馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 6/x


        自分にとって、それは、直ちに、
        忘れるべき説明に成り下がる。
                そこで、思い出したのは、
                『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の「都機(つき)」。

心月孤円、光呑万象。
光非照境、境亦非存。
光境倶亡、復是何物。

        以下の20行は、読まなくてもいい。
        読んでも、たぶん、解らない。
                解るように書かれていないから、
                解るほうがどうかしている。



盤山宝積(ばんざんほうしやく)禅師云(いはく)、
「心月孤円(しんげつこゑん)、光呑万象(くわうたんばんざう)。
光非照境(くわうひせうきやう)、境亦非存(きやうやくひぞん)。
光境倶亡(くわうきやうくまう)、復是何物(ぶぜかぶつ)。

<心月孤円、光、万象を呑めり。
光、境を照らすに非ず、境亦(ま)た存ずるに非ず。
光境倶(とも)に亡(まう)ず、復た是れ何物ぞ>」。

いまいふところは、仏祖仏子、かならず「心月」あり。
月を心(しん)とせるがゆゑに。
月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。
「孤円」といふは、虧闕(きけつ)せざるなり。
両三にあらざるを「万象」といふ。
万象これ月光にして万象にあらず。
このゆゑに「光呑万象」なり。
万象おのづから月光を呑尽(たんじん)せるがゆゑに、
光(くわう)の光を呑却(たんきや)するを、
「光呑万象」といふなり。
たとへば、月呑月なるべし、光呑月なるべし。
こゝをもて、「光非照境、境亦非存」と道取するなり。
―― 正法眼蔵/都機



        道元は、底意地が悪い。
        こんな説明では、僕は解らない。
                よく解らないことを、
                理解しているかのように扱えば、
        それで思考は終わりになって、
        解ったふりだけが上手くなる。

                端折っていうと、
                見る者と、見られる者が忘れられた世界、
        見る主体と、見られる客体が、
        亡くなった世界、
                光や心と、境や法が、
                ともに亡くなった世界、
        「光境倶亡」とは、
        主客の対立が消滅することをいう。
                そんな世界があるのかどうか、
                それは、さておく。

        問題は、「光境倶亡」について語ること。
        問題は、そんな世界を説明するときには、
                まず、主客を対立させなければ、
                説明できないことにある。
        言葉で「光境倶亡」を説明しようとすれば、
        主客を分けることになるから、
                それは、直ちに、
                忘れるべき説明に成り下がる。

        復是何物、復た是れ何物ぞ、
        その答は、得意而忘言、である。
                吾安得夫忘言之人而與之言哉!
                夫(か)の言を忘るるの人を得て、

                之を言わんや。


  
正法眼蔵 二/道元 著、水野弥穂子 校注、
1990、岩波文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年05月18日 19:07 |
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