝶にもあまり意味がない。ジツは物事の捉え方の二面性,背反性をいう「喩」に「すぎない」といってしまうことは,用としての捉え方で。
そのメタファーは何でもいい。
たとえばw
梗(とげ)は対象が大きければ刺すものにすぎず,対象が小さければ梗塞,となる,といったって同じことを言いうる。

しかし莊周は,夢,胡蝶の喩を用いた,という,ところの意図を詮索すると,『莊子』は詩篇であるようにおもえる
しかし莊周を詩人と言い得るほどに,莊周自身は言葉を信じていたのか,それが永遠に解けない謎ですね。わたしが『莊子』にのめりこむいちばんの理由はそこですねw

追伸:『莊子』は,言葉なんか信じていないと,言い切れる人を妙に勇気づけるところあるけど。
いやすみません,いいかたにとげがあるのかもしれないけど「用いる主体の努力不足」でっていうのは…。わたしはツールとして言葉はさ。「わたしがいいたいことを伝えること」これはかならずできるはずだということだけは盲信していて,でも,ことばがわたしのことを伝えてくれるものなのか,ということはハナから全く信じてないんですよ。
言葉も以心伝心も。
意見や願意を言うツールであって。自分をわかってもらいたいために言葉は無能だなあと。いつもおもいます
自分をわかってもらうすべとしての言葉をもちいない,というのかそもそもことばで伝え得るのか,否。ということはガキのころからずっと思っている。

で,ブログを読んで書かれたことの返事はああなってしまうんです。もうしわけない,すみません,とおもってるときも一応はある様な気もするんですけど。あくまで書いたことに対して書かれたことへの礼儀をつくしてるだけです
  1. 2017/11/01(水) 10:58:14 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

僕は、荘子を読んで1か月。
読んだのは、忘筌、夢為胡蝶、無何有之郷。
読むときの、姿勢、構え、立場は、
いつもの考えるスタンス。

そういえば、6月に、こんなことを書いてました。
>どこかに答があって、
>自分はそれを見つけてきて、
>理解すればいい、
>そんな作法を、考える、
>と呼んでいる人にとっては、
>答は、教えてもらうものである。

なので、僕はまだ荘子を読んでいないのかもしれません。
僕の中にある荘子的なあれこれを手がかりに、
僕が僕を再読して整理しているだけ、って気がします。

>「言葉」はそんなに信 “用” ないものなのか,無用だったり無能な,力不足なものなのか,それとも用いる主体の努力不足なのかw,
用いる主体の努力不足なんだけど、
その努力は、努力してもできるものではない♪w

「夜露死苦」と「見末久知香谿務」、
「ストロベリー・フィールズ」と「無何有之郷」、
そんな無意識(って便利な概念です)で、思考がぐるぐる回って、
自分に好みの結論が出る、
そんな用があって、世の中の信には足りないけれど、
僕にとっては、言葉は信用に値します。

自分の経験(身をもって、って体験)という、自分に固有のコンテンツを持たないで、
世の中のコード進行に追従していると、
よくあるフレーズで共有化されるような、
世の中に好みの結論が出る、
そんな用があって、世の中の信には足りるけれど、
僕にとっては、信用に値しません。

僕には、僕の好みの結論(最初から答としてそこを目指している直感)が、
世の中と違うときに、
世の中のほうが間違っているんだと、
言いたい気持ちがありますw。
うん、世の中的には、誇大妄想、と呼ばれますw。

言葉は、各自が各自をリロード(更新、再読込み)するツール。
ますます変てこな人を増やすだけのような気もしますが。
うん、僕も含めてw。

>もうしわけない,すみません,とおもってるときも一応はある様な気もするんですけど。
一応はw、ある様なww、気もするwww、
ははは!w
  1. 2017/11/02(木) 15:18:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

(最初から答としてそこを目指している直感)
それがあることが,いいよね,無い人も多いし,ふつう人はそれを,先入観といって忌むけれどもw
直感が裏切られたところで,それはそれでっぜんぜん構わないというスタンスも青梗菜には感じます,余裕というか・・・余白がある,ですね,かつクールですね(マイナス5°くらい。)

ただ,その直感こそ,今どきの” 用” ,に毒された言葉への嫌悪であったりもする。
こういういいかたは常軌を逸してしまうけれども,用とは俗。『莊子』は聖俗をゼッタイいわない,評価しないところがいいんだけど。
用はダサい,不好。無用が,好いといつも言ってるよな気がする,ってかそれしかいってないw

蛮勇振るってあえていえばたぶん『莊子』は,物が主体をもつ世界,すべての,言葉さえ,つまり「体言」ということだけれども,体(タイ)を成す,為すと感じられたとき,
それは,物” 化” だ,という発想が出たんじゃないかな,と思います。
シュールレアリストの「オブジェ」ですかw。

「自然」の反義が「物化」である時,尚且つ「物化」は「不自然」ではく,
「生」の反義も「物化」、ただただ “化した” という変化の時さえまた,化生の “物” 、体言。究竟,すべては物,しかも,無用の

「言葉」それジタイを,主 “体” あるものと考えることジタイ,へんなんですけどね


気がしないでもない,よりはうんと思ってますっっ
行きがかり上全然思わない相手もいるけど。

「樸」,は逍遥の寝そべる大樹と変わらんので読まなくてもw,
外篇 馬蹄篇です,後世の門徒が書き足したとも言われてるし。ただ,なぜ,「自然=不羈,自由なのか,」というそこをへりくつならべてるだけで。大しておもしろい文ではないですw
  1. 2017/11/03(金) 03:41:51 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>“体” としてのコトバが力を持ってきたことは,しかも人間の体より長生きしていることもまた事実。
はい、椎名林檎も歌ってます。
生命と、身体と、結びついた言葉には価値がついてる。
荘子の比喩は、身体感覚に基づいてるんだろうな。
昔々の中国の身体性、ってことになるけど、
僕たちには、もうその視座がないよな。
僕たちの手は、イチゴをもぎ取るときの、
ほんの小さなイチゴの抵抗さえも知らないもの。
くだらない身体だわw。
樹の下で寝たこともなくて、
樹の下で寝ることさえ記号になってる。

>ただ,その直感こそ,今どきの” 用” ,に毒された言葉への嫌悪であったりもする。
うん、嫌悪してますw。
今どきの”用”に毒された言葉でいえば、
自然体で、とか、ありのままの自分を肯定して、とか、
何ごとにもとらわれず、こだわりを捨て、
ってのが、無何有之郷の住人になると思うのです。
でもなぁ、その実質は、
異質な他人に対する不寛容ですよね。
同質な他人を求めてる以上は。

そして、正直な感想を言えば、
おもしろくもなんともない場所だなぁ!w
無何有之郷は、非の打ちどころがないような、
そんなつまらない場所なのか。

もしも、簡単に言葉に置き換えることができるのなら、
それは、嘘を孕んだ言葉なんだろう、
って、なにかにつけて思います。
樹を植え替える人為、ことあるごとに感じる自分への不一致、
何をするにもついてまわる意図、いろんなものごとへのあきらめの悪さ、
それは、僕の、無にして為され、
僕が、自ずから然れる、つまり、僕の、無何有之郷になりますが、
はい、とても俗っぽい、俗まみれw。

ねじくれ曲がった僕にでも、
「樸」の見かけを作ることはできると思うのです。
素朴な字を書け、といわれたら書けるよね。
これが素朴な字ですよ、って手本を見ながら。
明治や昭和のパラダイムを越えてきた「樸」なら、
「樸」らしいのが「樸」なのか、
「樸」らしくないのが「樸」なのか。

>蛮勇振るってあえていえばたぶん
「蛮勇」と、「あえて」で、「たぶん」を言う。
そのために、表現が、比喩が、修辞がリファインされる。
荘子だって、どうにもならないことを書いてるに決まってる。
どうにもならないこと以外に、何を書くんだw。

>物が主体をもつ世界,(ry
う~ん、よく分からんっw。
僕は、荘子を読んで1か月なのです♪
  1. 2017/11/03(金) 18:36:53 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

物が主体をもつ世界,
『莊子』がいってることの大半はよくわかりません,っわたしも。

ただ,モノが用もなく,役に立たなくて,ある,ね,そこに,
という,解放感ですか。
それが先だろうという。
意味を見つけたがってリクツこねる孔子や孟子へのアンチ,,行儀と作法によってすべてモノゴトを秩序だてよう,という人たちがうんざりするほどいた。おしつけがましい,の権化ですからね儒者は。
重宝がられる有用。有益。それは勝手に人間が “自然” を用と為し,人間を主体としてしまうから。

人間はいつからこんな偉くなったんだ,
  1. 2017/11/03(金) 21:55:21 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>ただ,モノが用もなく,役に立たなくて,ある,ね,そこに,
>という,解放感ですか。
あ~、意味が少ない!
人の目に映らないものは、誤謬がない。
これは、ストロベリー・フィールズだ!
で、ストロベリー・フィールズを検索したけど、
訳詩がぜんぜんだめだから、
早急に僕が訳してみますよっ♪
改めて思います、ネットは99%がだめだ。

>人間はいつからこんな偉くなったんだ,
まったくだ!
  1. 2017/11/03(金) 23:45:41 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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