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qinggengcai

「心」と、「なんでも」の、二元論 (´;ω;`)


あなたのこころが
きれいだから
なんでもきれいに
見えるんだなあ
―― みつを



認識の主体と客体を、
当然のように二元化して、

主体も客体も包み込み、
当然のように一元化させる。

それを無理なく可能にさせるのは、
「きれい」という形容。

物心一如、主客合一。



    160829a.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年10月01日 21:33 |
  2. 反みつを
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

客体は私には感じられるけど、感じることしかできぬ?、みたいな?m(__;m
  1. 2017/10/01(日) 22:41:46 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>客体は私には感じられるけど、感じることしかできぬ?、みたいな?m(__;m
それ、すげぇ!
  1. 2017/10/01(日) 23:04:39 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

心がきれいだったら、
なんでもきれいに見えるでしょうね。
  1. 2017/10/02(月) 00:28:42 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

うん、でも、心がきれいな人と話をしていてもつまらないよな。
うわっ、きったねぇ心だね~w、とか、
なんでそんなにセコいこと言うかな、とか、
そんな人のほうが楽しいわ。
笑えないくらいに汚くてセコい人は別として。
  1. 2017/10/02(月) 00:54:45 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

要は、また、少し難しくなるけど、外界というのは、その人の心のありよう、要は認識の仕方でどうにも解釈出来ると。
同じ現象を認識しても、心の在り方で、認識が異なる。
しかし、これは、心の在り方が変われば、認識も変わるということを示している訳だけど、みつをは、そこまで言ってないな。
更に、「なんでもきれいに見える」、つまり、all、という言葉は、疑わないといけない。
邪悪なものまで、きれいに見えるのは、普通に考えておかしい。
心の在り方が変われば、認識が変わるということは大切だと思うけど〜性悪説の人が、性善説になれば、とても世界は平和になるかな〜みつをは、人の心の在り方が変わる可能性をどう考えていたのかな、いやしくも、禅に傾倒した訳だからね〜。みつをにあまり、「変わる」という言葉がないのが寂しい。
  1. 2017/10/02(月) 12:38:38 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>同じ現象を認識しても、心の在り方で、認識が異なる。
はい、めちゃくちゃ乱暴にいうと、主客合一よね。
主体の心の在り方で、客体の解釈が変わる。

「笠地蔵」を美しい話と思う人の心は美しくて、
「笠地蔵」を邪悪な話と思う僕の心は邪悪だな。
主体が邪悪だから客体も邪悪になる。
僕の心が汚いのは認めていいけどw、
僕に言わせれば、
>邪悪なものまで、きれいに見えるのは、普通に考えておかしい。

道元についてもそうなんだけどね、
それが鎌倉、室町なんだ、っていう、
それだけのこと。
美しくも汚くもないんだ。

生得的には善でも悪でも、
生きているうちに善も悪も習得するんだから、
性善説でも性悪説でも、僕はどっちでもいいぞw。
性善から始めても、性悪から始めても人は変わる。
善悪だけでは、人の意味がぜんぜん足りないから、
僕には小さな問いです。

禅に傾倒なぁ。
ちょこっとかじっただけの僕には、
みつをの禅の成分が解析できない。
それよりも、
>客体は私には感じられるけど、感じることしかできぬ?、みたいな?m(__;m
これ、なんだかすごいな!w
  1. 2017/10/02(月) 19:43:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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