馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

哲学は、疑う


正しさを求める人は、
自分の中に、
正しさと疑わしさが、
並存することを許容しない。

だから、哲学は、
スピを疑うわけではない。
疑うに値しないくらいに、
もとより、スピは不確かだから。

哲学は、哲学を疑う。
例えば、スピを信仰とするのなら、
哲学も信仰ではないのか、
などと疑うから面倒くさい。

スピなど、相手にしていない。
例えば、スピが不合理なら、
哲学も不合理ではないのか、
などと疑うから厄介だ。

スピは、スピを、
信じて疑わないのだろう。
対して、哲学は、
哲学を信じていない。

哲学は、スピなど疑わない。
哲学は、自らを疑う。



    140821c.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年06月13日 19:34 |
  2. 反スピ
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  4. | コメント:42

コメント

なるほど、分かりました。
哲学には、懐疑の精神があるけど、スピには無いと。
すると、近代の哲学は間違っていた。
カントは、「最高善」。ヘーゲルは、「絶対知」
二人とも、最後の到達点が見えていて、終わりから考える。
絶対知、これは、疑い得ないものとして、ヘーゲルにはある。カントなら、最高善。
最高善は「統制的原理」だと、逃げようとするが〜要は、それに到達できなくても、はるか彼方にある理念だとすること〜終わりは存在することに変わりはない。疑えない終わりが。
やはり、宗教に支えられた哲学は、ダメかなと。
  1. 2017/06/13(火) 22:42:37 |
  2. URL |
  3. oki #-
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okiさん、こんにちは。

最高も、絶対も、
人にとっての最高で、人が思う絶対です。
そんなものは、人間以外には、
何の意味も与えません。
「実践理性」の社会の出来事は、
「純粋理性」の世界とは調和しない、
というか、まるで関係がない。
人が何を考えても、
宇宙も、自然も、人とは無関係に在る。
人が何を発見しても、
発見されたものは、人とは無関係に在った。
人が「純粋理性」から「実践理性」にジャンプするとき、
人の身体を持ち上げてくれてたのは、神だったみたいね。

最高や絶対があると仮定したなら、
それは、論証を要しないで、
つまり、数学の公理のように、
共有されなければならない。
逆に言うと、論証を要するありかたでは、
共有されないのが、絶対や最高です。

スピは、論証を要しないで、
絶対や最高を説いているけどね♪
  1. 2017/06/13(火) 23:37:59 |
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  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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呑むとは亡ぶ,

>人の身体を持ち上げてくれてたのは、神だったみたいね。
あははそのとおりだなー。すごいこといいますね

地球の引力をゆるせない。赦せない。容れない。スピはね,太陽が好きなふりしてそのジツ目がくらむ事に快感を得るんでしょう。めがくらむのがすきというのは,とりもなおさず

「明るさ」を嫌う。

ネクラも哲学好むが。
哲学好む奴はネクラでも,目的wは「明るさ」ですからね

まテツガク知ってますます蒙いヤツもゐろーがw

最高善もゼッタイ知もね, 誤訳でしょう。
と言うか。
最初の翻訳者は字義は正しくつかえてたとしても,後の世代が字義を一から考えない「最高善」と言う何か固有名詞のようなものになってしまう。
最もハイ,なのかsupremeなのか。
その違いは大きい。

絶対といったときに
absolutely,entirely, totally,どれですか?と言うことがわからないからカントやヘーゲルと言う特定する言葉が必要になってくるw

ニホンゴでテツガクかたるには必ずデカンショ出てくるのはそのせいで。おもえば不完全な使えない我れらが母国語です

ちなみに
哲と言う字の本体はね,斤ですね。斧にかぎりなくちかいもんwです

哲と言う字の異字体は埑,悊
つまり折にイミがこもる。まげる,断つ。

ところが啠と言う字もあるw
つまり斤がふたつです
質問のシツもおなじ

斤は?
斤というのはジツは「明」のことなんです。という。
ソコははしょるが。

日月を切り分けた地平を見つめて,ほろぶのはなにか,

スピですねw
宗教というのは疑いを捨てるために吸う空気。

吐くテツガクは,口

斷絶や荒涼として斧は天
    ――赤黄男
  1. 2017/06/14(水) 06:21:23 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
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物言う口

いやちがう。
なにがいいたいかというと。はっきりいおう

>宗教に支えられた哲学

というのはねwジーザスクライスト以降の西洋哲学だけやろ。
カントだヘーゲルだ。

たしか紀元前に哲学はあったとおもいますよ

「宗教はテツガクの亜流,いや傍流だろ?」

とわたしはいいたい

哲学というものは・・・・「宗教」以前にあったなんとなく蒙昧であやふな “くらい” もやっとした「カミ」をあかるみにさらけ出すために言語化されていった過程。

近世になって「哲学」は神の否定に終始してるから,スピが先で,スピに奉仕するテツガクみたいに思うだろうけどね

もっといえば
言語を利用してあらわされた,それがテツガクなら。
つまり哲学以前に「言語」があったということになる。


天地開闢のねつ造のまえに「人間」がいたんですっと。
それはつまり
テツガクの前に「言」があったんですっということです

「言」と言うツールができる前には
言で伝えたい「意」が生じたんです

「言」の前には「声」があったんですっと。
ケモノもヒトも鳴くことしかしなかった時代。
そこからじゅんぐりですよ

みなさん時系列でかんがえよう,と言うことです

  1. 2017/06/14(水) 07:27:43 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>人の身体を持ち上げてくれてたのは、神だったみたいね。
人類は、そこを跳んだのかw、って、
なんでそんなことするのかねぇw、って場面には、
神に登場してもらいたくなります。
神は、クレイジーの異名です。

>最もハイ,なのかsupremeなのか。
>その違いは大きい。
なるほど~、僕たちは、固有名詞っぽくならないと、
「最高」の意味が取れない。
「最高峰」は、最もハイ、
「最高裁」は、supremeって感じ。
掘り下げて判断する、なんて意味では、
「最低裁」なんてネーミングでもよかった。

マクドナルドのハッピーセットなんだな。
ハッピーセットは、景品のおもちゃがメイン。
おもちゃが、ハッピーセットがハッピーな所以で、
単品でオーダーしても景品はついてこない。
「最高」ってのは、単品では意味をなさない枕詞で、
善や、峰や、裁とセットで意味がついてくる。

>哲と言う字の本体はね,斤ですね。斧にかぎりなくちかいもんwです
折口信夫、ってのがいたけど、
僕は、ずっと、折口哲夫、と思ってたよw。
さっき知った。
僕の、おりぐちてつお、は、
世の中的には、おりくちしのぶ、だったのか!
いや、関係ないけど、驚いたよw。

続きます、たぶん。
  1. 2017/06/14(水) 12:42:51 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

議論したいけど、青梗菜さんのつづきを待って〜。
カントについて言えば、最高善というのは、アリストテレスの伝統を引いている訳で、「カントの」最高善と言わなければ、アリストテレスの幸福=最高善が想起されるから。
ヘーゲルの「絶対知」は、要は、ヘーゲルが、自分で哲学は完成した。と思った訳ですね、彼としては、知識と信仰を統合した訳で、やることないから、哲学史の整理に奔走した。
これは、哲学史の常識と思いますが〜。
  1. 2017/06/14(水) 21:41:39 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

まあ、良いです。ここは、青梗菜さんのブログだから、他の人と論争しても仕方ない。ただ、私は、カントの最高善で、修論を書いているので、批判があるなら、ドイツ語を理解した上で質問していただきたい。
最高善は、das hochste Gut,です。
しかし、カントの頭の中は、カントしか分からないので、勉強すればするほど、カントが分からなくなるのも事実で、私は、カントは、本当のところ分からないと言っておきます。
  1. 2017/06/15(木) 02:49:26 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

いやはや、皆それぞれに信仰を持ってらっしゃる。
自分の考えや学習してきたことを信仰している。
互いに「信」じるものを保持しているから批判が生まれる。
人の言って書くところが、また皮肉(笑)
キニク学派を鑑みるに、
哲学とは「生き方」の模索だったのでは?
毎日、コーラを飲むって決めてる人がいたとして、その習慣は「哲学」なのでは?(笑)
  1. 2017/06/15(木) 03:45:19 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウイ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>>宗教に支えられた哲学
>というのはねwジーザスクライスト以降の西洋哲学だけやろ。
はい、神を否定する僕たちは、
しかし、とてもキリスト教的ではないかな、
なんて混ぜ返しますw。
聖書、ってね、僕たちは、
少しも難しくなく読めるもの。
それは、僕たちの母語で書かれているからではないかな。

資本主義も、聖書を語る母語と同じ言語で書かれているとしたなら、
例えば、僕がキリスト教を嫌っても、
僕からキリスト教だけを取り出して、
否定することはできない。

>つまり哲学以前に「言語」があったということになる。
仏教を輸入する前は、
日本には日本的アニミズムがあった。
例えば、僕が仏教を嫌っても、
もはや僕から、仏教は取り出せない。
時系列を辿る僕は、
仏教に染められていて、
漂白剤が効かないのね。
  1. 2017/06/15(木) 11:47:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

哲学史、っていうときには、
ヘーゲルには、進歩、ってのが入り込んでる。
あらかじめ、または、同時に、
答があるのよ、ヘーゲルには。
その理論の出発点として、
論証抜きで、進歩、と仮定する。
望ましい方向に進んできた、
って言いたいの。

アリストテレスとかって、
長い間、忘れ去られていた、
って、何かで読んだことがあります。
僕は、哲学史もよく知らないのよ。
今さらですけど、僕は、
なんて適当なんだろう!w
  1. 2017/06/15(木) 11:49:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

パンストなんだと思うよ。
>すべては相対であり、
>絶対的な優劣はつけられない。
>例えば、パンストが、
>例えば、黒でも、
>例えば、素肌に近い色であっても。

>パンストの色については、
>多くの所論が世界を飛び交っているが、
>それは、それぞれが示す選好を、
>相互にアピっていることに過ぎず、
>本質的には、価値に差はない。

>毎日、コーラを飲むって決めてる人がいたとして、その習慣は「哲学」なのでは?(笑)
そのコーラの人は、コーラについては、もう言いたいことがないよね。
何かを言いたくなるのは、
その人が、トマトジュースを飲んだとき。
何を言うのも勝手だが、
毎日、トマトジュースを飲むと決めている人と、
本質的には、価値に差はない。
  1. 2017/06/15(木) 11:50:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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そうね〜、「他人の意見を聴いて」どころじゃない、「信仰」でしたね〜。 しばらく自重します、人のことではなく、自分のことで精一杯だしね〜。
けど、何時も、ここは、険悪になりそうになると、本当に頭の良い方が、自然とおさめて、何事もなかったように続いていく、不思議なブログですよね〜。
  1. 2017/06/15(木) 15:34:47 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>そうね〜、「他人の意見を聴いて」どころじゃない、「信仰」でしたね〜。
そんなにもの分かりがいいと、
何かにつけてつらいでしょう、okiさんw。

>けど、何時も、ここは、険悪になりそうになると、本当に頭の良い方が、自然とおさめて、何事もなかったように続いていく、不思議なブログですよね〜。
誰かがそんな局面を収束させますねw。
なぜか召喚されて、要請を充たすコメントを引き受けてくれる。
みなさん、頭がいいから、僕は楽ちんです!
  1. 2017/06/15(木) 17:54:57 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]


なにかよくわかりませんがね。

わたしがここで書いてきたことは
二万パーセント
ニホンゴという言語のつかえなさへのディスりです

それはニホンゴを使ってる人へのディスりじゃないことくらいはわかっていただけてた,とおもってました

わたしは,至高と最高の意味を理解してる,

「逃げようとするが〜要は、それに到達できなくても、はるか彼方にある理念だとすること〜終わりは存在することに変わりはない」

と言うことばをみたからこそ,
だからこそ
そこに同調していったつもりです
理解はおなじだなー,と。誠にセンエツながらおもってしまったわけです

まあわたしが書くことはほとんど言いがかり,人をバカにしきってる高飛車な高慢女とうけとられます
もしくは,「批判」ととらえられる。
これはいつもいうように,自分の人格に問題あることはじゅうじゅうwよく理解してますよ

今回ばかりは思いがけない反応でしたがねw

das höchste Gut,
これはわたしの理解できることばでいえばbien suprême
です。

「要は、それに到達できなくてもはるか彼方にある理念だとすること」

最高的善ともしくは至善についてよく説明しつくされてるな,と,おもったからこそ

わたしは

「最もハイ,なのか supremeなのか。
その違いは大きい。 」

と書いたんです

それで,わたしがいいたいことはわかってくれるだろう,と。

以上です。
これで最後に にしますが
カント,ヘーゲルを持ちださなきゃ,哲学語れないのはあきらかに不便ですし


青梗菜さんへ

それと別の論旨で,最後に書いたのは「宗教に支えられた哲学」についてのイワカン満載感

「ナニカ(=限りなくスコラ)に支えられた哲学」

について究極の違和感からわたしは組織神学を専攻してましたがねw。

最終的には,いわゆる「西洋テツガク」って。。
・・・・
それですねw

だからそむいて『莊子』なんです
「西洋テツガク」のまえには,はしなくも文明があったんだ,というのは,
わたしのコンフェッシオとしてうけとめてくだいw

「単純な時系列」です


青梗菜さんのコメントちゃんと読んでなかったw

>僕たちの母語で書かれているからではないかな。

そのさ,母語ってさ,「サイコー,ハイなグッド」,でも「シュプレーム」でもなくね,
自ら到る。とか,此処自(より)至る。
といういみの
體あり,用ある
そう言う言葉なんじゃないかなとおもいますよ。

「我が至りうるところ」,「我が到りうると考えられるところ」

「我にはいたることのできない,とは,イコール存在しないわけでなく、至ることがありうるとかんがえてみること」

これだけの言語的内容を2語程度の 西洋“哲学術語”を 重訳して漢語で暗記していく,この作業が哲学を異様に難解にしてるとわたしは思っていました。

青梗菜のことばはわたしにはわかりやすく,その易しさは母語で書こうとしているからだとおもっていましたね

ちなみに東洋思想や佛敎思想(not宗教)では,至にくわえて止,の概念を付け加えた言葉が「至善,」と言う概念ですよ。「至善に止する」とよくいいますがね。
青梗菜がヘーゲルに進歩の概念が入る,と言うのは、実は究竟そこのことを言ってるんだと思いますがね,そのころにはすでに東洋思想と混浴してほとんど翻訳語に結界がなくなってくる

すると日本語にとってはますます複雑怪奇になってくるw。
西洋の東洋思想理解と言うのはストレートに対訳された理解であって,日本のように重訳ではありませんから。

わかりやすい例は
アウフヘーベンが
「揚棄」ではいいつくされず,ほんとは「止揚」,なんです,と言うのもそこでね。
漢字の「止」という一文字には「至」という字義をそもそも持っていてふくまれるという。
その字相の両義性に着目しないと漢語に訳された哲学用語の義解は不十分になりやすい。

Okiさんがわたしにドイツ語で質問してください,というのはそこでしょう?,
つまり
ドイツ語でわかってる人でなきゃ本質的な批判はできません,と自ら認めてるじゃないですかwそれは
フランス語で理解しててもそれは本質的であればわたしはわかるとおもいますがね
わたしは漢語についての指摘をしただけなんですが
ソコはわかっていただきたいです。終わりにしますが


そういうことです。きっとわかってくれるでしょうけど。さいしょのころにわたしが青梗菜を詩人だ,と,内面の違和感や皮膚感覚
という體もち,用いている,と,そういうことで,それはね母語を操ってる人への憧憬です。ほぼその一面において,のみ,wで,ひかれたんです。ご存知のようにねっわたしはニホンゴ不自由ですからねw土台無理があったことはいなめませんw
  1. 2017/06/16(金) 01:24:32 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

折口信夫が民俗学的な処'女の分類をしてたのを読んだことがありますが…。
それとは別に、聖書を訳すときにヘブライ語のアールマー(乙女、若い女性)とペテューラー(処'女、性'行為未体験)の差違をごっちゃにしたからマリア信仰が生まれたとか何とかを読んだことが…。

一時的な処'女という概念を折口に吹き込まれたあとには、ああマリアは疑いようもなく処'女懐妊したんだな~なんて思ったものです。
子供のいるアールマー
120歳のペテューラー
なんてのもあり得る訳で(笑)
言葉からのイメージは特殊の像を避けて一般的な像を形作り、人はそれを受け取ってしまうという傾向がありますな~♪
イメージや語義が確定している言語なんて無いというのが実情で日本語だけに限ったことではないですな(笑)

>続きます、たぶん

折口信夫の話が続くのかと思ってました(笑)
  1. 2017/06/16(金) 04:23:20 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウイ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ましてやね,
ユウイさん,わたしは象徴や La force de l'imagination のハナシをしてるわけじゃないんですよw

>イメージや語義が確定している言語なんて無いというのが実情で日本語だけに限ったことではないですな(笑)

だからこそ,すべての哲学や論「理」性というのは

語義を確定してすり合わせていくこと,で,共有化できるようにする。それが
究極の,あるいみ, “到達すべき「善」” ではないですか?


わたしは思想と詩が別々に存在を主張し,発展してきたことの
因だとおもっています。

思想は調える,整えることを志向し,
美は乱調を創始するんじゃないですか?
別に返事入りませんがw
  1. 2017/06/16(金) 04:58:47 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

実感、として言うとね。
例えば、「哲学」って単語は、
「哲」と「学」を合わせて作られたとして、
上手いチョイスだったのかどうかは、
僕には、与り知らないことで。

「哲学」は、僕には、
「哲学」で1音節を成していて、
「哲学」で1つのアイコンになってます。
「哲学」は、「哲」でも「学」でも持ち得なかった世界を背負っていて、
「哲学」空間とアクセスが始まります。
「哲学」は、哲学世界や哲学空間と関わることを指し示し、
それを何と呼ぶか、ってのは、どうでもいい。
僕には、どんなネーミングでもよかった。

他人の哲学世界を学ぶ人は、
『「哲学」学者』であり、
哲学空間にアクセスする他人を学ぶ人は、
『「哲学者」学者』です。
なんて文章が読める人なら、
もう「哲学」することを知っています♪
「哲学」くらいに、僕たちの言葉になってしまえば、
使えるんだけどね。

日本語は、使えない。
日本語は、不自由です。
だからこそ、勇気をともなって、
自分の心の内と、外に向ける表現を、
ぴったりと一致させてくる他人に、
自由を感じることができます。

僕は、最高善も、絶対知も、
揚棄も、止揚も使わないな。
たしかに、使えないもんなぁ♪w
もちろん、僕には使う能力がない、
って意味でも使えないけれど。
なんやろねw、
不正直な気がするのよね。
そんな単語では、
不一致感がつきまとう。

Billy Joelが歌ってるよ。
Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

続きます、正直に。
  1. 2017/06/16(金) 12:04:54 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

僕の文体は、柔らかいよね。
クールな見かけで、もふもふですよw。
語彙も平易だから、
中学生でも読めます。
難しそうに装うこともできるけど、
僕は、簡単そうな文体が、
かっこいいと思っているわけです。

言いたいことは、言いにくいことなので、
専門用語や、難しい表現で、偏屈なことを書いたら、
読み手を寄せつけないもの。

僕が、術語を使いたくないのは、
僕の語彙とはコードが違う、ってのが、
理由になりそうです。
語彙を選び、センテンスの長さを揃え、
リズムをキープし、段を組んで、
繊細なんですよ、青梗菜は♪
なにより、日本語が好きなのですね。
ふわふわしていて、かわいいのです。

続く、かもしれません。
  1. 2017/06/16(金) 19:07:08 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>民俗学的な処'女の分類
ふふふw、処'女の分類、って何だよw。
はははw、民俗学的な処'女、って何だよw。

>一時的な処'女
はははw、2週間くらい処'女なのがいいね、
って、そんなオナ禁みたいな話だったのか?w
ベツレヘムではそうなのか?

>折口信夫の話が続くのかと思ってました(笑)
僕の、折口哲夫は、
「折」と「口」の影響を受けて「信」が「哲」に変換した説と、
折口信夫と山折哲雄が混ざって、
折口哲夫になった説も出てきました。
折口信夫の話は、それはそれで続くと思う。
主に、僕の中でw。
  1. 2017/06/16(金) 19:08:12 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

ものを考えるときは、
日本語で考えるよね。
僕の、アウフヘーベンは、
混ぜ合わせや、組み合わせや、
いいとこ取り、なんだと思う。
厳密にアウフヘーベンしたとしても、
その後の思考は、こじつけや、ごまかしや、
支離滅裂や、牽強付会や、
ご都合主義や、お手盛りの称賛や、
一兎をも得ずにつながって行く。
そこだけ、アウフヘーベンとか、
止揚とか揚棄とか言っても、
僕には滑稽なだけ。

母語、で言いたかったのは、
日本語には、資本主義も、
キリスト教も、仏教も、織り込み済みで、
もはや、取り出せないと思ったから。
日本なんて、アジアでもないし、
アメリカでもないし、
鵺(ぬえ)みたいな化けものです。
属国のくせに、強力な軍事力を持ってるし、
こんなの説明がつくわけないよw。
もともと使えない日本語だから、
平気で化けていられるのかもしれない。
  1. 2017/06/16(金) 21:03:13 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

だから古拙だ,と言ってるんじゃん

わたしは,ね,ニホン語をちゃんとつかえてるから,青梗菜の文章を読んでただけなんです。なぜ,青梗菜の文章がわかりやすいか,それをいっしょうけんめい解説してただけですよw

まあわたしの文章はね,ほとんど批判もしくは薀蓄かたり,と。
わたしはわざわざ時間を使って自分の知識をひけらかして歩くバカ,と。
ほぼ全員に思われるでしょうがね,

青梗菜だけはわかってくれてるだろう,と思ってました。

でも時々むっちゃウンザリさせるわたしがいる,でもね,これはあきらめてください,と言うほかありませんし,
ブログにこれだけ書いちゃってる人が,コメント欄もうけてるんですからw。あきらめてウンザリしながら返事書くw。読む読まないはともかく書く書かないはアーサーの勝手ではあるけれども。

わたしはいつでも,青梗菜の記事に反応して書いてる,結構青梗菜のいい読み手だと思ってますよ。

「哲学は吐く」,っ「哲学は疑う」と書いた。そのことについて
書いたんですよ。だから最初のコメントで
「物言う口」とかいたんです。

テツガクは「吐」く
その通り,と思ったから漢字分解して,みせたんです。
テツガクは折る口,でもあるね

何も自分の知識ひけらかしたくて書いてるわけでもないし,そんなのは自分のブログで散々ヤってます。

いつもこの記事を読んで面白いと思うから書くんです。

これからは書きたくなったら自分のブログだけで書くことにしますよ,青梗菜語を引用してきてねw

わたしにとって青梗菜の文章は,ニホン語を正しく使えてる,ほぼ唯一の文章です。だから読むし,わかりやすい。

青梗菜の文章はちゃんとした「母語」ですよ。
最高善も至善もニホン語ではない。
ほんとうに理解した,と自信持ってるひとは,ドイツ語やラテン語で理解してからつかうんです。
「逃げようとするが〜要は、それにいたることができなくても、はるかかなたにある「・・・・」だとすること〜終わりはあることに「・・・」はない。疑いえない終わり」,こう書きかえてみせることができる,ひとはねw

これこそ母語ではないですか?
なぜなら使ってる人がドイツ語でなきゃわかりませんよ,といってるじゃん?
そんなドイツ的思考で,もの考える,わかってる人でも,ニホン語で説明してみて「・・・・」と「・・・・」は。
ニホンゴには,ないんですねwwという限界。

それを「困難」ではあるけど母なることばで説明していくのが,ほんとうの母国におけるテツガクではないですか

青梗菜はそれを少なくとも実践しようとして,かなり成功してる,とおもうからこそ,
わたしは,その文章にときどき残ってしまってる『漢語』にね,いつも違和感を感じて,それをヘイトするんです

こんなにニホンゴを難しく感じてるわたしほど,また,こんなにニホン語がすきなひともいないとおもいますよww
ニホンゴのみのテツガクってね

凡百ブログがあってもジツはひとつもない。

みんな最高善とか,揚棄とか善だの美だのと平気で使う

美は何ですか?対義語は何ですか?
ときいたとき醜だ,というンは西洋哲学をまったくわかってない。
テツガクにおける「美」は日本語の言う美しきもの,あはれ,ではなく美醜をいうことばではないこと,此れスコラぢや常識ですね。
なのに日本ではなぜか「美」と言う哲学用語がいまだに横行する。
「ゼッタイゼンシン」にいたっては,なんのことかさっぱりわかりませんよwwそのハンタイは?相対の惡止ですかwと


毎回毎回,ちゃんと青梗菜の記事のどこにどう反応してね,と書くのがめんどくさい,ただでさえ長いコメントがさらに長くなるからことさら書かないけど,まじめに反応してただけだったんです。

わたしがおかしいんでしょうがね。人の文章讀んでも
「今あなたがつかった「善」の対義語はなによ,惡ですか?
でも,漢語の惡の対義語は好,ですよ」

とおもうと,もう,意味が取れなくなるww。
奈落におちこむんですよwwわたしの理性がw
青梗菜の文章は,読んでても地獄を見ない。安心して讀めるw

最高善て
到りうるか至るかわからんがそこにあらねばならん「よき」こと
です
英語圏では最高的ハイとかホッホのグッドとかいう,でも本質はシュプリームなんですね,最高裁の本義は,高貴なではなく,最後にいたる裁判所,その出した結論がサイコーか,サイテーかw
そういう価値はヒトによって違うけれどもwどんなクソな判決でもそこが
シュプリームであることにはかわらん。と。

テツガク語としての『最高善』はね,平易な言葉でいえばもともと,ドイツ人にとっても,中世は “Summum bonum” だった。なんですよ,神聖ローマ帝国の時代はねw,
ところが後世,別の最高善がでてきてねw,
ドイツ語という哲学の田舎だった時代の言葉が言うところのhöchstes gut,は,晴れて,Höchstes Gutになった,新しき,ドイツの哲人の固有名詞を冠した特別な用語です。

厳密な明治の文人の漢語は,最高的善と至善といって” 区分けする” ,このハイ,とシュプリームのちがいには「到達できない」。と言う意味がはいりこむかどうか。ということで。

ヨーロッパにもね,大昔にテツガクには平易な言葉があったんです。と。それが,ヨーロッパのすべての言語の語幹をなす,じつは,ラテン語がもっともそれwにちかいんです,

ラテン語と日本語の平易さはね,おどろくほどにてますよw
古拙であり,中学生にもわかる。
ラテン語が難しいというのは,色んな外国語が混在するようになった後世の英語系語圏やラテン系語圏の交流の結果です。逆に現代のコトバが蓄積したフクザツな脳みそには,わかりづらくなるけど,

古拙のコトバです。語彙も意外と少ないしw

平易な日本語というのはね
漢語やナニナニ用語,術語を排したひらがなの文はね,

案外ラテン語に非常に近い。

たぶんアンパンマンのうた,わたしこれだいすきですがwその深さはね
ラテン語になら翻訳できますねw

母語によるテツガクを,確信犯でもってゼッタイつづけてってください
  1. 2017/06/17(土) 05:09:03 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

誤謬,には必ず原因あるよねw

>折口信夫と山折哲雄が混ざって、
>折口哲夫になった説も出てきました。

あははw
むかしさ,ジョニーウィンターとマウンテンはじめて一緒に聞いたとき,
(同じ廉価盤のシリーズで音源が発売されてさ・・・顔とスタイルの情報が極端になかったんだ!昔はw)

か細い繊細な声で歌うのが痩せた白子,野太いシャウトがプロレスラーみたいなデブの巨漢と

間違えてたことあるよw

ナンタッケット歌う美声はアンドレザジャイアントではいかん,というわたしのおろかな思い込みでした

以上
  1. 2017/06/17(土) 05:35:12 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>青梗菜だけはわかってくれてるだろう,と思ってました。
はははw、あと2、3人、理解者を作ろうよ~w。
僕だけなら、僕が心細いよ!

>わたしはいつでも,青梗菜の記事に反応して書いてる,結構青梗菜のいい読み手だと思ってますよ。
はい、皆まで言わないところを、
拾って展開してくれます。
検閲をスルーした反戦詩のような届き方をします。

>これからは書きたくなったら自分のブログだけで書くことにしますよ,青梗菜語を引用してきてねw
ふふふw、ありがとうございます!
面倒くさいから、いちいち引用は示さないでください。
玄さんは、僕と同じことは書かないもの。
同じなら、書く気なんて起こらない。

>こんなにニホンゴを難しく感じてるわたしほど,また,こんなにニホン語がすきなひともいないとおもいますよww
でね、日本語が好き、って言った後には、たいてい、
日本語の乱れとか、美しい日本語とか、そんな説教くさい文脈になるよねw。
正しいことを言ってれば、反論されないけど、
反論されないようなことを言うのに、正しさはいらないわ。

僕は、今、
こんなのをやりたいな。
たったの7行で、
読み手をどこかに連れて行きたい。
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1077.html
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1078.html

出来損ないでも、
自分でやらなきゃなぁ。
カントもヘーゲルも、
僕の代わりにはやってくれない。
  1. 2017/06/17(土) 12:41:28 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

>か細い繊細な声で歌うのが痩せた白子,野太いシャウトがプロレスラーみたいなデブの巨漢と
はははw、そうでなきゃ、世の中の秩序が保てない。
そうでなきゃ、世界が壊れるw。

僕は、子供の頃、
「前川清」を「内山田洋」と、
「高橋真梨子」を「ペドロ」と呼んでいましたよw。
自分で言うのもなんですが、僕は利発な子供だったので、
「敏いとうとハッピー&ブルー」という名称を聞いても、
もう過ちはくり返しません。
もう知っています、リードヴォーカルは「敏いとう」ではない。
断言していい。
リードヴォーカルは、
「ハッピー」さんか、「ブルー」さんの、どちらかでしょう。

>言葉からのイメージは特殊の像を避けて一般的な像を形作り、人はそれを受け取ってしまうという傾向がありますな~♪
僕たちは、自らの経験を基に、
強引な推量を働かせます。
主に、自分の中だけで。
  1. 2017/06/17(土) 12:42:49 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

こっちは、玄さんのこと知らないで書いてたからー。
ちょっとすいませんが、玄さんのブログって、どれか教えてくださいな。
明日は、父の日、青梗菜さんも良い休日を!
  1. 2017/06/17(土) 19:02:30 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

怒ったらね、二、三日寝かせる。すると、自分の悪いところが見えてくるもの。
今は、玄さんと対話したいと。人間だからお互い間違える。当たり前。間違えたら謝る、それで終わるもの〜。
  1. 2017/06/17(土) 19:07:39 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

楞伽案前, 楚辭肘後
http://lengjiaqianchucihou.blog.fc2.com/

なんて読むのかは知らないが、
今さら訊けない。
qinggengcai、ってのも読めないけどね。
楞とか、辭とか、
客が来るのを拒んでるよなぁw。

中島敦の『狐憑』が載ってる。
おもしろい、すぐ読める。
巧いね、中島敦。
旧字で読みにくいから、青空文庫に行ったら、
そっちも旧字だったわw。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/618_14528.html
  1. 2017/06/17(土) 19:49:37 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

うん,あの空の詩は読んでるよ,わたし。
清冽な詩だな,とおもってましたよ
明るいし。この明るさは,文明,と言うトキの明るさで
対義語はネクラではなく蒙い,ですw

“認識” の手際の悪さをそのままあらわしてる,哲学だなあ,とも。
でも
ちょっとすかした奴かもしれないぞ,ともおもったんだw,
でも次の詩で
笑った。やっぱりずれてるとw
だからテツガクポエトとキメツケたんだよねw

言い方違うかもしれないけど
自動筆記的なとHajimeさんのとこでたしか書いたのはこれを読んでだったとおもうよ,いやわからないこれじゃないかもべつのかもしれないけど

詩はさ
論理的堂々巡りは,詩においてはね必ず強引に決着つけられる。その意味で詩の構成としては成功率は低いはずなんだけど

でもだから詩なんじゃないですか,と。

連作で,拾いこんで段段変遷していく詩,という作法はあり,作用も生じるけれども,
ヒトのイメージを取り込んで形を変えてるふりをしながらだけれども,「収斂させるべき」責を任じている體は移動してはいないでしょう?
いつもね
青梗菜はね,もやもやで終わったっていい,と言うフリをしながら,心の広いフリをしながら,
けっこう,我が強い詩だよね,わたしはそう思って読んでます,
「自分の認識がもやもやである」ことを,強烈に主張してるじゃないですかw
それはソノジツ最初の自分の「認識」のもやばかりか,立ち位置を際立たせてる,ということですよ,煙幕はっても詩人は雲隠れしてはいけないでしょw

どこで書き手が見切りをつけられるか,そのキワいかんで,ただの認識のダダ漏れか,詩か,生命を分ける,とおもえば

わたしはねジツはね,
詩は,読み手が自由に読んでいい,という,読み手の作法はね,本質的な疑問,ラディカルなイキオイで疑いを持ってます。

詩人がそんなにものわかりがいいひとなわけないですね,と、読み手は考えるべきでねw
ニホンジンの詩の読み手は結構傲慢で,どう讀んだっていいんだ,と,ひらきなおりですかね,
テツガクなんて信用しない,と言うのもかなり近いし。

とりわけ象徴詩は,そう言う作法でなければならないような,雰圍氣が日本の読み手にはある,

あるけれどもはたして,読み手のバラバラの幻視が湧出してしまう「詩」は, “特定” の體ある詩人の詩だろうか?と
つねに疑いを持っています。

もちろん,詩人はこう読んでくれとゼッタイ言ってはいけない。
いけないけれども,そして皆がおなじイマージュをひろうことはない,あったらそれはそれでダメな詩なんですが。
でもね,それでも
詩人はね,詩の素材屋ではないんです。と。

「わたしがイメージする」,という動作は自由,であるけれども,
イマージュのもってしまう力,作用,といっていいかもしれないけれども。「ポエジー」といってもいい,

それはね,「自由」ではないです
解放されず,そこに,あらねばならない,それが「力」ではないですか?とおもってます,ほしいままにふるまう「權」ではないですか

ぶつけられる石ではなく,ぶつけられる權であり,ぶつけるためにある石。
それが詩ですねw

詩の力は乱調の石ころから生まれるんです,ということも言いたい,調和がもともとないのに,乱調はしょうじませんし。ただの乱ですからw

青梗菜流にいえばリズムもコードもキマってかっこよく調和するのが詩,ではあるけれども,その調和や和声音をきわだたせる,渋いテンションコードみたいなものですか,

テンションノートだけはね,わかってくれないとこまるんだけど,という厳しさも必要ですよね,それがなんなのかは,音楽理論的には説明できなくても,ジミヘンコードのかっこよさはわからなきゃいかん,という
ロックはテンションコードなんていらない,というかっこよさもありだけどw,でも黒人はテンションコード使えなきゃださい,みたいなのが,かっこいい

誰にとってもバラバラのイメージや認識でもいいけど
詩の祖形はやはり,諧調ですよw。わたしはそう思います。
そしてね,諧調とはね「わかりやすさ」のことなんですね,
たとえ象徴詩であっても。ダダでも諧調があり,而して乱調がある,
そこに,乱調を生じさせていく必要があるんです,と
最前衛は古拙に始まり古拙にあきたらずとどまらないから前衛,におしだされると。
古拙にとどまりひねくれるのは・・・なんというのかなw
  1. 2017/06/17(土) 20:57:32 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

りょうがあんぜん,そじちゅうご、
ですよ。
もちろん僕は知ってましたけどね♪w
発音は、
léng jiā àn qián,chŭ cí zhŏu hòu
  1. 2017/06/17(土) 22:47:36 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、宛名が私を指し示す場合、返事しないという選択を私はしないのですっ(笑)

>語義を確定してすり合わせていくこと,で,共有化できるようにする。それが
究極の,あるいみ, “到達すべき「善」” ではないですか?

それは私に「バベルの塔」想起させます。
「善」の対義語として「悪」が据えられているので、語義の差違が大きくあるのは果たして「悪」なのか?ということまで思い到ります。
「悪」の語義とは?

エスペラントのような国際語は、擦り合わせを端折って、語義の共有化への到達を目指したのかどうか…?
もし、それが「善」であったならば
私は何故にエスペラントを使えないのか?
私は善を志向しないのか?

「クオリア」があったとして
人間が個々の感覚を間違えることが出来ないなら差違があるのは当然であるため、
語義の共有化とは、スピでいうところのワンネスに近いものだと思えてなりません。
これは思想でいうなら全体主義。

調える、整える…それはいずれ全体主義を目指すものなのでは?
詩が乱調を創るのは、語義の破壊と再構築を志向するのでは?

言葉としての「詩と思想」に共通するものがあるとすれば
語義を革命することなのかも知れないですが♪

近頃多忙でして返信が遅れて申し訳ないですm(__)m
  1. 2017/06/18(日) 04:14:35 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウイ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

こんばんは。わたしはね,

“テツガク” と論理は,イコール人閒の持ってる “カノン” のようなものを「一つの言語」に統一するとはマッタク言ってません。

おなじ場所に生きる人々が,ことばの同じ意味を “供” に “倶有” する,これは,そのひとびとが生きる特定の大地において, “自,在” するあらゆるものの意味を, 「一 “ 時” 的」に限定する “いとなみ”ではないか
とおもっています。

一つにする,同化させる営みとは言ってませんよw。
だから整える,と言う言葉を使ったんです

ワンネスについてのわたしとあなたの共有する概念を,たとえばすり合わせるとしたらそれは,この場においては,ととのえることになりませんか?
「整える」と,「一致」もしくは「同化」はイコールではあっりっませんよねw意味を共有しても
たとえば,わたしは,あなたに同化は致しませんよ,わたしはw
わたしにはわたしの主 “体” がある,あなたの客体がある,ふたりの一時的に及ぼす造作,作 “用” を,共有するにすぎません

調える,がなぜ同化になるのか,そこに言語理解の奈落はありやしませんか?

調,整,和,は,同ではなく,一,ではなく、全,ではありません。
としか言えません
「すり合わせて意味を確定させる」が,なぜワンネスなんです?

すり潰して一色にする,とでも言ったならそりゃ全体主義ですよw

整える,諧調,これが,ひとびとの和をもたらすに案外役立つね,といってるんです

それは思想でもそうだし,詩についてもそうおもっています,その乱調と諧調については青梗菜にはお伝えしました

・・・・
乱す,の概念と乱調は違います。毀す対象が違います。ということです

“ことば” がそれぞれ “持って” ゐる。
具有するイミのうち主たるイミが共有化され,
いつしか, “ほぼ” 固定化された意味を持ち始める,その概念化された意味が,共通であることを, “土台” として,
論理をかたちづくり,そのかたちづくられた論理は,その土台上に住む人々の形成する “場” において,一時的な規範となるんじゃね?
その規範は,法と呼ばれたり民族の理念といわれたり,国民国家と言われたりする。こともときどきあるね,と。

でも, “カノン”はあるね,なんとなく, だれかさんがいう,「世界意志」ということば,これなんですか?とw。

と言ってるにすぎません。

善についてはね,
「到達するべき “善悪といわれるうちののうちの一方の善” 」とはねわたしは言ってなくw,
今,この何日間かブログ上で話題になってる “シュプリームな「善きこと」” ,といってるんですwここでの経緯に,あらわされた “善”

善の意味はいろいろあります,漢語の善も,bonumもw
善の對義は惡であるときも,稀にありますね,と言うことしか,いえません,わたしは。色んな意味があります,だから

 >わたしがおかしいんでしょうがね。人の文章讀んでも
 「今あなたがつかった「善」の対義語はなによ,惡ですか?
 でも,漢語の惡の対義語は好,ですよ」
  ?
 とおもうと,もう,意味が取れなくなるww。
 奈落におちこむんですよwwわたしの理性がw
 青梗菜の文章は,読んでても地獄を見ない。安心して讀めるw

 >最高善て
  到りうるか至るかわからんがそこにあらねばならん「よき」こと 」でしょ,


と。

ユウイさんに書いた後,そのあと青梗菜さんに向けてですから,おそらくお読みでないと思いますが
こう書いたんです。
善にはいろんないみがあるけれども,どの善ですか,?

いやwそもそも最初のこの話題の発端は「最高善」てなにか,だったはずです

その最高で躓いた。ハイなんですか?シュプリームなんですか?と

さらに言えば善。
漢語の善には,吉祥の意味も,佳い,良い,ゆるい時間,長い絲
美しき羊,の意味さえもありますw
アニエスですよwww

字解をすればわかりますが古義は羊の “口”より発せられるもの です
「善」というカンジがそもそも持っている意味です。

東西の象徴,とはね,ジツはかくも似通っているのです

象徴,というのはね,東方西方正方とわずw東洋西洋とわず,古代にあった象徴のエレメントはね,案外共通なのです。


それを全体主義だの同化だのといってしまったらw

時系列がそもそもちがいませんか?


古代紀元前200年には「善」というカンジにはこれだけ多くの意味があった。
わたしは bonum,これが漢語に翻訳されたところの『最高善』と言う言葉を安易に使うけどさー,とディスったんですよw


それだけのことですよ,

“塔を建てる” は,寓意ですが,仮に労働者としてみたらに皆が同じ言葉をハナシてりゃ効率がいいですよ,天から見りゃそりゃあ、ゼンタイシュギかよ,こえーなとおもうだろ,w

地上から見たらみんなでおなじことばで頑張りゃ「到達できる高み,びあんしゅぷりーむ」だぜっ,みんなでがんばりゃいいことあるだろ,てなもんでようか?www

でもね言語の発生にはこの「効率」をぬきにしてはかたれませんよ

バベルの塔というのは古代アシアマイナーのという小世界の現実からでてきたごくごくシンプルな物語ですね,
そこにアブラハムの宗教が肉付けしていった。

そのアシアマイナーの大地の現実は,今の言葉でいえばいわゆる,国境地帯だった,というにすぎません,河がたまたま三つも集まった肥沃な大地です

争いがあればコックピット,となる,たまたまおだやかな和やかな時間が流れてりゃそこは活力ある交易市場であり,知性の循環があり,詩歌が栄える。

いにしえの大地には。叡智への渇望もあった。,詩歌の発生があった

人が言いたいことがあったから言葉が徐々にかたちづくられた。
声音のハナシです。
乱調の前には、ジツは諧調あり,です,効率と心地よさを求めた結果 “歌” がうまれたし,会話はスムーズになった。歌や伝承は少なくとも “波及”という作用を及ぼす

一方,文字。書かれる必要,必然。があってはじめて生まれた。書かれるとはある意味で残す,ですね

さらに一方,太古に「漢字」という文字を作った人は,瘖,だった,という伝説があります。啞(おし)のことです。
「疒」に音と書いて「瘖」,昔は日本でも使われたことばですがね,訓読みは「おしだまーる」

やまい,と言う “不自由” の枷,架から,治癒されるためにあるもの,
それは “よき” こと,ではないですか?


>語義の共有化とは、スピでいうところのワンネスに近いものだと思えてなりません。
>これは思想でいうなら全体主義。


いつの時代でもテツガクは語義を確定して
いく作業に大半をついやされませんか?我我のこの数日間のようにww

わたしはテツガク,思想と言う,限定された青梗菜詩のテーマからそれないように書いてます

あのね,青梗菜の詩ひとつについて思うところを述べるのに,相当丁寧に時間をかけてるんです

エスペラントについて思うところ有りますよwそりゃいっぱい。
それこそ,テーマは限りなく深く広く茫漠としている。言語の発生からコミンテルンの野望と失敗までw
それハナすんですか?時にわたしはそれ話して青梗菜うんざりさせますが,
青梗菜の許可があれば構いませんケド

わたしはどちらかと言うと左巻きですから,コミンテルンから過去へ深堀りする話になってしまいますww。

テツガクの古拙のハナシとはつながってはいるけれども,
ずいぶん桁違いのちまいはなしじゃないですか?

「最高善」ひとつ3文字ににこれだけ時間をかけてなお,わたしたちは,ろくすっぽ意味を特定できないじゃないですか,

ほとんどわたしが書いたことの意味,さっぱりワケわからんのじゃないですか?

青梗菜とは多少これまでの対話の蓄積があるから,ずいぶんはしょって書いてるけど

この意味を特定していく作業はすくなくともテツガクの一端ですね,すくなくとも。

それだけのことですよw。

詩については,とうていかたりつくせません。

これで終りです,Fin.つまり,しゅぷりーむwです
至るべきとこまで至りましたw
広がり続ける乖離に,ね,砂ツブを埋めてくのはどうもめんどうですwそうなれば石をぶつけあうことになりませんか?それはしたくありません
  1. 2017/06/18(日) 07:22:34 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

僕は、法律学科でね、
80年代前半に流行った、逃走論、構造と力、チベットのモーツァルト、
なんてのを、数年遅れて読んだのが哲学との出会いです。
どこの本屋にでも並んでいた本ですね。
受験勉強は得意だから、
宅建、行書、FPなんかを取って、
今もそっちの仕事をしています。

体系的に、というか、
パッケージになっているというか。
法律でいうと、民法を学ばずに、
不動産登記法や民事訴訟法を学ぶ人はいないわけで、
そういう意味では、
僕は、哲学の基礎がないのです。
その代わりに、哲学なんて解りません、
知りません、っていう基礎があります。

例えば、最高善、って文字列を見れば、
基礎のない僕にでも、なんとなく解かったふうにはなれます。
僕は、自らの経験を基に強引な推量を働かせます。
主に、自分の中だけで。
そして、僕の中では、最高善、がどこかに在ることになっています。
言葉、というのはそういうものです。

okiさんが、教えてくれた、
>それに到達できなくても、はるか彼方にある理念
その説明で、やっと僕は、
最高善、がどこにもないことを知るわけです。
捉えたら、すぐにすり抜けて、後退してしまうような、
最高善、が表現している抽象度の高さを知ります。

僕の、解りません、知りません、って基礎は、
僕から、最高善、という語彙を排除します。
どこにもないものを語彙には加えません。
その代りに、
>それに到達できなくても、はるか彼方にある理念
という説明を、okiさんから仕入れて、
そっちを僕の語彙に加えようと思うのです。

そこを端折ると、思考が止まる。
まだ知らないことが、分かったことになってしまう。
僕の、解りません、知りません、って基礎は、
思いのほか強固ですw。
自分に分かったふりをさせない、
分かっていない知識を、
分かったように扱わせない、
それは、スピに対するメッセージで、
ここ何日かで書き投げてきたあれこれの結論ですが、
同時に哲学にも届くと思うし、
哲学に届かなきゃ、僕には書いている意味が抜けてしまいます。
僕は、スピを宛先にしてませんから。
スピに対して言いたいことなんて、
実は、一行もないw。

続きます。
  1. 2017/06/18(日) 12:08:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

詩論、に行ってるよ~w。
僕には、僕の書いたものは、
ぜんぶ詩であってほしいから、
もっと文章の丸ごとになりそうですよ。
詩もコメ欄も、ぜんぜん変わらない。
構えがないもの。

    詩論に向かうのなら、
    僕には、僕の書いたものは、
    すべて詩であってほしいから、
    書かれたものは、テクストとして、
ってな感じになるだけですw。

>あなたが正しいとは何かを知っているなら、賢い。
>しかし知らないならバカだ。

>絶対善進さん、こんにちは。
>逆だよ。
>絶対的な正しさを知っている、
>なんて人は、 相対的に馬鹿だもん。

ふふふw、絶対善進とのやり取りでさえ、
修辞で遊んでるw。
5分で返コメをつけたとして、
そのうち4分59秒は、詩を作ってます。

続きます。
  1. 2017/06/18(日) 14:55:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

詩、というのは、
こんなもの。
http://ameblo.jp/shinwood/entry-12281679767.html

散文、というのは、
こんなもの。
http://ameblo.jp/shinwood/entry-12280525829.html

そんなふうな、
らしさ、ってのが僕にはない。
詩も、哲学も、ほかの散文も同じ、ってのは、
使い分ける技量がない、ってことだけど、
もしかすると、変てこなことですよ。
ささやかな狂気が、
はびこっている気もしてくるなぁ。

続く、かもしれません。
  1. 2017/06/18(日) 16:36:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

ワロタ

とつかかよw
  1. 2017/06/19(月) 06:20:38 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>玄さん、宛名が私を指し示す場合、返事しないという選択を私はしないのですっ(笑)
はははw、僕が笛を吹いたときに、
ユウさんには、何度も踊ってもらいました。
留守にしたときに、
コメ欄を丸ごと任せたこともありますよw。

全体主義、と呼ぶのはあれだけど、
っていうときの「あれ」は、
ユウさんも解っているけれど。
どこまでを全体とするのかで、
全体でもなんでもなくなってしまう。

スピは、スピを認める人を寛容な人、
認めない人を不寛容な人と呼びます。
狭量だとか、心が貧しいとか。
スピ族、って括り方をすると、
とんでもない狭量さw。
でも、スピ族は寛容な人たちで成り立っています。
スピを認める人たちを、寛容と呼ぶからです。

スピ族は、ワンネスなんていうけれど、
ワンネスは、スピ族の問題ではなくて、
ワンネスを所与としない、
例えば、哲学族の問題ですね。
  1. 2017/06/19(月) 13:58:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

ってことで、
詩論は、ほとんど、青梗菜論なのです。

>うん,あの空の詩は読んでるよ,わたし。
あ、でしたか~、あざ~す!

>ちょっとすかした奴かもしれないぞ,ともおもったんだw,
そうそう、分かるわ~w。
読み返すと、技巧をもてあそんでる感が気障りです。

>でも次の詩で
>笑った。やっぱりずれてるとw
でしょ?w
笑うでしょw。
大まじめで、すごい馬鹿なんだな。
詩というには、正直すぎる。

>詩は,読み手が自由に読んでいい,という,読み手の作法はね,本質的な疑問,ラディカルなイキオイで疑いを持ってます。
言いますね、それ。
僕も、言います。
読み手が詩人です。

読み手が詩人、ってのは、
都合がよすぎるけどね。
なんだかよく分からない詩を、
お互いにほめ合っているうちに、
詩人たちでしか交換し合うことができない言語表現に陥った詩、
そんなのは、必ず、読み手が詩人です。
それって、もともとよく分からないから、
何かのフロックで詩になったりしますよね。
読み手が詩人なら。
読み手との共犯関係によって、
主犯にさせてもらえるような。

>「収斂させるべき」責を任じている體は移動してはいないでしょう?
読み手には、譲り渡せないよ。

>青梗菜はね,もやもやで終わったっていい,と言うフリをしながら,心の広いフリをしながら,
けっこう,我が強い詩だよね,わたしはそう思って読んでます,
ふふふw、読み手は自由に解釈してよろしい。
自由に読めなきゃ、詩ではない。
不自由な詩は、説教くさい散文か、請求書みたいなものです。
しかし、ある定まった解釈をしないと、詩にならない。
僕は、これは詩ですか?って読み手に訊いている。
僕には、これを詩にしてもらえますか?って願いがある。
形容詞や、オノマトペは、すべて排除した。
感情的には、どこにも誘わないぞ。
まったく自由に読んでくれ。
自由に読む、にも関わらず、
ある解釈に至れば、読み手は詩人だ。
共感、ってのは、
そこに生まれる。
  1. 2017/06/19(月) 14:05:33 |
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  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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玄さん、こんにちは。

>とつかかよw
揃えてくるよね~。
調和している。

見事に揃ってるわ。
フォーカード、
あるいは、四暗刻くらいのお見事さ。
  1. 2017/06/19(月) 19:16:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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まず謝罪を。

ユウイさんへの返事ね,わたしの,あれひどい。ホント申し訳ないと思ってます。ここの主人にもユウイさんにもあやまります。もうしわけありませんでした

ムチャクチャ書いてますね。いま読み返して。
言い訳するとあの朝は相当酔っぱらってたんですあたし。

久々に。高い酒もらってwうれしくて深酒して,そのうえここきてさw
なんかいっぱい言葉をかけると思うとw楽しくなっちゃって歯止めが利かなくなりましたw
PCはさ,酔っ払いにはやばいよ,喋ってるのと同じで
ほんともうしわけなかったです
機会があったらお伝えください。反省してますと。

すみませんでした。m(__)m


・・・・

ことばは,いつもね,浮んでますよね宙に
青梗菜はそんなにいい人に見えない割にものすごくコミュニケーション能力すごく高いからw。

人と人の間に浮かんでる言葉をね,捕まえるのがうまい。
ニホンゴが上手なわけですよね。

確かに形容詞はそこらにただよってない。
形容詞は口に出されやすいから。
みな,たいしたこといわないしw

成仏する。

日本語のね成仏できないことばたちがね,
そこらへんを無数に漂ってます
それを拾い上げて書かれてるようなそんな錯覚を持ちますね
青梗菜の詩は。
  1. 2017/06/19(月) 20:33:23 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
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成仏できない魂も無数に、あちこち漂っている気がするのは偶然でしょうか〜。
ある人は、亡くなった息子さんと再開した。それは、「心霊上の事実」です。
そこから、その人の哲学が始まった。これは、スピとは違います。
「その人」は有名な作家、誰かな〜。
  1. 2017/06/20(火) 05:02:06 |
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  3. oki #-
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玄さん、こんにちは。

>青梗菜はそんなにいい人に見えない割にものすごくコミュニケーション能力すごく高いからw。
この文に含まれる、そんなにいい人に見えない割に、
ってのは、必要なのか?w
少なくとも、構文としては、なくても読めるぞw。

>人と人の間に浮かんでる言葉をね,捕まえるのがうまい。
あざっす~!
そんなのを、温かい人、ってふうに、
短絡しない冷たさはあるけどね。
青梗菜はそんなにいい人ではなくて、
人と人の間は遠い、っていう冷たい前提があるのよ。
人と月の間よりも遠いんだわ。

今夜擧頭唯見月、讒知最遠是人間、
今夜、頭(こうべ)を挙(あ)げて
唯(た)だ月を見れば、
讒(わず)かに知る、
最も遠きは是(こ)れ人間(じんかん)。
―― 十一日夜坐/易順鼎(えきじゅんてい)
  1. 2017/06/20(火) 10:45:31 |
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  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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okiさん、こんにちは。

>成仏できない魂も無数に、あちこち漂っている気がするのは偶然でしょうか〜。
偶然というか、
あちこち漂っている気がするものを、
成仏できない魂と呼ぶのなら、
記述する対象が循環します。

>「その人」は有名な作家、誰かな〜。
誰だろうね~。
柳田邦男かな、
民俗学ではないほうの。
  1. 2017/06/20(火) 10:52:34 |
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  3. 青梗菜 #De6CjWPI
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