馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

説明不要の善人


一人称の文章を作っているかぎりは、
ほとんどが感情の表れであり、
僕にとっては、間違えることはない。
感情なら、人それぞれ、であり、
思ってしまうものは仕方がない。

ところで、愚考は、
表さなければ愚考ではない。
自ら表現することを、
自ら許容するから愚考になる。
愚考とは、愚かさの表れを許すことだ。

みんなと同じ文章になるのなら、
僕には表現する動機がない。
例えば、誰もが正しいと思っていることなら、
僕も、自分の言葉なんか持たなくてもいい。
回りくどい説明など不要だろう。

表現したくなるのは、
みんなと違っていることであり、
それを知っていて表すのなら、
自分の言葉で表現せざるを得ず、
いきおい、愚かな考えになってしまう。

では、なぜ、僕は、
愚かな考えを書き表すのか。
僕が、何かを、善であると、
あるいは、悪であると表現するときには、
意味を含んでいる。

善いことだからやってくれ、
あるいは、悪いことだから控えてくれ、
そんな意味を含んでいる。
それは、善悪を表現するときの成分だ。
僕の要求が、僕の善悪である。

嘘っぱちの、犬のような、
思考しない善人なら、
僕は、やめてくれ、と言っている。
愚かな考えとしか言いようがないが、
僕が書き表したいことは、

もとより、すべて愚考である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月27日 23:06 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/1422-0d3d3a56
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)