「得意而忘言」、
意を得て言を忘る。
荘子(そうし)が、何かに書いている。
僕は、荘子をよく知らないし、
何に書かれているのかも知らない。
そんなのは調べなくてもいい。
にわか仕込みの知識を、
ひけらかしたいわけではない。
「得意而忘言」、
このフレーズは、つい最近、
4日くらい前に知った。
検索すれば、きっと、どのサイトにも、
同じ説明が載っているのだろう。
99%が同じだから、
その説明が正解とされ、
僕が説明することは、
必ず間違いになるのだろう。
ただし、「得意而忘言」が、
意味が解って説明を忘れる、
そんな意味だとしたなら、
99%のサイトは正しくない。
説明を忘れていないから。
ひいては、意味も解っていないから。
何度もコピペされた説明を忘れることが、
「得意而忘言」の意味ではなかったか。
エクリチュールには、
反復可能性があり、
読み手のコンテクストごとに、
意味が散らばる。
文章は、読まれるたびに、
読み手の捉え方によって、
意味がばらばらになる。
読み間違いは多いはずだ。
なぜ、正解率が99%なのだろう。
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2017年05月13日 12:02 |
- 荘子
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