馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 2/x


意味が解って説明を忘れる。
忘れていいとか、
悪いとかではなく、
それで当然だ。
それが理解ということだ。

意味が解った、ということは、
意味を教えてくれた説明を、
忘れることだ。
さらには、もう説明は要らないから、
忘れろ、ということだ。

意味が解った、ということは、
自分の言葉になった、ということだ。
誰かの説明を借りてこなくても、
問いに応じて、
自分で説明できるだろう。

さらには、もうパクりはいいから、
自分の言葉で語れ、ということだ。
誰かの言葉を聞いて、
自分の言葉に着地させる、
それが理解ということだ。

意味が分かれば、
上手く言えるのではない。
意味が分かれば、
上手くは言えなくなる。
自分の言葉で語り始めるから。

何年も、何十年も、
荘子を読み込んできた人たちには、
怒られそうだけれど、
荘子を読んで、4日めの僕が言い切る。
ゆえに、「得意而忘言」の、

正解率は、1%に満たない。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年05月13日 18:30 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>意味が分かれば、
>上手く言えるのではない。
>意味が分かれば、
>上手くは言えなくなる。
>自分の言葉で語り始めるから。
そうっすねえでも、理解が浅い?から、上手く言えないのでは?理由:わかったと思っていても、質問に答えられないといううことが、ある為。m(__;m
  1. 2017/05/13(土) 22:33:32 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

僕には、上手く言えないことのほかに、
言いたいことはありません。
上手く書けないことのほかに、
書きたいことはありません。
荘子も同じ気持ちだったと思います。
  1. 2017/05/13(土) 22:58:12 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

言いたいことがある,なお言い尽くせないものがある,
言いたいことは,そもそも言い得ないから言いたいこと。


このジレンマとパラドクスにきづいてるひとは,『莊子』はわかりやすいはず。

それがまんまと実証されたなー)^o^(

というカンジw

シツレイシマシタ
  1. 2017/05/14(日) 01:26:31 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

吾安得夫忘言之人而與之言哉!
言葉を忘れることができる人を得て、
得意而忘言、と言いたい。
荘子はそう書いています。

だったら、荘子について書くのなら、
宛名は、荘子になります。
荘子に宛てて、
ここにいますよ、って書かなきゃ!
こんな僕でもいいですか?
って書かなきゃ!

反感を買う文章ですよねw。
なんにも知らないくせに、自分が正解で、
自分以外はみんな不正解かよ、ってなります。
全体では、何が書かれているのか、意味が取れなくても、
誰にでも読める部分で反感を買いますね。

自分の言葉になる、とか、
自分の言葉に着地させる、とか、
荘子に宛てて書く、とか、
外側の言葉を回している、とか、
内側から外側に問う、とか、
そんなのは、いくら努力しても、
分からない人には、分からないと思います。
もちろん、分からなくてもいいのですけど。
自分の言葉なんてのも、
すべて他人から教わった言葉ですから、
語義矛盾みたいなものです。

>言いたいことは,そもそも言い得ないから言いたいこと。
言葉を忘れることができる人を得て語り合う、
そこにあるジレンマとパラドクスを、
99%のサイトは、すっ飛ばしてる!
  1. 2017/05/14(日) 10:34:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

丁度今,わたしも同じようなこと書いてましたw
時空を超えて,東西を超えてなおある。

自與他之言哉!

得 “意” 。

の いみ,

それを
言葉にする,
そのためにあるのが「言」。言を用いて初めて「会話」がなりたつ

それが漢字の,「言」(言う),と,「説」(=話す)のちがい。

西洋の 「想“意”を得て」初めて自分が在る,という認識論は

言語の起源,と発生におもいはせさせます
『莊子』はそれを「無為」へといざなう
西洋テツガクは自存,実存へといざなう,

しかしどちらも言ってることは同じです

言語は,ひとにとって必須であったのはなぜなのか,
こういう会話が起こったとき,青梗菜は,いや,虫にも鳥にも歌あり,コトバありじゃあないか,というようなことをいったんです,
言い回しはちがいますがね

わたしはそのとき,ああ,『莊子』がわかるだろうな,と
おもいました。
  1. 2017/05/14(日) 21:45:40 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんにちは!!^^

>僕には、上手く言えないことのほかに、
>言いたいことはありません。
>上手く書けないことのほかに、
>書きたいことはありません。
>荘子も同じ気持ちだったと思います。
てことは言葉?は、自分のためにあるのかなあ。両方のためなのかなあ。(適当の②?)(ぜんぜん違うと、キミが、思ってる予感。)m(__;m
  1. 2017/05/15(月) 16:53:40 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>丁度今,わたしも同じようなこと書いてましたw
はい、とんだご災難で、お気の毒に存じます。
いや、違うっ、
災難は僕のほうですわ♪w
加藤諦三について書きながら、
荘子について考える人は、
有史以来、最初で最後です。

得と忘、意と言、
それらは地続きではなくて、
気づかれないように、ちょっとだけジャンプするような、
なにやら、小狡さを感じています。
ついつい思考の最小単位のように扱ってしまう漢字1文字に、
足を取られて、ちょっと跳ばされる感じがある。
見つけられるのを待っている何かがあるぞw。

>わたしはもう,ニホンゴをただしく操れないのである。
ってのが最高でした。
はははw、笑えるw。

>こういう会話が起こったとき,青梗菜は,いや,虫にも鳥にも歌あり,コトバありじゃあないか,というようなことをいったんです,
あの頃は、シェリングを読んでいたのでw。
シェリングというか、ハイデガーやジジェクによるシェリング。
    自然の中にはいかに無限の痛みと渇望が存在することになるか
    ―― それゆえに、人間におけるロゴスの、話される言葉の発生は、
    自然の循環の安定を乱す単なる過剰ではなく、
    自然の生命のもつこの無限の痛みと袋小路に対する応答であり、
    その耐えがたい緊張状態に対するひとつの解決策である ――
    ―― 『脆弱なる絶対』/スラヴォイ・ジジェク
虫や鳥によって話される言葉の発生も含めて、
僕を包み込んでいるその解決策を、
「もののあはれ」と呼んでみる試み。
  1. 2017/05/15(月) 21:27:56 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>てことは言葉?は、自分のためにあるのかなあ。両方のためなのかなあ。(適当の②?)(ぜんぜん違うと、キミが、思ってる予感。)m(__;m
なにかのためにある、というより、
僕にとっては、きっと誰にとっても、
言葉は、生命くらいに大切です。
言葉と生命は、等号で結んでもいい。
  1. 2017/05/15(月) 21:42:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは。うんw

あのね
シェリング,に意表突かれてw
ちょとかんがえてました。シジェク読んでないのでシジェクのシェリングというのはわかんないんだけどw

シェリングは観念論ていわれてるでしょ,そのジツかなり「自然」のなかにあるがままの自由を見出してたんだよね,と。わたしはカントもヘーゲルもぜんぜん好きじゃないw
ずっとシェリングがおもしろいというかすきなんです。おおらかなところで,という言う意味でスピノザ的スピ。ヘルダーリンに通じるデンパケイ。
ギリシャ的神秘主義

好きなんだわwwそこが。

ヨーロッパの哲学者ってけっこう自然に優越つけてるかんじでさ。小国せめぎ合って太陽奪い合ってるみたいな。フランスはドイツよりは陽光恵まれて風もさわやか,洗練されてますですみたいなw
ドイツの教会は暗いといいながらフランスの異端はもっとじめじめと陰湿で。

うん。


たしかにシェリングの自然はいいなw。
シェリングは孔孟『莊子』も読んでるだろうしなw・・・
いやほんと意表を突かれてw

いろいろ視野がひろがるんだなあ・・・

こういうことが発端で。会話をしてて面白いのはそれなんですけどね

自然はどんな「觀念論」にも勝る観照の実証された體でありながら,

しかも「自由」具現者ですからね。

そこにある明るさは,観念論の明晰をかるく凌駕する。
東洋哲学と同じで,主客の根源までさかのぼるというかね

哲学者は自然に対して古拙で立ち向かうしかない。

主客の消滅というのは,しかし一神教影響下ではゼッタイにゼッタイに至れない。そこを超えられない,という点で・・・・
(ry

なるほど脆弱なるゼッタイかw

(・・)

ずいぶんとりとめないなーwwいや意表突かれて
  1. 2017/05/17(水) 02:30:43 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>シジェク読んでないのでシジェクのシェリングというのはわかんないんだけどw
僕は、シェリングを読んでなくて、
ハイデガーやジジェクが教えてくれるシェリングを読んだだけなので、
それはシェリングなのか、ハイデガーなのか、ジジェクなのか、
よく分からないところがありますがw、
結局は、青梗菜のシェリングになるから、
まぁいいや、なんて思ってます。

>ヨーロッパの哲学者ってけっこう自然に優越つけてるかんじでさ。
ヨーロッパは緯度が高いから、
札幌あたりの哲学だわw。
地中海まで下がってきて、太陽がいっぱい、なんて言ってる。
自然の対義語には、人工を置くだろうな。
不自然ではなくて。

聖書は、自然なんて何の関心もないよね。
同質の人たちの、人間くさい物語。
ローカルなんだな。
旧約に、ヨブ記、ってのがあるけど、
あれは、いじめ、の構造だと思うわ。
というか、聖書は、勝ったとか負けたとか、
上とか下とか、正しいとか間違ってるとか、
そんな優劣の話だから。
いじめ、の物語なのね。

「得意而忘言」から入って、
「得魚而忘筌」に行って、
「色即是空」でオチになる。
もうプロットができてるw。

例えば、「光境倶亡」について語れば、
それは、直ちに忘れるべき説明に成り下がる。
まず最初に、主客の分別を設けないと、
切り出せない話だから。
利口な荘子は、「得意而忘言」というけれど、
愚かな漁師は、「得魚而忘筌」をもってすでに、
「光境倶亡」に成り上がってる。
その忘れ方において、
自らに対する、漁師の優越に、
荘子は気づいているはずです。
  1. 2017/05/18(木) 10:41:29 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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