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無何有の郷、藐孤射の山 3/x


無何有(むかう)は、
自然のままで、
何の作為もないこと。

自然も、無為も、
環境倫理学のそれとは、
似ているけれど違う。

エコ、リサイクル、オーガニック、
ナチュラル、ロハス、などなど。
多くを共有しながら、

わずかに分岐して見えるとき、
言いたいことは、
差異に集約されている。

そして、それらと、
無何有との分岐点は、
末端ではない。

主意から異なっている。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年10月26日 19:31 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

「自然」は,人為,人造,造作,作為の対義語であると同時にアイデンティティの意味がはいりますね,英語のNatureと自然という言葉は見事に一致しているわけで,しかし,莊子の最も特徴的なところは,
自然の対義語は拘束です,ともいってる
しかし
不拘束,不羈を求める心は無為ではない,まさに主(體)意による,この背反を相剋しようとしたところの境地が『無にして為されるところの自ずから然れる」,
自,と然,とは切り離しても考えられ,なおかつ「自然」といういわば慣用句的熟語の意味を持つということですね
樸(あらき)のことがかかれている章篇を読むとすんなり納得できる
また青梗菜を怒らせるようなこと書いてとおもわれそうですがw
  1. 2017/11/01(水) 10:30:33 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>不拘束,不羈を求める心は無為ではない,まさに主(體)意による,この背反を相剋しようとしたところの境地が『無にして為されるところの自ずから然れる」,
やけくそみたいな言い方をするとw、
自も他も、環境としての自然も、
すべては(人の)言葉を介して(人が)妄想しているだけなので、
結局は、(言葉の使い手の)人が中心になるしかないよ、って思う。
手の施しようがない、言葉に対する否定的な感情があります。

>樸(あらき)のことがかかれている章篇を読むとすんなり納得できる
ありがとっ、読む、読む♪
今ぢゃないけどw。

>また青梗菜を怒らせるようなこと書いてとおもわれそうですがw
はははw、それなら書かないよ~、ふつうはw。
玄さんなら、何を書き込んでも、
僕は怒らないと思いますよっ♪
何を言っても無駄で、見当違いな台詞が返ってくるときは、
怒るほかはないけど。
そんなときは、僕よりも先に、相手が怒ってるんだろうけどw。
  1. 2017/11/02(木) 15:17:13 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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