馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

哲学は、遅い


哲学は、もの分かりが悪い。
スピがふつうに使っている、
愛とか、真理とか、神とか、
そんな言葉が解らない。

だから、スピにとっては、
心地よいフレーズが、
哲学には、とらえどころがなくて、
なんだか不快に思えてくる。

それらは、哲学が、
好んで取り上げる主題だが、
哲学は、考えて考えて、
恐る恐る定義する。

自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉を与えられていない。
だから、言葉は、
ぎこちなく差し出される。

心の内の言語化は、
どこかに書いていたことや、
誰かの言葉の繰り返しに、
置き換えられるものではない。

ありきたりな言葉に、
落とし込むことはできないし、
誰とでも分かり合えるような、
ストーリーにはなり得ない。

それは、哲学にとっては、
何より大切なことで、
哲学に言わせれば、
スピは、大切なものを失っている。

スピに言わせれば、
哲学は、感性が鈍いのだろう。
ぐるぐる悩んでいるだけで、
低い次元から抜け出せない。

哲学は、まどろっこしくて、
じれったくて、とにかく、遅い。



    170615.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年06月15日 22:31 |
  2. 反スピ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

コメント

スピは、正しいですよね。
どうしようもなく正しい。
でも、道のりがない。
過程を飛ばして、すぐ答え。すぐ正解。

そんなことは、わかっている!
やめろぉーー、うるへぇーー!
って、なります。
  1. 2017/06/15(木) 23:20:02 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>スピは、正しいですよね。
正しいね。

>でも、道のりがない。
>過程を飛ばして、すぐ答え。すぐ正解。
正解があるんだもん。
そりゃ正しいわ。

>やめろぉーー、うるへぇーー!
まいちゃん、
宇宙の愛を感じてみようか♪
  1. 2017/06/16(金) 12:03:11 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、おはようございます!!^^

>哲学は、まどろっこしくて、
>じれったくて、とにかく、遅い。
急がば回れということですか?m(__;m
  1. 2017/06/18(日) 10:39:38 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

コラボレーション

“遲” は,畢竟,至るの空間的時間的質量の遅延をあらわすことばで
だから,シンニョウなんです
到ることを目的としたときその作為の弛緩をいう。

到達とはいうけど,至達とは(まず)いわないのは,到にたたっきる,と言う概念を表す刀がはいるからでしょうね
哲もそうです。折る口ですよw 啠ガクが,いつしか折る口に変遷したのは・・・折るべき時があることを知った人類の “すすみ” の過程ですねw

至善と最高善
いたるべきよきこと,と言うのは,どこにでも存在する。我々の言葉をすり合わせて一つの和をみる,それが,
いたるべき,どこにでもいつでもある,いたるべきよきこと,至善です,そのひとつですね,この数日間の会話はある和をみいだしたとおもいます.harmonia cumです,「調和のとき」です

和は,同ではない。あたりまえです,字が違うんだからw

それを理解すれば,最高は,最高善はなにか,がわかりますものw
「最高的,至るべき善」です
それを「最高善」という

最高裁や最高峰、と,體をあらわすことばがつかなければ理解できない,という機微をよくあらわしてますw

あの時点でカントの理性はテツガクのある種集大成です。

ここにはカントのスコラを乗り越えようとした,苦しみぬいた思考,苦しみつづけていたることのできない理性がアリアリとあらわれて出ていますね

だから最高善なんです。
そして遅い
Okiさんのあの説明はあますところなくすべて網羅してますよね

なぜラテン語の語彙が少ないかw
最高な,ゼッタイを志向した瞬間語彙が拡がらなくなったんだとおもいます。ゼッタイとは有限ですからねw
ゼッタイ有限をきめてしまうんですから

一方漢字の語彙は無数,無限。異体字はもう,山ほどありますwwwなぜなら,絶対存在がないから。
対が絶えたらなにがのこる?
空,絶対的かもしらんがとにかくなにものこらない,
なにもない無方,です

対はイコール應空。スピ。
対はイコール應無方,この應の中の心を言とかきかえた異体字・
譍,ですwだから譍無方は思想ですw

対が絶えることはあるか?と。
ない,としたのが東洋思想です
  1. 2017/06/19(月) 06:06:07 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>急がば回れということですか?m(__;m
どこに向かって急ぐのか、
向かう先が決められないから、
回ってる気がする。
  1. 2017/06/19(月) 14:06:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

純朴に字を眺めてみると、
「遲」ってのは、
牛が何かを載っけて歩いてますよ。
かなり遅いよ、これw。
「遅」ってのは、
羊になって、肯定感が出てきます。
遅いことには、いいも悪いもない。
遅い、ってことは、待ってる、ってことね。
思ってる、願ってる、望んでる。
これを詩にしてもらえますか?ってやつです。

なるほど、刀、ね。
刀、って、あ、dāoか。
到も、道も、dàoなんだ。
斬って、折って、分けられる。
分かるも、解るも、
なるほど、刀、ね。

>この数日間の会話はある和をみいだしたとおもいます.
的外れな人は、ここには来ませんからね。
みなさん、自分を保ちながら調和する。

徳間・たま・サンマーク的なスピは来ないから。
スピとは、同じても、和せないと思う。
そんなスピではなくて、
ちゃんとしたスピは、苦しいと思うよ~w。
苦しみ抜くんだと思う。
僕のいんちき哲学も、お気楽な詩も、
ほんまもんのスピに比べれば、
居酒屋のチャットみたいなものです。

>対が絶えることはあるか?と。
>ない,としたのが東洋思想です
仏教のいう、縁起ね。
  1. 2017/06/19(月) 19:15:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

和の類語
共同、協同、合同、同盟……
和と同は違う字だけど
類するもの。
和して同ぜずよりは
同ずが和し易い。
人は簡単な方を選ぶ(笑)
和すことを求めれば必ず同ずことを望む。望まなくてもそうなる。

私が感じるのは
玄さんは他者との語義の擦り合わせではなく、玄さんが持っている語義へと他者が擦り合わせてくれることを望んでいる、玄さんは擦り合わせる気がない
ということ。過去の語義への擦り合わせを望んでいる。
私も詩を書くときには、擦り合わせる気なんてまるでない。
言葉が持つ語義や言葉が指し示す象徴を擦り合わせる気がない。
実際、読んでて訳が分からなかったはず。
もし語義が確定していても
浮かんだ映像は誰しも違う。
唖が漢字を作った伝説からも言えるように
だいたい、各種の欲求のために言葉を使う。言葉を組み合わせてレゴのように遊ぶことを面白いと感じる私には、語義が確定しているなんて非常につまらん。

語義は移り変わっていくのだから
語義が確定するなんてのは到底不可能なこと。
英語のniceは今では、良いというニュアンスで使われるけれど
もともとは、狂っているって意味であって
日本語のヤバいも似たような変遷を辿っている。

玄さんは時系列と言うけれど
そもそも語義の確定を未来に視るのか、過去に視るのか
どうも過去に視ているようです。
だから遡る。
感覚的に最高に到るという状態は未来に属するものだと思うけれど、玄さんは最高という状態が過去に属していると思っているのでは?
最高善が、かつて有ったと?
果たして過去に到れるか?

  1. 2017/06/20(火) 03:03:00 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウイ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

ユウさん、しっかり書くなぁ。
僕は、玄さんについては、
得意分野に引き込んで、ひけらかし、
っぽいことを書いたよw。

ユウさんの詩は、
わけが分からん、
みたいなことを書いた気がするw。

僕は、それぞれに返答をもらって、
もらえるだけで、それだけで、
僕には、満足でしたよ♪

人は、割り切れるものではなく、
割り切れない余りが、
その人の独自性を作っています。
余りが、自分なんだから、
人それぞれ、なんて、
他人ごとにしてはいけません。
もちろん、あまつさえ、スピのように、
宇宙に、神に、前世に、星に、
血液型に説明させてはいけません。
  1. 2017/06/20(火) 10:51:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

おはようございます。全くここに書かれたことに反論できません。
おっしゃるとおりです。
ほんとうに申しわけなかったと。おもいます。対話の機会があればあやまろうとおもいました

わたしはいつでも,
たとえば和,というのは同とは違う,という,そういうちがいをなぜひとはみとめないか,そのことがキになってキになってしょうがない,ついにはマトモな日本語がしゃべれなくなった病人なんですよw
青梗菜はその病気を,まあ理解しようと,面白がってつきあってくれる,わたしにはかけがえないひとですw世にも珍しい。。

ただ対話。
この快楽は,わたしには面白くて仕方がない,だからここにきて,読み,ことばをかわす。和と同のちがいを認識できる人をいつもさがして話がしたいとわたしは,いつも思っている人間です。
最高善,と言うカントの言葉をみつけて,わたしにとってこんなつごうのいいおいしい餌はめったにないですから喰いつきました

しかしわたしは,この何日間かその自分の快楽のネタを声高に布教していましたねw。
それを深く反省しています

人のブログでこれをやったことジタイなんのいいわけもできませんし
青梗菜さんには申しわけないし,とばっちりを食った感ある,ユウイさんに謝っておいてください。と書いたんです。青梗菜さんには感謝しかありません

すり合わせる,と言う言葉,これについては,すこし。

繰り返しになりますが,
「共有できる語義を一時的に」,
ある前提のために「取りあえず的に確定する」,といってるんです。
テツガク,という分野においては,と。
もっと限定的に西洋哲学においてですが。それくらい限定した中での,わたしの考え方です。
詩については,最初のコメで先に書きましたがその正反対の因をもち,別々に発展しましたと思っています
マッタク思想哲学と離反する目的を志向していますね,だからこそ,乱調を志向し,「イマジネーションの力」を模索した。
わたしはそう書きましたのは,
哲学,論理性の話をしている,「論理性の前提にに必要なものは何か」,と言うことのみを今この場で話している,とそこを強調したかったからです。

わたしは,ですから論理を構築する上において,。

「お互いが信じているいみのうちの,共有する意味を確定する」,
と言ってるに過ぎない,
それはイコール,意味を半永久的にあらゆる分野で一つに統一すると言ってるわけではないのです。

詭弁だと思われたのだと思いますが,
ソコは大きな「異」解をされたとかんじます,もとよりわたしの「ニホンゴ能力」がモンダイなのですが。
「共」有すること
と,
「みなが「同」じものを一つだけしか,もってはいけないこと」

は,ちがいます。

これはわかってもらえないかもしれませんがわたしは個体差,と言うもののゼッタイ的信望者です。

わたしと言う主体にとって有するイミ,
ことばという,「体」がそもそも持っているイミ,
ユウイさんという「体」が持っているイミ

これはそれぞれ違うという大前提は,ある,
だからこそ,そこから,「共」に「有」,なんです

共に持っている意味があってもいいだろう,それを探るのが哲学ではないしょうか,
と言う。
そうすることによって
ある調「和」を見出す,それはね,ニホンゴの言う同調ではゼッタイにありませんよ。ゼッタイに

主体を簡単に奪われる人がおおい,此れもまた悲しい現実ですが。

和,とわたしが言ったのはあくまで,「和」です
ここで和を見出した,と言うと皆さんは,「和やかムード」のことを想うでしょうね,
でも青梗菜はわたしが「和」,と言ったらそれは,「和」のことでしかない,とわかってくれるとおもいます

たいていのひとは「これが和やかかよ,バカじゃねえコイツ」とおもうでしょうね。
わたしのいう
和というのは,多様なものの、同化,合一ではぜったいにありませんでした
なごやか,のことでももっとない,

ただただ和のことなんです。たとえば独立した四声の合唱のようなものです,それは,ユニゾンではありません。
ポリフォニーと言う言葉をご存知かどうかわかりませんが,社会のモノフォニーをきらうわたしは,主張が生じて堅く張りつめたテンションある状態がだいすきです

それを全体主義と言われ,また,今,復古主義みたくいわれてもかなしい,とおもいはありますが,それはそれですこの何日間かで,むしろとうぜんのなりゆきです。

言葉の本義を知るということは,ことばそのものを愛するものにとっては,愛し方の一つに過ぎません。愛を強要してはいけませんものね

>感覚的に最高に到るという状態は未来に属するものだと思うけれど、玄さんは最高という状態が過去に属していると思っているのでは?
>最高善が、かつて有ったと?
>果たして過去に到れるか?

最高善が過去にあった,とおもっているか?
ノンです。
否,と言うより,不,非です

最高は「至り得ないから」
höchste,höchsten.
それが少なくともこの何日かでかろうじてわれわれが「共有」しえた概念,と,わたしはおもっていますが

未来に向けて,しかし諾ですよ,しかし至りうるものではない。不可です
  1. 2017/06/20(火) 11:06:40 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

ユウさんの返コメを待ってから、
また後ほど。
  1. 2017/06/20(火) 23:01:41 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは♪
丁寧に説明して頂いて、ありがとう
ございます。
西洋哲学において、という限定の中で、論理性を保つための語義の共有…
ということでいいのでしょうか?
もし、そうなら、それはそうです。
基本的な前提です。

西洋哲学を日本語で読むなら
単純に考えても
翻訳したものは翻訳者の解釈が入るし、誤訳もあるでしょう。
青梗菜さんは日本語でやっているわけだから、
仲介者がいないだけ、ここでは多少は語義の共有が見込めるような気もします。

少し逸れますが…
「虹の、その下の見えない部分にも続きの弧がある」
インディアンは『和』をそう説明するというのを
何かの本で読んだことがありますが、これを玄さんはどのように思うか聞いてみたい(笑)
  1. 2017/06/21(水) 04:21:08 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウイ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

>人は、割り切れるものではなく、
>割り切れない余りが、
>その人の独自性を作っています。

>わたしは個体差,と言うもののゼッタイ的信望者です。

>「虹の、その下の見えない部分にも続きの弧がある」
>インディアンは『和』をそう説明する

たぶん、同じことを言ってます。
相互に参照せずに、軽はずみな同調ではなくて、
それぞれ同じことを言う。

>余りが、自分なんだから、
>人それぞれ、なんて、
>他人ごとにしてはいけません。

お二人とも、自分の表現がある。
同じないから、和になるんぢゃないか、
なんて、逆説も生まれそうです。
お二人とも、かっこいい♪
  1. 2017/06/22(木) 10:09:43 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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